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子どもが産まれるということ⑦ - 新たなはじまり

前回の記事はこちら(出産の日)


こうして、緊急帝王切開により無事に赤ちゃんが生まれた。


出産翌日、妻が医師から聞いた話では、実はお腹の中で赤ちゃんは横になっており、あのまま陣痛が続いても生まれてくることはなかったそうだ。

本来は頭が下、もしくは逆子で頭が上にあるべきだが、
息子の場合は横になっており、引っかかって出てこなかったのだ。
医師が早めに帝王切開の決断をしてくれて本当に良かった。


出産翌日、僕は東京に戻り、日常の仕事生活が始まった。


仕事中に、病院にいる妻から赤ちゃんの写真が送られてきた。
子どもの写真は何度見ても飽きなかった。

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お気に入りは、ミルクを吐き戻している写真。
赤ちゃんとは、なんと無力な存在なんだろうか。自分では何もできない。


写真を見ながら、早く会いたいなという気持ちが強くなったが、
コロナの影響で面会は禁止されている。退院するまで子どもと妻に会うことはできない。


会えない間、僕には父としての重大な任務があった。
それは区役所に出生届を提出することであった。
生まれてから、14日以内に出さなくてはいけない。

他にも区役所には子ども医療費助成、児童手当などの申請をし、
会社には健康保険証の申請などを行う必要があった。
どれもこれも初めての経験でよくわからなかった。

区役所には仕事柄よく行くが、出生届を出すのは初めてだ。

出社する前の朝、区役所に寄って、職員さんに窓口を聞いて、
言われるがままに記入した。
子どもの名前を記入する箇所では緊張した。ここを間違えるわけにはいかない。書き慣れていないので、何度もスマホで見て漢字が合っているか確認した。

後日、自分の住民票に僕、妻、そしてその下に子どもの名前が記載されているのを見たときは改めて家族が増えたと実感がわいてきた。

生まれてからは書類などでバタバタした日々が続いた。

出産してから7日後、母子共に退院した。
妻は産後に高血圧を発症し、予定通り退院できるかわからないと言われた
時もあったが無事に退院することができた。

里帰り出産なので、産後一か月は妻と子どもは妻の実家で生活することになっていた。

東京に住んでいる僕はすぐにでも会いに行きたかったが、
僕がもしコロナに感染していたらと思うと怖くなった。会いに行っていいものか悩んだ。

そんな僕の様子を妻が知り、PCR検査を受けて会いに来るのは?と言った。
当時は一番安い検査で1万5千円だった。

1万5千円・・・
それだけあったら、子どもに良いおもちゃや洋服を買ってあげられるしなと躊躇した。

だが、妻によると赤ちゃんの顔は毎日変わって、どんどん大きくなっていく。今の息子に会うには1万5千円以上の価値があるらしい。

結局、僕は1万5千円のPCR検査を受けて行くことにした。結果は陰性だった。

そして週末、赤ちゃんに会いにいった。


妻の実家に到着するなり、すぐに念入りに手洗いうがいをさせられた。
パジャマ姿の妻がなぜか誇らし気に部屋に案内してくれた。
今は寝ているから静かにということだった。

ドアをそっと開けると、小さなベットで小さな赤ちゃんが寝ていた。

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指も細く、強く握ると折れてしまいそうであった。
小さな体だが、しっかりと息をして生きている。
僕が出産後見たときと顔が既に変わっていた。赤ちゃんの成長は本当に早い。

妻の実家では、義理の両親から正しいミルクのあげ方や沐浴のやり方をレクチャーしてもらった。

僕は初めての子育てで何もかもわかっていなかった。
見よう見まねでやっていった。


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特に初めての沐浴は難しかった。
うっかりお湯の中に落としてしまわないか、緊張しながらやった。

とにかく可愛かった。関われば関わるほど愛情が募る気がした。
PCR検査を受けた価値のある3日間だった。


時が経ち、妻と子どもが家に帰ってきた。

一人暮らしを謳歌していたが、ここから生活が一気に変わった。
不規則な夜型の生活をしていたが、すぐに朝型に変わった。

規則正しく赤ちゃんにミルクをあげたり、お風呂入れたりするため、
僕たちの生活もそれに合わせて規則正しい生活になっていった。

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これまで週末は昼まで寝ていたが、
今では朝ちゃんと起きて、王様のブランチを開始から見れている。

また、今までは公園にも行くことはなかったが、
子どもが生まれてから、よくベビーカーを押して行くようになった。

いろんなことが変わった。


僕の両親によると、
生活だけではなくて、僕自身も変わったらしい。

たしかに今回の出産や子育てを通じて様々なことを学んだ。
その中の一つにあるのが、自分の親への感謝である。

赤ちゃんを育てるというのは本当に手間がかかる。
ミルクを飲ませたり、服を着替えさせたり、オムツを交換したり、
今、自分が親としてやって、自分もこういう風に親に育てられたのかと、
改めて親に対しての感謝が芽生えた。

また、後日知ったのだが、
僕の母親は無事に赤ちゃんが生まれることを願って、毎朝近所の神社に行っていたらしい。

親というのは、子どもの見えないところで、
子どもを陰ながらずっと支え続けている存在なのだ。


そしてもう一つ学んだことがある。
それは家庭を築くということである。

よく家庭を築くというが、今まで僕はこの言葉の意味がわからなかった。

子どもが生まれる前は、家庭を築くというより、
妻とのライフスタイルのすり合わせのように感じていた。


だが、今は違う。
家庭を築くという言葉の意味をしみじみと感じる。

子どもが生まれてから、仕事中に早く家に帰りたいと思うようになった。
早めに仕事を切り上げて、家の玄関に入ると、リビングからミルクが欲しくて赤ちゃんがギャン泣きしているのが聞こえてきたりする。

その泣き声を聞いて、ああ、家族が増えたのだと実感する。

そして、赤ちゃんが寝た後に、夜にリビングで妻とどういう風に子どもを育てていくか、どういう家庭にしていきたいかの話などをする。


これが家庭を築いていくということなんだと思う。
そういう何気ない日々の生活に充実感や幸福感を感じるようになった。



振り返ると、ここまで来るまでにいろんなことがあった。

当時いろいろと悩んでいたことが、遠い昔のように感じる。

それくらい僕自身が変わったからだと思う。



僕は仕事柄、よく会食に行く。行くのはひとり何万円もするようなお店だ。
歴史のある有名なお店だったり、ミュシュランに掲載されたりなど。
料理も美味しく、サービスもしっかりしている。

それはそれで幸せであり、学びも多いのだが、
週末に妻と赤ちゃんと一緒に公園行き、ベンチでサンドイッチを食べている時の幸福感には到底かなわないことに気づいた。

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何気ない日常の生活に今までなかった充実感や幸福感を感じる。


一方で良いことばかりではなく、当然、苦労もある。

日常の簡単なことに影響がある。
子どもが生まれる前は、
外食をするときは二人の気分でお店を決めることができた。
焼肉が食べたければ焼肉に行けばよかった。
しかし、今はそう簡単には行けない。
昔のように自由に行動ができなくなった。
夫婦で買い物に行くのも赤ちゃんのミルクなど準備で一苦労である。

子どもの存在により、日常生活、仕事、引っ越し、いろんな意味で行動に制限がされるのは事実である。また父親としてのプレッシャーもかかる。

しかし、だからといって子どもが生まなければ良かったと思う親はいないだろう。

それくらい子どもの存在はプラスの要素があるのだと思う。


今回の一連の話は僕たち夫婦の話であり、
他の夫婦にもそれぞれ葛藤や悩みなどがあるだろう。

ネットで検索すると、妊活や育児について多くのブログがヒットする。
今回の話もその数多くあるうちの一つに過ぎない。

僕のブログは素人の個人なので、読んでくれる人は多くない。
このブログも、これまで書いてきたブログも、僕自身の記録のためというのが大きい。


ただこの出産についてのブログは、この人が読んでくれたらいいなという読者が一人いる。

それは僕の息子である。


父親として、息子に、どんなに自分が求められ、望まれて生まれてきた存在なのか伝えたかった。

今、自分が素直に感じていることをここに書いた。


きっと僕はこれから、仕事や生活に追われて、過去の出来事や気持ちを忘れていってしまうだろう。実際、今回も書きながら、自分が過去の出来事を忘れているのに気づいた。

息子に出会えた感動をいつか忘れてしまう前に、何かの形で残したかった。


しかし、伝えたくても、
当たり前だが生まれたばかりの僕の息子は
まだ文字を読むこともできなければ、言葉を話すことさえできない。


まだまだ時間がかかるだろう。
でも、いつの日か、この文章を読むことができる日は来る。

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そんな日を楽しみしている。


おわり





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