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これは自論だけどね。

愛ほど歪んだ呪いは無いよ。

そんな台詞がある。
有名な漫画、アニメである呪術廻戦、その最強たる五条悟が、自分がどこを見据えるべきか迷っていた乙骨憂太にかけた言葉だ。
大事な人を失いたくないと乙骨が強く願った、そして呪いという強い思念体として存在することを余儀なくされた、里香。

恋愛観では好きと嫌いが表裏な自分には、乙骨の里香への一途さは羨ましくもあり。

男女の友情は成立するかという永遠のテーマ的なものもあるが、自分の答えはYesだと思っている。

自分が経験してきた恋愛がどんな形であれ過去話としていくつか話せるという時点で察してもらいたいが、あまり長続きはしなかった。
だからこそ、異性間の友情は成立すると思っているし、むしろそこがボーダーラインなんだろうと自分で自衛できるからということもある。
友達だから、できること。

それが恋人になった途端一溜りもないと思う。
友達のノリが恋愛で通じるのかどうか。

僕自身が住んでいる地域が人口密度的にそんなに満ち満ちではない地方民ということもあり、経験してきた恋愛はほぼ遠距離だ。

いつの間にか傾く。
どっちかの思いが重くなって天秤のバランスが崩れる。
その波紋を起こすのが大体僕が発端で、そこから広がるようにヒビが入っていく。
そして待っているのは、さようなら。

その瞬間に一気に好きと嫌いがひっくり返る。
さよならを告げられるギリギリの今の今まで相手を思っていた時間は何だったのだろうかと急に全ての思い出が無意味に思えてしまう。
大体そういう時は時間をくれだの、そっとしておいてだの、距離を空けられる。
相手はもうその時点で自分にもう見切りをつけかけているんだろうなあと、何となく察する。
でも、“もしかして”を願ってしまうから、その空白の時間にも相手を思い続ける。
信じている、好きだと。
まあ、そのままさようならとなるケースが今のところ100%だ。

考える時間の空白にできることはまだあっただろうに、ずっと相手を信じて手を取ることを願っていた時間がおじゃんじゃねえかと思ってしまうわけで。

でも一緒にいた時は楽しかった、幸せだった、大好きだった、本当だよ。

自分からすれば
あっ、そう。でも手を離したんだからもう恋人じゃないよね。友達に戻る選択肢は自分には備わってねえよ。
何が悲しくて、元恋人が嬉しそうにあの人が気になっているだの、今は何しているだの聞かねばならんのか。拷問か。
気持ちの整理をつけるのはいつも相手が先で、自分が気づいた頃には、全ての荷物と思い出をトランクケースに入れて私の中から居なくなっている。
自分は整理しきれない散らかった心のままで、泣きながら整理をする。
そんな状態のやつに、友達に戻りたいだなんて絶対声をかけてはいけない言葉だと思っている。

自分勝手も大概にせえよと。
恋人では荷が重かった、でも繋がりは残したい、友達に戻りたい。


それは相手にとって はあ?以外の言葉は出ない上に同時に1番つけてはいけない導火線に着火までしているもんだから、喧嘩売っとるんかと一気に頭が瞬間湯沸かし器にするミラクルな言葉だと思っている。


と過去の恋愛事情を思い出してふと考えたことである。
まあ結局何が言いたかったかと言うと

男女の友情は成立するが、
恋人に発展した時は一方通行だからな。

ということである。


まあ、僕の自論だけどね()

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