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〖魚河岸鰻遊〗④食い倒れグランドスラム

『ソトコト』2005年10月号№76生原稿

 当時20代前半の僕にとって魚河岸という場所は、中央市場というよりも食い倒れのグランドスラムといった感覚が強かった。扱っている魚はもちろん、それ以外にも手を伸ばせばすぐにでも届くような場所に数々の名飲食店が溢れていたからである。

 まずは場内海幸橋近くの食堂街にある「豊ちゃん」。揺れる暖簾に乗ってカツやエビフライの芳しい油の香りが漂う店だが、味噌汁の味の薄さと白衣姿の店のオッちゃんたちのやる気のなさがクールで渋い。

 続いて2軒隣のカレー屋「中栄」は実にホット。めちゃ狭いコの字カウンターに座ると、ママさんが鼻に抜ける声で「いなっすぁ~い」、直後に奥からコックさんも「いなっすぁい」と言う。一応、甘口のビーフ、辛口のインドカレー、トマト味のハヤシがあるが、僕のオーダーは決まって「インド大盛り玉オチ味噌碗」。

 カレー大盛りに卵入りの味噌汁をつけたものだ。辛いのに熱い、猛暑でも熱い。そんな鍛冶屋が打つ鉄のような強靭さと、ぽってり小麦粉の柔らかさ、スパイスの焦げたような香ばしさが見事に一体となった、ハイカラの大正ロマンを感じさせる店だった。

 ほか「茂助」の団子は疲労を癒してくれる甘いパートナー。串に打たれた漉し餡団子をターレに乗りながら食うことができる。そして一番端の全国チェーン「吉野屋」も見逃せない。何を隠そうここが1号店なわけで、同じ牛丼でも築地の偉力を感じる味わいだった。

 さらに場外の新大橋通り沿いにある食堂街も忘れてはならない。最もはまったのは「井上ラーメン」で、色や風味はあっさりだが塩分が利いていてロードワーカーにはもってこいの味。それに500円のキャッシュオンデリバリー、おまけに山盛りのごっつい熱いスープの中に親指が浸かっても表情一つ変えないオッちゃんも侍のようで格好よかった。

 ちなみに場内正門側の棟にも食堂街はあるのだが、こちらは一部を除いて寿司屋などのハイクラスな店が多く、河岸の長老や偉い人、また町の玄人(寿司屋の板前など)が行くセレブゾーンのイメージ。安い早い美味い、がポリシーの我々ド庶民には無縁の場所であった。

 そして、いよいよ究極の食い倒れであるが、それは「店のマカナイ」。

 一仕事を終えた9時頃、店の裏側においてある炊飯器からは炊けたばかりの米が真っ白な湯気をフワフワと立ち上げ、コンロの上では味噌汁が熱々になっている。そこに今日の目玉のネタを加える。

 時にヤリイカをそうめん状にして山葵醤油で、時に脂が乗ったイワシを開き、炊き立てご飯の上に乗せてショウガと醤油をぶっかけたり。

 またある時はスプーンをもって向かいのマグロ屋へ行き「すんませ~ん!中オチください!」なんていいながら、箱に捨ててあるアバラから真っ赤な身を削ぎ落とし、それを醤油ヅケにしたり。たまに帳場のネーさんなんかが漬けてきたイカの塩辛なんかもあったりで、もうたまらない。

 食うには困らないことが困る町、それが築地である。

 だが、昨今はちょっと様子が変わってしまったようで、先日、とても世話になった先輩のワチさんがこう言っていた。

「マカナイはもうやってないんだよなぁ~。俺もあの頃が懐かしいや」と。現代の河岸は夜中の1時や2時から(以前は5時頃)始業するらしい。一応、セリをやりつつも実際の仕入れは早い者勝ち状態になっているからだ。結果、各スタッフの働く時間に大きなずれが生じ、さらに執拗なまでの火気厳禁化、加えて不況による店の縮小で場所が狭くなったこともあって、マカナイはおろか、外食をするムードもなくなったという。

 これは僕がいた店に限らず、場内の殆どが同じ状態にあるらしい。先述の各飲食店は店員の世代交代はあっても、昨今の観光ブームのおかげでなんとか健在でよかった。だが、最近の仲卸商では「よくて家の弁当、あとはコンビニ!」。河岸人相手のマカナイ屋でもやれば流行るかな?


【築地辞典】

●吉野家

1899年、築地魚河岸の前身である日本橋市場に誕生。築地のスローフードを背負う人々のために生まれたファーストフード。魚市場に牛肉文化を持ち込んだことはやっぱり凄い。

●中オチ

ご存知、マグロのアバラ(中骨)についている身。真っ赤な色をしていて脂分はほどほど。少しばかり血生臭いときもあるが、山葵と醤油に浸けることでちょうどよくなる。昔はマグロ屋の前などにたまに捨てられていることがあった。

●セリ

卸売業者(河岸では荷受と呼んでいる)が仲卸業者(仲買とか仲卸と呼ぶ)に売る行いを意味する。一般的な魚の流通は、漁師または漁師を元締めする企業→荷受→セリ→仲買または認可を持つ量販店や飲食業者→小売業者や飲食業者となる。

●場内/場外

場内とは魚河岸のことで、正確には東京都中央卸売市場のことを指す。晴海通から築地6丁目交差点を南へ向かった海幸橋の先がそのエリア。場外とは築地場外市場のことで場内以外の晴海通と新大橋通に囲まれたエリア。

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●築地文化遺産に その4

築地場外市場/Jo-gai

一般的には場外と呼ばれている。ただ場内は都が管理する市場であるのに対し、場外は民間が経営する商店の集合体、言わば商店街のようなもの。よって一般客のために存在しているわけである(場内は基本的にプロ相手)。築地に市場が誕生して以来、自然発生的に増加してきたエリアだが、現在の店舗数は350店を越えるという。その構成も実に多彩で、一般鮮魚はもちろん、マグロなどの大物商、塩干屋、乾物屋、調味料を一式そろえる小物屋、包丁や什器などの道具屋、箸や包装類を置く紙店、鳥や豚の精肉店、寿司ネタの玉子焼屋、ほか最近では上質ネタを扱う回転すし屋、場内の仲卸商が営む食堂、老舗のラーメン店など、どこも間違いのない質と良心価格の店ばかりだ。中には「場内よりもこじんまりしてて歩きやすいので」と、場外で仕入れを済ませるプロもいる。築地ブランドは場内と場外の二人三脚で支えられえきたということだ。築地にとってなくてはならない存在だ。

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