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龍と贄


水晶は穢れを祓う宝石なのだと。‬
‪故に、水晶は神に属する者、神へ捧げられる者にしか身につけることを許されない。‬

「ここ……は……」
なにか祠のような、小さな小屋に背をもたれたまま薄らと目を開けた。
季節は冬から春になったばかりで、枯れ草ばかりの畦道にはちらほらと雪が積もっている。
早朝…まだ薄暗さの残る或る朝。
なぜ自分はここにいるのか、どうやってここに来たのか……思い出そうとすると石で頭を殴られたような頭痛が走るのだ。

「うっ……ぐ、いた…、っ」

その痛みに思わず僕は頭を抱えた。
思い出すな、そう体が警告するような痛みだった。
何も情報がない、それは僕はとても不安で。
震える手で薄い着物を探り、出てきたのは手で握れるほどの大きさの水晶の玉だけだった。
何も分からない。
水晶ならば、どこかの質屋にでも売れば食い扶持は出来るかもしれない。

ただ……気力がなかった。
立ち上がることもおぼつかない。
それに……水晶玉を握る度に、何か言いようの無い気持ちになるのだ。ただ、身を離すな……水晶玉が喋る訳でもないのに、頭の中にこの文字が浮かぶ。
そっとまた着物の懐に玉を仕舞った。

この時期の寒さは、身に沁みる。
はあ、と息を吐けばもわりと白い霧となって宙へ溶けていく。

座り込んだ足に腕を組み顔を突っ伏した。
ただただ寒かった。
ただただ不安だった。
自分が誰かも分からぬ事がこんなにも恐ろしかった。

すん、と鼻をすすり、眠気に身を任せようとした時、何かの声が聞こえたが、僕には分からなかった。



───────────────


春の山菜摘みから帰ってきた時だ。
少年…いや、青年なのか。
龍神を祀った小屋にもたれ掛かるようにぐったりと身を任せた姿を見たのは。
春に差し掛かったとはいえまだ雪の残る田舎の村だ、蓑もなく、上掛けもない薄着の彼は凍死する恐れもあった。

「おい!あんた!しっかりしろ!眠ったらいかん!!おい!!!」

時折顔を歪め、う、と呻く青年は、恐ろしく美しく、儚く。色素の薄い髪の毛に手足はすらりと細く。日焼けの跡などどこにも無い白さだった。青年か…少し伸びた髪で女性とも見えるその姿に、自分と連れは少しばかり目配せをして動揺を隠せないでいた。

「あんた、とにかくここは寒いから……家へ運んでやろう」
「あ、ああ……そうだな。悪いが籠を持ってくれるか。俺がこいつをおぶっていくからよ」
「可哀想に…良いところの子だろうに、」

おぶわれた青年の手足は霜焼けで赤く染まり、だらりと力なく、ぶらぶらと揺れていた。

「お偉い方の事情は俺たち農民には分からねえよ。俺たちができることは……この子の命を繋いでやることだけだ」


───────────────


「ぐ…っ、んん……ここ、は」
「ああ、気づいたかい?お白湯でも飲みなさい、温まるよ。……あんた!あの子が目を覚ましたよ!」

恰幅の良い女性が自分の声に振り向いたかと思うと、安堵した顔で僕を見つめた。
その人の旦那さんなんだろう人に向かって、外に呼びかける。そのまま小走りで僕が寝ている布団へと寄ってきたかと思うと、横に座り、僕の背中を支えて温かいお湯の入った湯呑みを差し出してくれた。震える手で包み込むように湯のみを抱え、ゆっくりと誤嚥しないように流し込んだ。温かいものがじわりと喉を通り、ふわりと広がるように熱が浸透していく。

「山の神聖な湧き水で沸かした白湯だよ。きっと体の芯まで温めてくれるよ。相当冷えきっていたからね。」
「やあやあ……連れから目を覚ましたと聞いてね。気分はどうだい?」
「……ありがとう、ございます。ええ、と」
湯呑みを抱えながら夫婦を見つめるしか無かった。その顔には優しく、そして良かったと心から安心したという気持ちに溢れていた。
少しくすぐったい気持ちと、申し訳ない気持ちとが混ざった、そんな心持ちだった。

「寒い雪道に倒れていたんだよ。あんた…名前はわかるかい?どこからここまで来たんだ?」

その言葉に、僕は俯くしかなかった。僕ですら僕を分からない。申し訳なかった。

「それが……何も、思い出せなくて、思い出そうとすると、頭痛がして……」

こめかみを押え俯く僕に、女将さんはふんわりと頭を撫でてくれた。何度も何度も、優しく。

「相当辛い目にあったんだね…。体が心を守ろうとしてるんだ、そういうことを聞いたことがある。体が受け付けない苦しみは、思い出さない方がいいよ」
「ああ、それがいい。無理に思い出さなくていいぞ。」
女将さんも旦那さんも、優しく言葉をかけてくれた。それに僕は、こくりと頷き、ありがとう、と
答えた。

「手がかりになるかは分からないんですが……僕、これだけは持っていて。何か、知りませんか」

懐に仕舞ってあった水晶玉を夫婦に見せると、一瞬だが二人の目が動揺した様に揺らいだ。だが、それだけだった。

「……何かの形見なんだろう。あんた、それは誰にも見せずに大事にしておきなさい。記憶がなくてもそれを持ってきていたってことは、それだけ大事ってことじゃないか」
「そう……なのかな。そう、かもしれませんね」
「名前は……そうか、思い出せないんだったね。なら…旻(そら)はどうだい?」
「そら、」
「ああ。旻。あんたを見つけておぶって帰った日、それはそれは綺麗な青空が広がっていたんだ。ここんとこ雪や曇りで滅多に晴れた日なんてなかったのにだよ。運命みたいじゃないか。旻は寝ていて分からなかったかもしれないがね」
「そうだったんですね…。そら、綺麗な、青空……見たかったなあ……」

僕はとろりと瞼を落とし、目に映る青空を想像した。雲ひとつない、綺麗に澄んだ青空。それが、僕の名前。旻。そら。

気付けば口から旋律が流れていた。
このさもしい春と冬の隙間に差し込んだ、晴天。
この晴れた青空が、一瞬でも、人々の希望となりますよう。

頭にふと浮かんだ歌詞と音。

諳んじた後、ふと夫婦を見やると涙を浮かべて僕を見ていた。


────────────

青年が窓の外をぼうっと見つめたあとの事だった。
日は暮れ、藍色と茜色とが混じり合う空を窓格子越しに眺めた青年はそっと目を閉じ、口を開いた。

このさもしい春と冬の隙間に差し込んだ、晴天。
この晴れた青空が、一瞬でも、人々の希望となりますよう。

キンと冷たく澄んだ湧き水に頭から浸かったような、薄く透き通る絹布に指を滑らせるような。
伸びやかに歌い上げる白く細身の青年。
そんな体のどこに、そんな声量があったのか。
そんな体のどこに、そんな表現力があったのか。
心地よく、どこか懐かしい。
そして、少しの寂しさ。儚さ。

自分が青年をおぶった時に見た青空は、冷たい空気の中、やたらと青く、蒼く、高く、澄んで見えた。
それは自分の連れも同じ様で。

聞き入る程に熱くなる胸と目頭に気付くと、涙が目尻からつうと頬を伝い、畳にぽたりと落ちたのだ。
俺の連れは、鼻をすすり、袖の縁で目頭を押えていた。

心に沁みる、頭に染みる、そんな声と、歌だった。

───────────

「あ、の……僕……何か、粗相を、」


涙を浮かべる夫婦に気付き、僕は戸惑う。
何かしてしまったのだろうか。
不安気な僕に気付いたのか、涙を拭いながら夫婦はにっこりと笑った。

「いや!いや違うんだよ。違うんだ……ねえ、あんた、」
くい、と女将さんが旦那さんの袖を引っ張ると、旦那さんも頷きながら口を開いた。
「ああ……旻の歌を聞いた時に、すごく……胸がじーんと来たんだ。気づいたら、涙が出ていたよ。……旻は、歌が好きなんだね」

鼻声ながらも、僕がなにかしでかしてしまった訳では無い事を知り、ほっと胸を撫で下ろした。
やんわりと微笑み、旦那さんがかけてくれた言葉を噛み締める。

歌が好き。好き……か。
何となく、その美しい青空を想像して、浮かび上がった旋律にのせただけだ。
ほんの……数小節の、歌。
それで、涙が出るほどに喜んでくれるのなら……好き、なのかもしれない。

「お二人を見ていたら、話を聞いていたら……ふと、浮かんだんたんです。歌……そう、好き、……好き、かもしれません。でも何より、お二人が喜んでいる姿が僕にはもっと嬉しくて、好きなんです」

うんうん、と頷きながら女将さんと旦那さんは僕を抱きしめてくれた。その温かさに、僕も頬に何か濡れたものを感じたのだ。



流浪人の僕を、村の人達は暖かく迎え入れてくれた。子供たちと踊り、歌い、遊びながら、村の仕事を手伝い、汗を流し。
慣れない作業にたまに失敗もしたが、何やってんだい、とからからと笑いながら背中を叩かれた。
村の人はおおらかで怒ることは無かった。
失敗しても次がある、気にするなと励ましてくれた。

癒しの時間だった。いつの間にか思っていた。
僕はこの村の仲間なんだと。

祭りを楽しみ、季節を楽しみ。
外者の僕を受け入れてくれたお礼にと、お囃子に合わせて祭りには舞を踊った。即興ながら歌も歌った。
凛と響く僕の歌声に、酒に酔った者たちは涙を流し、それにまた笑いがつく。

賑やかな日はあっという間に過ぎていった。

そう、あっという間、だった。

村長様から話がある、と村の皆が長の家へと集まった。
季節は秋、だが風は冷たく、今にも冬はすぐそこだと物語るようだった。
女将さんと旦那さんと共に、村長様の話に耳を傾ける。

「我が村には、神話があることは、存じておるだろうが…一人村民が増えたのだったのう。
少し長くなるだろうが、皆聞いてくれるかの」

村は、ある山の麓にある。山には龍神が住み、冬を司る神として祀られていた。
龍神は好奇心旺盛で、人間がとても気になっていたと言う。
そんなある日、龍神は正体を隠し、人間として生活をすることにした。折々の季節の美しさ。美味しい料理に酒、祭り。龍神は至極満足なさったそうだ。
ただ、納める者が居なくなった山はそれはそれは荒れたという。
冬は毎日のように吹雪が起き、積もった雪で家屋が倒壊した家族もいた。寒さで食料も確保出来ず、冷たい山卸しに凍える日々が続いたという。
それを見た龍神は、心を傷み、村民たちを守るために再び山に帰ることとなった。
その時には人間としての記憶は消すことにしたそうだ。
寒さに凍える村民の哀れな姿を思い出さぬように。
ただひとつ、村民たちの温かさだけは忘れぬように、最も大事な記憶だけを持って、山へと帰った。
時折その温もりを思い出しては龍神は涙したという。
その涙は粉雪となって空に溶けるように降ったそうな。
それを見ていた上の神は、人間を憂う龍神を哀れに思い提案をしたそうだ。
100年に一度の一年間のみ、人間として暮らすことを許そう、と。
ただし、その年の冬は大雪、寒波、積雪、色んな災害に晒されるだろう。
その前に、正体を隠して山へ帰りなさい、と。

「皆の衆。今回の先占で大雪の結果が出た。龍神様の影響なのかは……わからぬ。」

村長の目がちらりと僕を見た。どきりと胸が締め付けられるような、僕の知らない何かを見透かされているような、そんな動悸がして、ぎゅうと膝の着物を握りしめた。

「よいか。…今年は去年よりも冷え込むかもしれん。皆、ゆめゆめ気をつけよ。各々食料の確保と家の補修にあたるが良い」

村長の言葉に、皆は一同礼をし、ぞろぞろと家を出ていった。

僕も女将さんと旦那さんを追って外に出ようとしたその時、後ろから声をかけられた。

「旻。…悪いが、渡すものがある。こちらへ来なさい」

村長が手招きし、自分の真正面へ座るように畳を指さした。指示に従い、そろりと正面で正座をする。ぱちぱちと炊かれる囲炉裏の火が弾けては宙に溶けていく音が響くほどに静かな空間だった。

「旻、と言ったな。そなたは……そうじゃのう、」

目を細め髭をゆっくりと片手で撫でる村長に、恐る恐る僕は尋ねた。

「あ、の……。僕のことを、知っているのですか」

「いやいや。……遠い村へ越して行った孫を思い出してな。旻と瓜二つじゃ。とんと似ておる。歌も舞も……芸術に長けておってなあ。旻を見ているとなかなか懐かしゅうてな…」
「…そ、の、お孫さんは、」

その時、一瞬だが、村長様の目が伏せ気味になり哀しみに染まったのを見たが、そのまま瞬きをした後には元の優しい視線に戻っていた。余りに一瞬だったが、僕には……僕は、何も言えずに、何も言わずにおいた。無意識だが、触れない方がいいと思ったのだ。

村長様は思い出すように腕を組み、宙を懐かしい目で見つめた。きっと、その目にはお孫さんの姿が映っているのだろう。僕はそう思った。


「…ああ、元気じゃよ。子供の頃はやんちゃ者でのう。細っこいが体力には自信がある者でな。今頃村のために何か奉公しておろうて」

少しの返答への躊躇いもあったが、村長は朗らかに笑った。僕を優しく見つめる目に、豆鉄砲を食らった鳩のように少し動揺したのだった。
あまりにも……とても、懐かしい目をしていたから。

「そうじゃった。これをな…旻に身につけておいてもらいたい。」

高価そうな桐箱に入っていたのは、水晶でできた耳飾りだった。
雫型に彫られた水晶に組紐で丸い水晶が編み込まれている、誰が見ても職人技と分かる代物だった。

「そんな…こんな高価なもの、僕みたいな者が頂く訳には、」
「いや。わしはの、旻。お前さんに持っていてもらいたい。聞けば村の手前に祀られている龍神様の祠で倒れていたというではないか。そして、あの夫婦が通りがかり、命長らえた。これはの……わしは何かの運命を感じるんじゃよ」

僕の言葉を遮るように、強く、そしてしっかりと、村長は言葉を紡いだ。

「知っておるかの。水晶というのは、穢れや邪なものを払う力が強い石と言われておる。旻が来てから、村はとても明るくなった。晴れた日も多く、実るものも豊作じゃ。旻にはまだ難しいかもしれんが、水晶という石は旻にとってのものだと思うんじゃ。だからの。年寄りからの贈り物と思うて、受け取ってくれると嬉しいんじゃよ」

破邪から守る石、水晶。
懐にある水晶玉、それは僕の面倒を見てくれている女将さんと旦那さんしか知らないものだ。
ただ、村長様の言葉に、懐のそれを着物越しに指先で触れる仕草をしたのは、至極自然な事だったと思う。


「…わかりました。そこまで仰るものならば…とても、大事に致します。」

桐箱から1つ耳飾りを取り出し、耳へと装着する。
右耳、左耳と付け、桐箱に蓋をし、村長へと返した。からり、と耳元で音をたてる水晶は冬の澄んだ空気を固めたように透明で硬い響きがした。
僕の姿を見つめる村長様のその顔は、とても満足そうな笑みだった。

村長様の家を出ると、ひやりとした風が通り抜けていった。
村の男衆も、女達も、来る冬に備えて村中をあくせくと動いている。屋根を直す釘打ちの音、収穫した山菜や農作物の入った籠を軋ませながら家へと運び込む音。準備を入念にしている姿。
冬は越せそうだと思う反面、言い知れぬ不安を覚えていた。

ぎゅ、っと、懐の水晶玉を握りしめた。
それは、とても冷たい温度を僕の手に返したのだった。



───────────────


そして来たる冬。


‪予想を遥かに超えた大雪と激しい寒波が、村を襲った。‬貧しい村だ。村長様のお告げから直ぐに動いた村人たち。だが、自然の脅威とはいとも簡単に人智を凌駕していく。
補強したばかりの屋根を飛ばされ。
食料をぱんぱんに詰めた納屋を雪で押し潰され。
僕を置いている女将さんと旦那さんの家は何ともなかったが、2人は毎日のように近所へと出向いては家屋を直し、食料を提供し、時には隣人を家に招くこともあった。
僕も微力ながら手当をしたり、家屋の修理を手伝ったり、積もった雪を散らしたりと力を使った。

その度に頭を駆け抜ける、村長の言葉。
山の神。
冬という季節。
水晶。
神と、人間。
耳元を風が抜ける度に、擦れて硬い音を立てる、水晶の耳飾り。

吹雪の中、振り返る。
雪で白く染まった山が大きく聳え立つように佇んでいた。冬で葉が落ち枯れ木となった森が山肌に覗き、更に寒々しさを思わせた。

吹雪、山卸し……山からの災害。
龍神伝説。
人が好きな、龍神。

僕は気付いた。水晶の意味を。
この村に行き着いた意味を。
思い出すなと重い頭痛が苛む中、それでも僕がこの暖かい村のためにするべきこと。

僕は、これから冬の山へ、自身を贄として捧げに行く。
さようならは言わない。
夜も更けた中、草履と蓑だけを纏い山へと走った。


‪冬の神なぞ誰も見た事がない、唯一村でのみ信仰している神。‬
‪在るのか、否か、それすら危うい神とやらに、身を差し出す。
人身御供。人柱。贄。
なんとでも呼称はできるが、意味は全て同じ、供物だ。

記憶も身寄りもない僕を救ってくれた、それだけでもいい恩返しだ。

‪こんこんと粉雪が降る山の麓、霜焼けに悴んだ手を息で温めながら、ふらふらと、でも確実に山を目指す。
後ろは振り返らない。
後悔したくないから。

‪降り積もった雪で軋んだ音を立てる鳥居。‬

‪こくりと生唾を飲み込み、潜る。
人界と神界を隔てる鳥居。‬
‪人であることを惜しいと思わぬよう、ゆっくりと冷たい息を吸い込み、吐き出す。

足を踏み入れた一瞬、耳鳴りがした。まるで警鐘のように。何かを、記憶を震わせるような、予感を秘めた耳鳴りだった。フラッシュの如く一瞬、何かが脳裏に写った。‬

‪何かを、ずっとずっと忘れているような気がした。‬頭痛がする。思い出したいという思いと、思い出すなという意識が葛藤する、吐き気がするような頭痛。

‪雪が静かに舞い散る平原の中、衣をはためかせ僕は緩やかに舞を始めた。‬
‪水晶の澄んだ音。凍てつく寒さ。雪で赤く悴む手足。‬
‪冷気に掠れる喉。それでも目を閉じて僕は舞続ける。
これまでの感謝。
村民への祈り。
名付けてくれた礼。
全てを込めて。
‪寒さに震えながらも、感覚が無くなっても、僕は舞うことを、歌うことを辞めるわけにはいかない。怒れる山を満足させなければ。人間としての最期の僕の仕事として、……

‪……最期?‬…人、間?

‪頭が弾けた音がした。‬


‪舞を辞め、ぱたりと下ろした腕は、人の腕に非ず。‬
‪陽の光を受け、複雑に光を反射する鱗、鋭い鉤爪。‬
‪明らかに僕の腕ではない。でも、僕の腕だ。紛うことなき、僕の…
青い青い空を仰ぐ。
いつの間にか雪は止んでいた。
‪嗚呼、思い出した。そうか、帰る場所。
僕は、、ぼく、は……

「たのしかった、なあ」







‪後に、ある人は語る。‬
‪冬の神は、龍だと。‬
‪その体は、白雪の白さ、鱗はまるで磨かれた水晶の様に光を反射するのだと。‬
‪100年に1度。1年の間だけ、龍は人に変化する。
‪その姿は儚く、朧気。芸術、舞踊、歌を好む。彼の者の歌声は、蜜のように、他者を魅了すると言われている。‬
‪神が人へ成るとき、神の加護は山から消える。‬
‪その年は雪が降り、寒波が襲い、人智を超えた災害へと至らしめる。
‪神は帰らねばならない。‬再び冬の山を治めるために。‬
‪その瞬間、人の姿は解かれ、また龍となるのだ、と。‬
‪人の姿になった龍は、龍であった記憶は持たぬ。純白である故汚れやすい。‬
‪そのため、水晶を持たせておくのだと。‬
1つの曇りも持たせぬよう、‪高潔な存在であるように。‬
龍に見える日はとんと来ぬ。
これは生きた神話。

後に村長は語る。
村には時折龍が人の姿を成してやってくるのだと。
自分の孫は、遠い村へ奉公に行く道中、山からの落石に遇い、不幸にも直撃し亡くなった。
青年は、旻は、孫と瓜二つであった。
中性的な顔立ちに色素の薄い、色白な肌。
声変わりをしても、少し高めな澄んだ声。
奉公先は、寺。
男性ながら見目麗しい姿から、稚児にと要請があったのだ。
拒んだが、孫の決心は堅かった。
自分が奉公に行くことで神の御加護が村にとどきますよ、と。
せめてもの土産にと、村を思い出せるようにと、腕利きの職人に頼んで水晶の耳飾りを作ってもらったが……奉公の日取りが早まり、渡せずにいた耳飾り。
やっと孫に渡せたと、暫く嬉しそうに語っていたと言う。

僕という存在と、龍と、贄。
生きた神話が織り成す、どこかの山の、どこかの村の物語。

信じるも信じないも、貴方次第。


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