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Our Rhythms

名前も知らない誰かが、グラスを合わせて去っていった。時計の針はそろそろ真上に辿りつく。明日仕事だと言って帰る者もいれば、やっと仕事が終わったと言ってやってくる者もいる。友達が連れて来た知らない顔も結構いる。今日の主役は俺のはずだが、もうケーキの蝋燭はとっくに吹き消したし、そんなことは皆忘れてしまったかのようだ。それぞれ自由に楽しんでいる。
人が多いのは苦にならない。賑やかなのはむしろ好きだ。人の話す声、笑い声、歓声、歌声、そして音楽。人生になくてはならないものだ。そういうものに取り囲まれていると安心する。その場の空気に合わせていれば、剥き出しの自分にならずにすむ。

スマホが震えた。待っていた電話だ。ビデオコールだし、間違いない。俺はスマホをひっつかむと吐き出し窓を開けてテラスへ出た。
「おめでとう。誰が歌ってるの?」
部屋の喧騒が聞こえたらしい。声が眠そうだ。
「わかんない。寝てた?もう12時ちょっとすぎてるよ。」
「寝てないよ。アラームに気づかなかった。イヤフォンしてたから。」
少し悔しがる口調で彼は言った。パーティーや飲み会というものに彼はほとんど顔を出さない。人が多い場所は基本的に苦手だからだ。でも誕生日には必ず連絡をくれる。写真を撮ってくれることもある。二人きりで。誕生日を祝うことは、彼にとってとてもパーソナルなことなのだ。他の大勢と一緒に歌を歌って祝うなんて、そんな軽々しいことにはしたくないのだ。
「ゲーム?すぐ夢中になるんだから。」
「夜景が綺麗だね。」
彼らしい返しに思わず笑ってしまう。じっと見つめているからちゃんと話を聞いていると思ったらただ顔を見ていた、なんてことが彼にはよくある。
「もしもし?俺へのお祝いコールでしょ?」
「全部含めて綺麗だって言ったんだよ。おやすみ。」
不意打ちだ。俺が言い返せないで固まっているうちに彼はにやっと笑って通話を切ってしまった。

「彼氏から電話?」
笑顔のまま部屋に戻ったら声をかけられた。顔は見たことがある、でも名前は思い出せない。うん、ともううん、とも取れる曖昧な声と共に俺は笑顔でごまかした。
「でもちょっと冷たいんじゃないの?祝いに来ないで電話で済ますなんて。」
そいつは馴れ馴れしく俺の肩に手を回すとそんなことを言ってにやにやした。酒臭い。むっとして言い返そうとしたら上から声が降ってきた。
「よく知らねぇくせにテキトーなこと言うんじゃねぇよ。」
振り向くといつも可愛がってくれている先輩だった。肩を抱いているそいつから俺を奪い返すと反対側に囲い込む。迫力満点の切れ長の瞳に睨みつけられて名前のわからない奴は部屋の隅に逃げていった。
「来てくれたんだ。」
「ちょうど帰り道だったし、可愛い後輩の誕生日だし?」
「誰かさんにとっても可愛い後輩のはずなんだけどね。」
先輩は体を離して俺に向き合うと、おっと、という感じに片眉を上げて俺を見た。ただの可愛い後輩じゃないからだろ、とウィンクされて恥ずかしくなった。恋人が冷たいの、って愚痴る女の子みたいだ。
「旅行行ったんだろ?二人で。」
「なんで知ってるの。誰にも言ってないのに。」
「情報源は明かせません。」

確かに行った。撮影の帰りだったし、一泊だけだったけど、人が少ない静かな場所でプールもあった。早速プールに飛び込んだ俺をほったらかしにして彼は服も脱がずにプールサイドでカメラをいじっていた。来ないの、と声をかけたら夕陽を待ってるから、と答えが返ってきた。
それから彼は何枚もプールにいる俺の写真を撮り、これが一番好きだと言って一枚の写真をくれた。夕陽を待っていると言ったくせに空の大部分は黒に近い濃紺だ。赤とも紫ともつかないわずかな残照が俺の横顔を照らしている。遠くを見つめる瞳には陰りがある。同時に決意を秘めているような輝きもある。まるで意に染まない戦いに赴く悲しい戦士のようだ。誕生日の写真だと言っても誰も信じないだろう。全く誕生祝いにふさわしい写真じゃない。
でも剥き出しの俺だ。たくさんの人に囲まれて笑顔を作っているのも確かに自分だけど、彼が見ている俺はまとわりつくものが何もない、素っ裸の魂みたいな状態なのだ。そして彼はそれを繰り返し好きだというのだ。

「楽しかったみたいじゃん。」
思わず微笑んでいたらしい。先輩は笑顔で俺を小突くと話できた?と聞いた。
「よく言ってるだろ?もっと話がしたいって。」
「うん。夜じゅう話してた。仕事のこととか考え方とかはまとめて聞いとかないと、あんまり話してくれないんだ。」
「そんな色気のねぇ話してたのかよ。」
先輩はあきれたというように笑ったが、真面目な顔になると、いや、と続けた。
「お前らはそんな感じだよな。ノリが合うから一緒にいるってわけじゃないし。あいつちょっと変わってるけどいろんなことよく考えてるしな。」
そう言われて嬉しかった。俺たち二人の間にだけある、特別な感覚をわかってもらえたみたいで。変わってるよね、と返したら先輩はそういやあの時、と言って彼の変人エピソードを語り出した。大笑いしながら聞いていたらメールがきた。彼からだ。
「もう寝るね。でも疲れたら、来ていいよ。」
見ていたかのようなタイミングだった。先輩に見せたら、先輩は行けよ、と言った。
「あとは俺がつないどくからさ、行っちまえ。」

俺は目立たないようにこっそり厨房に入ると、片付けに入っていたスタッフにまだケーキが残っているか尋ねた。
「ありますよ。最後の一切れですけど。」
奇跡的に一切れ残っていた。俺の名前の一部であるSの文字が乗っている。空みたいに綺麗なブルーのアイシングがかかった飾り菓子だ。スタッフにそれを包んでもらうと、俺はバイタクに飛び乗った。ケーキを潰さないように最新の注意を払いながら。
コンドーに着いたら、彼は起きていた。ケーキを持ってきたよ、と俺が言うと、彼はこんな時間にケーキ?と言いながらも嬉しそうな顔をした。

それから俺たちは、小さなケーキの切れ端を半分こして一緒に食べた。Sの文字を彼にあげたら舌が真っ青になって二人で笑い転げた。歓声も、歌声も、音楽も、何も必要なかった。二人でいれば、二人の間の鼓動がそこにはあった。俺たち二人だけの。



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