見出し画像

私が考える最適なノマドカフェ

今、私がいるのは、バンコクのオンヌットにある某ノマドカフェであるが、見事に客がいなかった。室内にはちょうど良い音量でタイポップスが流れている。うるさ過ぎず、かといって小さ過ぎず。この程度の音量であれば、PC作業をしていても気が散らない。

それから、どこかの得体の知れない男達が、スマホでハンズフリーにしながらデカイ声で我が物顔で会話していることもなかった。バンコクだとちょっとでも中心街に近い喫茶店で、それもお洒落で入りやすい店になってくると、そうした他人の迷惑を一切顧みない有象無象の輩が来てしまう。

彼らにもお洒落カフェを楽しむ市民権は当然あるだろうし、それを否定したり剥奪する権利は私には無い。しかしながら、カフェにいて、そうした他人の話声を鬱陶しいと思う人は私だけではあるまい。特にハンズフリーでスマホで話すのは止めてくれと思う。なぜ、見ず知らずの他人にプライベートな会話を聞かせたがるのだろう。それに縦しんばその会話が聞こえてきたところで、英語以外のどこかのアジアのマイナー言語が聞こえてくるので、私はそれらを聞いても理解できなかった。

そういうのはアジアのガサツな文化の一面であると理解して受容しなければならぬが、もう私個人としてはノマドカフェは客が少なければ少ないほど落ち着くということで、結論が出ていた。

採算が取れているんだろうか、経営は大丈夫なんだろうかと客に心配させるぐらい客が少ない方が私のような人間にとっては最適なのである。当然、客が来なければ店を閉めるしか無いのであろうが、願わくば、そうした居心地の良いカフェのオーナーにはカフェ以外の利子所得や不動産所得などを持ち合わせていて、カフェビジネスに血道を上げなくても、十分にやっていけるぐらいの余裕を持ちあわせて欲しかった。そうであれば、お洒落カフェで長居をする私としてもオーナーに対して申し訳ないような感情を抱かなくて済むからである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?