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詩はお守り

若松英輔さんの『詩を書くってどんなこと?こころの声を言葉にする』を読んでいい気分になった。

詩情に目覚めていないと、自分の気持ちの深みに気づかないことがあります。自分はこんなに悲しんでいる、苦しんでいる、ということに気づかない、もちろん他人が苦しんでいることにも気づかない。

詩は声だと思った。孤独から生まれる声。だから読んでてうっとりするし、落ち着く。『死ぬまで生きる日記』の著者土門蘭さんが、芥川龍之介や太宰治の作品を読んで息がしやすくなる感覚って、こういうことなのかな。

詩は、書くことによって、書き得ないものを感じる営みです。むしろ、書き得なかったことの方に、ほんとうの詩がある、といってもよいくらいです。そして、自分では下手だと感じる詩でも、違う人が読むとそこにかけがえのないものを見出すことができます。

語ることや言葉にして見えるようにする営みは、自分の中にあるものと同じものを出す行為だと思われるけど、出そうとすることによって出なかったものを感じることができるのではないか。だから、言葉にしようとすることで、言葉にならなかったものを感じられるのではないか。そう新たに教えてもらえた。

恥ずかしながら、ここ最近ようやく茨木のり木さんの詩を読み始めた。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

背中をバシッと叩かれた。詩はわたしのなかでお守りになった。

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