タイでもバス停以外では停車しないバスが出現し始めた

オンヌット駅下から48番のエアコンバスに乗り込んだ時のことである。

バス停で待っているとバスがやってきた。バスが勢いよく私の前を通り過ぎてしまうかと思ったが、バスは案外、中央の扉が私の真ん前あたりにくるぐらいのところで停車した。

私は中央の扉が開くものばかり思っていた。しかし、いつまで経っても扉は開かず、代わりに運転手はクラクションを鳴らしてきた。前の扉を開けているから前からバスに乗れと言うことらしい。

中央の扉は降車専用の扉なのかもしれないが、くだらない事にこだわる運転手だと思った。

想像した通り、その運転手はバス停以外のところでは絶対に客を降ろさなかった。杓子定規で融通がきかない。

黒人の乗客がいて、停留所以外のところで降りようとして英語で何やら運転手に話しかけていたが、運転手は手を上に降って、NO!の意思表示をしていた。

一昔前のタイであれば、停留所の無い場所で乗るのも降りるのも自由自在であった。正確には「降りる」方はかなり融通をきかせてくれる運転手が多かったように思う。

それがタイ人の合理主義的なやり方だと思っていた。

日本に帰ると当然のことながら、特に都市部のバスではバス停で客を降ろすのが当たり前であり、そこから外れたことを運転手はしようとしないだろう。

でも、そう言う先進国の融通の利かなさみたいなのが、このちゃらんぽらんなタイでも見られるようになってきている。文明の毒というか、規則を守るのが正義みたいな、おかしな正義感に燃えた近代の宿痾みたいな人間がタイにも現れてきているということか。

問題なのは、規則を厳守しようとするバスの運転手が、その狭い範囲内でおそらく権力の味を占めていることだ。すなわち、バス停の前でバスを停車させるのが規則だ、乗客は前から乗車し、降りるときは中央の扉から降車してもらう、これが規則だ、俺のバスに乗るならこの規則に従え、例外は一切認めない!というわけである。

こういった運転手の心理状態が透けて見えて、おそらく、彼はちっぽけな権力を振りかざして溜飲を下げているから、なんとかその愚かさを指摘すると同時に、彼の溜飲の下げ方というのは実に醜悪だということを教えてあげたい。でも、多分、理解できないだろうなあ。

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