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Would You Take a Whole?

話がある、と言われた時、なんとなくなんの話かわかっていた。受け止める覚悟もあるつもりだった。俺たちの関係は曖昧なまま落ち着いていたし、二人を取り巻く環境が変わってもすぐに壊れてしまうようなものじゃないことはもう知っていた。お互いが特別な存在だということだけは揺るがない。その事実を蔑ろにしないと二人で話をした。だから大丈夫。そう自分に言い聞かせた。
だから彼が海外に行くつもりだ、と言った時、ショックを受けた自分にショックを受けた。しばらく言葉が出なかった。彼が心配そうに俺の反応を待っていると気づいてやっとかすれた声が出た。
「どのくらい?」
「うーん、2年か、4年か。まだわからないけど。」
4年?頭が真っ白になった。そんなに長く?一緒に仕事をし始めてまだ5年も経っていないのに?
「海外って、どこにいくの?」
平気な振りをしようとしたけど、もう無理だった。声が震える。
「行きたいのは、アメリカかな。言葉もなんとかなるし、映像技術を勉強するとしたら、やっぱり本場だし。」
「そうだね。でも遠いね...」
俯いてしまった俺の膝を彼の手がそっと掴んだ。
「離れるの、怖い?」
顔を上げて、彼を見る。さっきの心配そうな表情は消えて、真剣な顔をしていた。少し険しいくらいだ。
「怖いよ。仕事はどうするの?契約は?勉強が終わったらどうするの?」
帰ってくるの?と聞いた声はほとんど泣き声だった。
彼はしばらく言葉を選んでいたが、やがて小さな声で帰ってくるよ、と言った。
「大丈夫。心配することは何もないよ。時々帰ってきて仕事もするつもりだし。今だって二人一緒の仕事ばかりじゃないし毎日一緒ってわけでもない。僕の占める割合なんてほんの」
「そういうことじゃない。」
思わず大きな声が出た。わかってる。家族でも、恋人でもない。別々の友人がいて、別々の仕事もある。それでも。
「割合なんて関係ない。何が何%、誰が何%なんて、心の配分を決めて生きてるわけじゃない。24時間一緒にはいられない。それでも何かが繋がってるって、それを大切にしようって二人で話したよね。将来のことを考えてるのはよくわかる。そういうところをいつもすごいと思ってる。だから勉強しに行くなら応援するよ。でも。」
彼の手を握った。これから言うことが大事なことだとわかってもらうために。

「約束が欲しい。今までより離れているなら、一緒にいなくても、将来の仕事さえ別々になっても、それでも心が繋がっているって思いたい。そうやって、これからも生きていくって約束がしたい。」
思い切って一気に言った。彼はしばらく黙っていた。少し困ったように目を伏せる。その表情を見て、胸の奥に氷のかけらを放り込まれたような気持ちになった。まさか、彼は俺を切り捨てるつもりなんじゃないか、そんな考えが頭をよぎった。目をあげた時、彼の顔から困惑の色は消えていた。
「前に言ったよね。愛しているって。でも僕らの愛は同じじゃないって。こんなことを言うのは酷かもしれない。でも僕はそんなに器用じゃない。僕の心はいろんなことや人にシェアできない。ゼロか、全部かなんだよ。だからもし、僕が欲しければ、全部受け取って欲しい。そして心を全部渡して欲しい。一部じゃなくて、全部。極端なことを言ってるのはわかってる。でも僕はこういう人間だし、これが僕の愛し方なんだと思う。」
「全部か、ゼロか、それを俺が選ぶの?」
「残酷だと思う?そうかもね。でも特別に大切な人に対して、嘘はつきたくない。いくら優しい嘘だとしても。だから本心を言ったんだ。留学の話をして平気なようならそのままフェードアウトするつもりだったけど、そうはいかないみたいだしね。」
彼の最後の言葉は俺を打ちのめした。呆然としている俺にまだ時間はあるよ、と言い残して彼は帰ってしまった。

三日経っても、一週間経っても答えは出なかった。その間も仕事で彼には会ったけど、二人とも何事もなかったような顔をして過ごした。
このまま俺が答えを出さなければ彼は近いうちにどこか遠いところに旅立ち、仕事の時だけ戻ってきてまた何事もなかったような顔をするのだろう。その時には彼の心に俺の居場所はない、ということだ。そんなことは耐えられない。ゼロなんてありえない。もうほとんど答えは出てるのに、まだ思い切れない。
だいたい全部よこせって、どういうことだよ。特別だと思っている、繋がっていたい、離れたくない。約束したい。俺だって心の相当の部分を彼に明け渡しているというのに。
それからまた一週間くらい経った日のことだった。仕事終わりにマネージャーからもう一本急な仕事が入ったから急いで移動してくれ、と言われて俺は駐車場に向かった。黒いバンがスタンバっていたけど、見かけない顔の運転手以外は誰もいない。不思議に思ってマネージャーに電話で確認すると、別件があるから一人で行ってくれ、現地に撮影隊が待っているから、とのことだった。雑誌か何かの撮影だろうと思い、俺はバンに乗り込んだ。
着いた先はビーチ沿いの高級そうなリゾートホテルだった。時間は真夜中を過ぎていた。ホテルのロビーはガランとしていたがコンシェルジュが一人俺を待っていてくれた。
「お待ちしておりました。お部屋にご案内します。」
宿泊客と間違えられたと思って撮影にきたことを伝えたが、彼女は笑みを崩さず、まずお部屋でお着替えと伺っております、と言ってエレベーターの方へ歩き出す。
なんか変だな、と思ったが撮影隊の姿も見えないし、聞く相手もいない。素直についていくと、部屋は海を見渡せる最上階のスイートだった。いよいよ変だ。着替えだけのためになぜこんな高そうな部屋を?
見るとガラスのテーブルに衣装らしきものが置いてある。タキシードのようだ。カードが胸ポケットからはみ出している。書いてある文字を読んで、俺は着替えもせずに部屋を飛び出した。
「もし答えがゼロなら、ゆっくり休んで、美味しい朝食を食べて帰ること。もしゼロでないなら、今すぐ着替えてビーチに来ること。」

ビーチまでの道はキャンドルで照らされた一本道だった。カードを握りしめて走っていく先に、誰が待っているのかはもうわかっていた。
ビーチにはキャンドルで照らされたパティオが設えてあった。中には6人がけのテーブルがセッティングされ、俺を待っている後ろ姿が見えた。
「なんで着替えてないの。」
彼は振り向くとまず文句を言った。目が笑っている。
「自分だっていつもの服じゃん。」
てっきり彼もタキシードで待っているのかと思っていた。普通のTシャツに短パンという格好だ。愛用のニコンを首から下げている。
「僕は撮影隊だから。」
そう言って笑うと、立ち上がって俺の手を取った。俺の目を見つめて、静かな声で答えは出たの?と聞いた。俺は少し息を整えて目を閉じた。何一つ嘘はつきたくなかった。
「答えはずっとわかってた。なかなか言えなくてごめん。この間言った通り、遠いところに行っても心は絶対に離れないって思いたい。これからずっと。そういう約束がしたい。愛かどうかなんてどうでもいい。全部かゼロか、というなら全部だよ。全部渡すよ。今だってほとんど全部なんだから。」
「それは僕のものになるっていうこと?」
挑むような目をして彼は聞いた。
「もしそう思うなら、そうだよ。もうとっくにそうだったんじゃないかな。」
冗談ぽく言った俺を彼は目で制した。とことん決着をつけるつもりのようだ。両手で俺の手を握り締めると自分の胸元に抱き込んで目を閉じた。
「結婚してくれる?もし全部お互いのものになると言うなら、それはもうほとんど結婚だよね。」
「そうかもしれない。そう言うなら、それでいい。誰がどう思おうと、誰になんて言われようが構わない。そんなことはどうでもいい。どんな形でもいい。ただ二人にとって、互いが一番ならそれでいい。」
彼は目を閉じたまま、かなり長いこと黙っていた。目を開けるといつもの笑顔になり、写真を撮るよ、と言った。
「プロポーズしといて、まず写真?」
俺が笑うと、彼は真面目な顔になった。
「言ったよね、僕の心はシェアできない。もし答えがゼロでも、全部でも、どっちにしろ一生愛する人の写真を撮って暮らすって決めてたんだよ。大切な人も大切なことも、一つしかないから。」

それからまた笑顔になると、こう言った。
「明日はタキシード着てくれる?」











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