ライターの理由「カレーと憂歌団」(2001~2006年頃執筆。原文秘蔵版)

僕が初めてカレーのことを本気で研究しだしたのは1980年代半ば、19歳の頃。中華料理店を経て、とあるコーヒーとワインの店に就職した直後のことだった。それまでルーを使ったフォーマット済みのカレーなら何度も経験があったのだが、スパイスだけで作るカレーは依然謎のままだった。

”いったいスパイスをどうすればあの魅惑の旨い汁になるのだろう。いや、そもそもスパイスってなんなんだ!?”

小学生時代、レトルトの王道であるククレ甘口に始まり、時折ボンの中辛に寄り道していた。中学時代、キャンプなんかでみんなと一緒に鍋的カレーを作ったり、高校時代なら食堂でカレーうどんをしばいたり。とにかく人生の隣にはいつも色んなカレーがあった。しかーし!そのカレーの素顔はまったく知らない。

というわけで、多感の上に体力のあまる年頃に、僕はついに茶色い汁の謎に迫る決意をする。洋食屋、ステーキ屋、なぜかすし屋、高校時代に入り浸っていた極悪賭博喫茶店のマスター、ホテルでコックを勤める先輩など、思いつくすべての人のところへ行き、茶色い汁の秘密を尋ねまくる。

しかし、答えは皆同じ。「スパイスで作るんや」。だからそのスパイスを知りたいのだ。この手で触りたい、一つ一つを嗅いでみたいのである。しかし、皆が皆「カレー粉」や「ルー」の言葉で限界だった。

時は過ぎ、1990年に差し掛かる頃、僕はスパイス未体験、言わば童貞の如し鬱蒼とした日々を送っていた。そこに一本の電話が鳴る。東京在住の友達からだった。

「おい、吉祥寺にお前が喜ぶようなカレー屋を見つけたぞ!」

この一言で硬化しかけていた情熱に再び火が入る。よし!東京に向かって発射だ。そして井の頭通り近くのビルの地下1階にあったその店に行く。階段の壁や天井にはエスニックの雑貨が飾りたくられていて、入口付近は真っ暗で実に怪しいムード。

しかし、店内に一歩足を踏み入れてみると、これが今まで行ったインド料理店のどこよりも謎めいたスパイスの香りでいっぱい。右手を見ると、漢方薬局みたいなケースがずらりと並び、その中に溢れんばかりのスパイスが横たわっていたのだ。

スタッフはみんな日本人。注文をすると、1枚の皿の中にボタボタと水っぽいカレーが入っていた。よく見ると肉や野菜以外に葉っぱや木の実みたいなものも入っているではないか。僕はナスカレー、友人は確かほうれん草のカレーを注文したと思う。

驚いた。スパイスが無造作にも全裸のまま皿の上で弾けていたのである。はじめての舌触りと風味の連続だった。辛いだけでなく、日本語では言いようのない摩訶不思議な風味が渾然となっている。店の飾りにも負けないほど、口中もエスニックの夢でいっぱいになった。

そこにいいタイミングで友人が一本のカセットテープを僕に渡した。
「ほら、これ聞いてみ。憂歌団のテースト・オブ・ユウカダンというアルバム。ギターがこれまた幻想的でごっつええ感じやで。もっとスパイスのイメージが湧いてくるかもよ」

聞いてみると、確かに頭の中に色んなイメージが浮かんでくるではないか。スパイスの形や色、そして使い方の映像が。僕は気に入ってウォークマンに入れてひたすら聞いた。後日、今度は一人で同店に行き、この曲を聴きながら辛いインドカレーを食べ、口中に広がる風味と奏でる音の狭間に意識がすっぽりとはまっていくのを味わっていた。

この日以来、僕はテースト・オブ・ユウカダンを常音とし、カレーの茶色汁の謎に迫る。何度もタイやインドの本場カレーセットを購入しては調理に挑むのだ。

が、ここでまた問題が浮上する。いくら説明書通りに作ってみても、スパイスの刺激が強いばかりで決して美味くはならないのである。

そう、単純に調理するだけではウマミというものがどうしても生まれてこなかったのである。ウマミはどうやって作るのか?やっぱりブイヨンや何かほかの調味料などが必要なのか?いや、しかし吉祥寺にあったカレーは正真正銘スパイスと素材だけでウマミもあった。

それから再び長い時間が経った。

世の中で旨いといわれるカレー屋やインド料理店をどれだけ渡り歩いたことかわからない。しかし、これらはすべてバターや生クリーム、時にチョコレートやコーヒー、またあるときは熟成などといった、とにかくスパイス以外のものでウマミを表現しているものばかりだった。違う、きっとスパイスだけで出来るはず。

その後、スパイスには無数の香りと甘み、ウマミ、さらにコクやトロみまでも生む力があることを知ったのは1998年頃のことである。謎を追い出した喫茶店時代から13年が経っていた。自分でカレー、いやスパイス定食の店を作ってからのことである。三重県・松阪市に建てた小さな店「THALI」。

現在(2001〜2006年時点)、その店もまた過去となり、僕は執筆や広告の仕事で食っている。そして時々、こっそりとスパイス研究会を開いたり、依頼のあった飲食店などにレシピを提供したり、スパイスのハウツーを教える講習に行ったりしている。

しかし、一説にはこの世に200種類、ある学者は2万種類とまで言われるスパイスの世界だから日々、新たな謎と発見が続いている。

憂歌団の話に戻す。飲食業界にいた僕が文を書くようになったのはテッペイ氏との出会いからである。彼は当時の憂歌団の名マネージャーで、僕が経営していたバーに時々飲みにきていたのだ。そして、僕がカレーの研究には「テースト・オブ・ユウカダン」が欠かせないという話をしたら、テッペイ氏は子供のようなやんちゃな目つきになって、カレーとのその不思議な話を憂歌団のファン通信に書いてよ、と言ってくれたのである。

そのときのコラムのタイトルが「カレーと憂歌団」だったのだ。それ以来、色んな雑誌の仕事が増えて、気がつけば僕は専業ライターになっていた。スパイス料理とライターの両輪人生は憂歌団から始まったのである。

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