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いじられキャラが場を支配するという話

いじられキャラが場を支配するという話を書こうと思う。

いつどこで、誰が言ったか思い出せないが、
エロを追求して、その延長線上でエロの哲学を語っていた人がいた。
(あまりに思い出すことができなくて、自分の勝手な想像ではないかと思い始めてきた・・)

とにかく、その人は本当に存在するかわからないが、
SMプレイについてこう語っていたような気がする。

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SMのSはsadism(サディズム)で、MはMasochism(マゾヒズム)と言われているが、実はMはMaster(支配者)であり、SはServant(使用人)である。本当はMがSを支配している。

我々のイメージではSが攻める方で、Mが攻められる方である。
しかし、彼によると、それは真逆であり、Mがマスター(支配者)であり、Sは実は使用人ということである。

どういうことか説明しようと思う。
芸人の出川を例にすると、よくテレビで他の芸人や司会からいじられているのを見かける。

一般的な考えでは、
いじる側の芸人や司会がSであり、いじられる側の出川はMである。
確かに、コミュニケーションだけ見ればそのように見える。


しかし、もし、出川がいじられたにも関わらず、
リアクションが、「やばいよ~やばいよ~」ではく、「はいー」だけで軽く流したらどうなるか?

場はしらけてしまう。

なぜなら、我々は出川のリアクションを見て、笑ったりしているからだ。

それは言いかえると、出川が何もリアクションをしなかったら、
笑いも何も起きないということである。
つまり、出川が場を支配していると言える。

こういった考えで、Mがマスター(支配者)であり、Sは実は使用人と彼(=僕)は言ったのである。

誰かがいじったり、誰かがいじられているのは学校や職場などのコミュニティでも良く見かける。

そもそも、笑いというのは一人ではできない。
一人でボケても、誰も気づいてくれなければ、それは行動異常者のヤバい奴である。

一番手っ取り早く、笑いを作るのは誰かをいじるのが早い。
そのため、どのようなコミュニティでもいじり、いじられが存在しているのだと思う。

どのコミュニティでもいじる人、いじられる人はいるが、
特に重要なのは、いじられる人である。

サッカーで言うと、いじる人はパスを出す人で、
それに合わせて、いじられる人がシュートしてゴールをする(笑いを起こす)

そのため、いじる人がすごく雑なパス(いじり)でも、
いじられる人が最後のシュート(リアクション)を決めるのがうまければ、
なんとかゴール(笑いを起こす)することができる。

逆に、いじる人がすごくうまい、いじりをしても、
いじられる人がスルーをしたり、シュートが下手だったら、ゴールはできず笑いは起きない。

一方で、いじられる人がシュート力があり、ゴールをするのがうますぎると、それはそれで問題が起こる。

いじる側が、すごくテキトーなパスを出してくるようになるのだ。
(雑な振り)

テキト-なパスでも、なんとかゴール(笑いを起こす)してくれるでしょと。

そうなるといじられ側も不満が溜まる。
難しいパスを対処するのは疲弊していく。

さらに問題なのは、
いじる側は自分のパスがテキトーな自覚はなく、
また自分が場を盛り上げていると勘違いする点だ。

繰り返し言うが、場を本当に支配しているのはいじられ側である。

ちなみに、レベルの高いプロいじられは受け身でパスを待っているだけではない。自分からパスをもらいに行く。


攻めのいじられというものが存在する。


以下は、まさにそのわかりやすい例である。

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これは、日本の伝統である”攻めのいじられ”である。

鉄板であるが、上島竜兵が押すなよ、押すなよと言うにも関わらず、
周りの誰かが押して、熱湯に入り、上島竜兵の熱がるリアクションを見て、笑いが起きる。

上島竜兵に関しては、もはや最初のパスをくれと言っている段階で、笑いが起きてるので、既に実質的にゴールしていると言える。さすがである。


日々の生活で、いじり、いじられがある。
いじる側になるか、いじられる側になるか、その時々のシチュエーションで役割が決まる。

そのため、誰もが、いじられる経験があるし、今後も経験するだろう。

いじられる内容によっては不快に思うこともあったり、
また、毎日いじられ続けて辛いと思う時があるかもしれない。


そんな時は、

はいはい、このリアクションね。あなた達が求めているのは。
あなた達は私がいないと何もできないんですよ。


と思えば耐えれるのではないかと思う。



おわり

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