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母校がなくなる。

通っていた小学校がなくなる。

先日友人と学校に行ってきた。今は児童が1学年10人ほどしかおらず、全学年合わせて70人にも満たない。

12年前、わたしが通っていた頃は、1学年40人いたのだけれど、子どもの数がかなり減ってしまった。その影響があってか、来年の4月に近所の小学校と合併する予定だ。今日は合併前最後の校舎の内覧会の日だった。

学校に向かう前にみんなでよく遊んでいた公園に寄った。運動用の器具が増えていたけど、ほとんどそのままだ。公園にたどり着くまでに、自転車が通る道、階段で登る道と分かれていて、どちらも狭くて短かった。

「この階段こんなに短かったっけ」

「ここの広場、意外と狭くない?ここでサッカーしてたのか」

なんて話しながら学校へ向かった。

教室のどこからか「旅立ちの日に」が聞こえてくる。そういえば卒業式で歌ったっけ。小6のときの担任の先生号泣して、わたしも釣られて泣いた記憶がある。

机も、椅子も、下駄箱も、ロッカーも、洗面台も、給食室の台も、なにもかもが小さくて不思議な感じがした。

身長170センチほどある友人が児童用の椅子に座った。色々とはみ出ていて笑った。

音楽教室に立てかけてあるバッハやモーツァルトの色褪せた顔写真はも、ピアノの配置も、そのままだった。

小学5年生の頃、学校が創立30周年を記念して壁画を私たちの学年が塗り替えることになった。ハート、クローバー、ホシが手を繋いで笑っている絵をペンキで描いた。絵は今もまだ残っている。その前で記念撮影をした。この壁の前で撮影する人は、もれなく同級生だろう。

時々ソーラン節の練習している子どもを見かける。この前も家の外から「どっこいしょ〜どっこいしょ〜、ソーラン、ソーラン、わっきゃきゃきゃ」とソーラン節の掛け声と笑い声が聞こえてきた。

去年小学校の同級生の家で、ソーラン節の発表が記録されているDVDを一緒に見た。ダンスを自分たちでアレンジして、小学生なりにがんばったことを思い出した。

わたしたちの学年はソーラン節ガチ勢だった。腰が高いと怒られた。練習中に少しでも気の抜けた態度を取ったら、担任の先生から怒りの目が向けられた。わたしたちも練習が楽しいからマジメにやっていたと思うのだけど、先生はそれ以上にガチだった。

なぜかわたしは担任の先生のLINEを持っている。今まで一度も連絡したことがない。いまどこで何をしているんだろう。

内覧会では職員室にも入らせてくれるみたいなので立ち寄った。職員の机に貼られている苗字に身に覚えがある。2年生のときの担任の先生と苗字が一緒だった。もしかして…と思ったが全く違う人だった。今はもう知っている先生は1人もいない。

一通り全体を見終わったら、よく通っていた駄菓子屋を見に行ってみることにした。もう流石にないと思っていたのだが、12年経ったいまでもまだあった。耳馴染みのおばあちゃんの声が聞こえてきた。

「絶対あのおばちゃんだ(笑)」

昔のままあることに驚いて、友人と2人して笑った。なかのおばちゃんと立ち話をした。

「昔は公衆電話の線を抜かれたりして治安悪かったけど、今じゃ悪さする子どももういない」

子どもはどこにいるんだろうかというくらい静かだった。お店は40年続いているらしい。シャッターが閉まってる商店街。お隣のお店が入れ替わったりするなかで40年だ。立ち話のあと、せっかくだから、お菓子を買って帰った。

1人くらい同級生とすれ違うかなと思ったのだけれど、1人もすれ違わなかった。久しぶり会ったら気まずいと思っていたから、ちょっと安心したけど、会わなかったら会わなかったでさみしい。帰宅してインスタグラムを開いたら他の同級生も来ていたことに気づいた。またどこかで会えるといいな。

母校がなくなると知っても、さみしさはなかった。

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