エアコン無しバスに乗るのは荒行である
チットロームのセントラルワールドに用事があったので、シーロム通りからバスに乗った。
エアコン無しの77番に乗った。エアコン無しのバスに乗るのは何年かぶりかもしれない。
エアコンの代わりに扇風機が動いていたが、暑さは取れない。蒸し暑い。
スマホでバンコクの温度を確認したら、33度であった。暑いはずだ。
昔はよくタイではバス遊びに打ち興じていたものである。目的地を定めずに路線バスに乗り込んで、終点まで行ったらまた帰ってくるのである。
その頃はよくエアコン無しのバスにも乗っていた。汗だくになって、ふうふう言いながら頑張ってバスに乗っていたが、そうやって現地の人々と同じ乗り物や食べ物を食べることにより、タイへの理解が深まるかと思っていた。
確かに全く無駄なアプローチでは無かったかもしれないが、今となってみると、わざわざエアコン無しのバスに乗らなくてもと思う。そういう遊びというのは北の国の裕福な旅行者が酔狂に遊んでいるようにしか、おそらく現地の人にはうつらないのでは無いだろうか。
現代の旅というのはすべてスマホを使って事前に調べられるし、宿探しや、バス探しにも苦労が伴わない。
それだと旅をしている感覚がしないのでは無いかという疑問もかつては浮かんできたのだが、このテクノロジーの発達というのは、単純に、知りたい情報に最短距離でアクセスできるだけで、そこは手放しに喜ぶべきところであるという風に考えが変わった。
いくら便利な世の中になっても、旅や海外生活というのは、その人にとっての固有の経験である。自分自身が五感によって体験できる、感じ取れるモノというのは確実に存在する。
その固有の体験でさえも、将来はヴァーチャルに味わえる日が来てしまうのだろうか。
そこまでは心配しても仕方がないのではないか。
美しい風景に感動したり、例えば夕日や虹を見て心を動かされるみたいな部分にまでテクノロジーが侵食して来てしまうのは厄介な話である。
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