言葉にならない言葉
詩の世界がおもしろい。
この頃、100分de名著の中原中也と宮沢賢治の回を視聴したり、詩を書くことに関する本を読んだりと少しずつのめり込む自分がいる。
写真は無意識下の言葉で撮る瞬間は言葉にはならない。
でもそこから、言葉を見つけ出すことができるはず。撮った背景もそうだけど、そうではない別の詩のような言葉も見つかりそうだ。写真と詩ってなんか近いなと感じていたが、無意識下から取ってくるものだからだ。
わたしが子どもに目がいく理由も、どこかでわかるときが来るのかもしれない。詩を書くことで、今まで無意識にやっていたものに言葉の形を与えられるのかもしれない。もっと先が見えてくるのかもしれない。あくまでも予感の話だが。
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