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Heart Driver

自宅のリビングに足を踏み入れて、すぐに異変に気づいた。俺は他の奴らよりも遅い時間に帰宅するので、いつもならリビングルームは無人で薄暗い。それなのに今夜はキッチンに煌々と明かりがついている。しかも酒臭い。部屋中にアルコールの匂いが充満している。住人の誰かが友人を連れ込んで酒盛りでもしたに違いない。その証拠にキッチンカウンターには夥しい数のボトルが並んでいる。内心で舌打ちしつつキッチンをのぞいてぎょっとした。人が倒れている。
「おい。どうしたんだよ。何やったんだ。」
「うーん。ごめん。気をつけたんだけどやっぱり酔っちゃって。」
のろのろと体を起こした彼の顔は真っ赤だった。目が潤んでいる。普段はきっちりしすぎるほどきっちりしているシャツのボタンも二つほど外れているし、エプロンの紐は解けてしまっている。かなり飲んだに違いない。
「他人を連れてこない約束だろ。この家で飲み会なんて許可してないぞ。」
きつい口調で言い募った俺を、彼はきょとんとした顔で見返した。
「誰も連れてきてないよ。一人でやってたの。」
「やってた?酒盛りを?」
「違うよ。課題なの。お酒の醸造手法と味の関係性をレポートするの。」
彼は楽しそうにけらけらと笑い出した。酔っているせいか、口調が普段より子供っぽい。鼻歌まで歌い出した。俺は手近にあるボトルからグラスに透明な酒を注ごうとした彼の手を掴んだ。
「誰も連れてきてないんだな?」
「連れてきてないです。」
「これ全部一人で飲んだのか。」
俺はカウンターにずらりと並んだボトルを指した。よく見ると普通の酒のボトルとは違う。商品ラベルがない。代わりに番号の書かれたシールが貼られ、実験用のサンプルのようだ。酒盛りではなく課題をやっていたのは本当らしい。
「ううん。味見して、飲み込まずに吐き出してた。それでも酔っぱらうんだね。まだ半分も終わってないのに。」
彼は冷蔵庫にもたれて目を瞑った。今にも寝てしまいそうだ。俺は彼を冷蔵庫から引き剥がすとダイニングの椅子に運んで座らせた。
「ほら、水飲め。酒弱いのか?」
「弱くない。飲めないの。」
「......まだ終わってないんだろ。手伝ってやる。」
彼はびっくりしたのかしばらく目をぱちぱちさせていたが、うん、とうなづくとにっこりした。

「次、23番。匂いはさっきのより果物っぽい。甘みが強い。粘り気もある感じだな。飲んだ後に香りが口の中に広がるのはいいが、少ししつこい。」
俺は番号順に酒を口に含むと味と香りを説明してやった。彼は眠そうな目を擦りつつ、それをPCに打ち込んでいく。
「次、24番。こっちは匂いがほとんどない。甘みも.....聞いてるか?」
キーボードを打つ音が止まったことに気付いて俺は顔をあげた。寝てしまったのかと思ったが、彼は首をかしげてこっちを見ていた。
「なんだよ。」
「なんで手伝ってくれるの?」
なぜだろう。自分でもよくわかっていなかった。適当に答えようとして少し投げやりな口調になった。
「なんででもない。朝飯と晩飯のお礼だよ。それだけ。次行くぞ。」
「俺のご飯、好き?」
俺は答えなかった。料理のことを聞かれているのはわかっているのに、好きだというのはなんとなく恥ずかしかった。答える代わりに彼を睨みつけると、彼はわかったよ、という顔をしてキーボードに視線を戻した。

それから小一時間、俺達は酒の味見作業を続けた。あと少しで終わり、というところで案の定彼は目が開かなくなり、PCに突っ伏して寝てしまった。俺は仕方なく続きを最後まで一人で仕上げると、彼をソファまで運んで寝かせてやった。
なんでこんなことをしてるんだろう、と思わず呟く。眠る彼をじっと見つめる。
「好きだよ。お前の作るご飯。」
さっきの質問に答えてみる。口に出してそんなことが言えたのは、多分俺も酔っぱらったからだ。その言葉が、寝ている彼に届いていないといい、と思う一方で、聞こえていても、それでもいいようなそんな気がした。
酒のせいだ。頼まれてもいない課題を仕上げてやったのも、こんなことを口にするのも、全部、酒のせいなのだ。









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