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「NATOー残虐性の記録」を訪れて

はじめに

Twitter上で知った現代史博物館でのNATO展に行ってきた。
本編に入るまでに2点ほど。

  • 諸般の事情により、自分の感情は極力省き、何が展示されているかという事実の記載に努めていく。

  • 本展示は無料展示であり、写真も携帯で撮影する限りは無料であった。展示品は撮影したが、そのインターネット上への掲載には疑問があるため、基本的に文章でお伝えしたい。

展示全体について

本展示は、モスクワ中心部にあるロシア現代史博物館で行われている。

博物館外観

上にも書いた通り、本展示は無料展示である。チケットはオンラインで購入可能。私自身はオンラインで購入したが、急遽合流を決めた同行者とともにチケットオフィスに行き「NATO展を見たい」と言ったら即2枚くれたので、そちらで入場。

展示会場は3Fの一部屋。
大画面では過去のNATOの作戦一覧が、サイレンの音とともに延々と流れていた。
(AFP通信によると、戦闘機の飛ぶ音とのこと。)
https://www.afpbb.com/articles/-/3403647?act=all

展示。真ん中には特別軍事作戦の戦利品が。

ロシア現代史博物館とともに展示を準備したのは、以下の機関。

  • ロシア防衛省

  • ロシア連邦軍中央博物館

  • ロシア歴史協会

  • モスクワ国際関係大学

  • ロシア歴史公園協会「ロシアー私の歴史」

  • TASS通信

  • ロシア・セヴォードニャ(「スプートニク」等を運営する通信社)

展示について

ここからは、展示を順番に見ていく。
構成としては展示名、展示説明の要約、展示品の説明、としている。
要約は私の各作戦への知識の少なさから不確かな部分もあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

展示についての説明

現代世界で軍事政治的ブロックNATOは、世界のいたるところで自らの利益のため迷いなく他国に対し軍事力を行使する、歴史上最もアグレッシブな同盟の1つとして知られている。(冒頭文そのまま翻訳)

NATOは対ソ連集団安全保障システムとして結成され、絶え間なく拡大主義をとり、1990年代以降第三国を西側陣営へ取り込んできた。またロシアとNATOの関係性転のきっかけは1999年のユーゴスラヴィア空爆であり、2000年代以降のロシア国境付近(バルト3国+ポーランド)にも拡大してきている。

展示はNATOの罪の歴史を、1990年代のバルカン半島、2000年代のイラクやアフガニスタン、2010年代のシリア、そして現在のウクライナに至るまでの資料を用いて紹介している。

ヒロシマ・ナガサキ

西側のソ連抑制政策は第二次世界大戦の最終段階から始まっており、米国の原爆投下はソ連を含む他国に軍事力を見せつけることを目的としていた。

戦後同盟国間(米国とソ連)の関係は悪化し、ソ連を米国の重要な敵国とすることがその後数十年にわたって米国政治の根幹となった。

(展示品について)
爆発の様子や破壊された広島の街、被害者が病院(?)で横たわる写真が使われ、また折り鶴、長崎県知事が1991年に寄贈した平和記念像、原爆ドームのメダル、鶴柄の茶碗が展示されていた。

NATO結成

米国と西欧諸国での対ソ連関係の緊迫化による軍事ブロック設立時の米国の立場は、欧州にソ連抑制の負担を背負わせつつ、自らの世界への影響力のための経済的なコントロールは保つという二律背反するものであった。

1949年4月4日のNATO結成時、初代事務総長は「ロシア人を欧州の外に置き、米国人は欧州の中に入れ、ドイツ人は欧州の管理下に置く」としたが、西ドイツの軍事的ポテンシャルから、ポツダム会談での取り決めを破る形でNATO加盟と再軍備化が行われた。
当時のアイゼンハワー政権は西ドイツへの核配備までも検討した。

(展示品について)
ローマでのNATO脱退を求める若者デモの参加者が警察に連行される写真、コペンハーゲンでのNATO脱退を求めるデモの写真、インド洋沿岸の米軍基地配備図が展示されていた。

欧州へのロケット配備危機

1980年代初めに米ソ間の対立はエスカレートし、西欧には米国の弾道ミサイルなどが配備され、大規模な反対運動にもかかわらず1983年には軍事演習がソ連の軍事・民間施設と近い地域でも行われた。

これに対し当時のアンドロポフ書記長は、米国は自国領土への反撃のリスクを減らしながら、社会主義国に核の脅威を与えている、と指摘した。

(展示品について)
オーストリアでの軍拡競争反対デモの様子の写真やブリュッセルNATO本部にあるモニュメントの写真、ドルで支えられたピサの斜塔からミサイルが発射されようとしている絵が展示されていた。

バルカン戦争

ユーゴスラヴィア崩壊は流血の事態となったが西側諸国、特にドイツによる武器供与は事態を悪化させ、1992年にはNATOによってボスニア・ヘルツェゴビナに飛行禁止区域も設定された。紛争の原因はセルビア側にあるとされた。

1994年から1995年にかけてNATOはセルビア人側に空爆を行い、クロアチア人・ボシュニャク人の勢力を直接支援したが、同時に西側諸国は彼らの戦争犯罪には目を瞑った。

また嵐作戦の結果クライナ・セルビア人共和国が壊滅するとともに、展開していた平和維持部隊も撤退し、結果として25万人もの難民を生んだ。

(展示品について)
ボスニアでのアメリカ兵、空爆を受けたボスニア・ヘルツェゴヴィナの民家、難民キャンプでのボシュニャク人親子、そしてサラエヴォのボスニア紛争戦没者墓地の写真が展示されていた。

アラブの春の終わり

2011年3月、国連安保理は民間人保護を理由にリビア上空に飛行禁止区域を設定したが、NATO加盟国はこの決定を恣意的に解釈し、政権転覆に至った。
西側の協力でリビア国民評議会は首都を制圧し、旧政権のリーダーであったカダフィ氏は捕らえられ惨殺された。

一方で政権の安定化には至らず、内部紛争は今日まで続いていているうえ、地中海経由でのアフリカ難民のEU流入の増加やテロリストに武器が渡る事態も招いた。

(展示について)
リビア攻撃の犠牲者の葬儀で涙する男性、ミサイルによる爆発、負傷した戦闘員と医師、ベンガジ港から船に乗り込む難民たちの写真が展示されていた。

ユーゴスラヴィア空爆

1998年からNATOは、以前はテロリストと指定していたコソヴォのアルバニア人勢力を支援し始めた。
1999年3月にNATOはユーゴスラヴィアへの空爆を開始したが、ここではジェノサイド阻止とともにミロシェヴィチ政権の転覆も呼びかけられた。
またこの空爆は国際法規範に反し、国連安保理の承認を経ずに行われた。

78日にも渡る空爆にもかかわらずユーゴスラヴィア軍の損害は少なく、NATOは社会経済インフラの破壊へと目標を転換し、人道的悲劇をもたらし、また民間人の犠牲者も出した。

(展示品について)
空爆で破壊された建物やホテル、地下滑走路、空爆跡にできた沼地、英国兵、空爆された建物跡に座る子供の写真が展示されていた。

NATO空爆の犠牲者

ユーゴスラヴィア空爆時には数百人のアルバニア難民も被害を受け、またベルグラード中国大使館も被害を受けた。

セルビア側の発表では、NATO空爆で3500~4000人が犠牲となり、また約1万人が負傷し、その三分の二は民間人であった。
セルビアは軍需産業インフラを失っただけでなく、民家や橋、学校なども多くの被害を受けた。

(展示品について)
コソヴォ難民キャンプの子供たち、空爆を受けた国営テレビ・ラジオ局、被害を受けた子供であふれた病院の写真が展示されていた。

戦争への強迫観念

NATO加盟国は形式上平等だが、実際には米国が主導権を握っている。

また同盟国からの軍事費は拡大傾向にあり、この5年は年平均200億ドルで増加しており、全加盟国の軍事費合計は2019年には1兆ドルを超えた。

NATO加盟国はGDP比2%以上の軍事支出に合意し、そのうち20%以上が武器や軍事設備の購入に充てられている。その供給元は米国の軍事産業体であり、西側諸国以外からの購入は米国の抵抗に遭う(トルコのロシア製戦闘機購入など)。

(展示品について)
ブリュッセルのNATO本部にあるモニュメント、昔のNATO本部の写真、NATO将校たちの写真が展示されていた。

2000年代の戦争

9.11は米国に対する同情を呼び、対アルカイダ、タリバンへの軍事行動は支持されたが、米国はそのシンパシーを利用しイラクもテロと大量破壊兵器の廉で断罪した。この攻撃は仏独などの同盟国からも支持されなかった。

反対する同盟国は米国とのベクトルを合わせるのに別の分野を利用し、NATO史上最長の作戦となるNATO指揮下のアフガニスタン国際治安支援部隊が展開された。

ただアフガニスタンは安定せず、2021年の米国撤退により他のNATO加盟国も撤退を余儀なくされたが、それが完了する前にタリバンによる政権奪取が起こった。

(展示品について)
イラク空爆で家を失くした子供、アフガニスタンでの米国・NATO軍兵士のヘルメット、カブールのNATO基地や兵士写真、アフガニスタンとイラクへのは英数のグラフが展示されていた

シリア紛争

シリア、イラクにおけるイスラム国の展開は世界にテロの脅威をもたらしたが、それに対する対抗戦線は非常に政治的なもので、2014年に米国とその同盟国たちが参加し、その後2017年には全加盟国が参加する形でNATOも戦線に参加した。

一方でシリアの政権転覆は否定しなかったため、アサド政権との協働は難しかった。また米国とその同盟国は反対派に武器供与を行い、また政権の許しなく空域で軍事活動も行っており、その存在は国の統一と内戦の終結を妨害している。

(展示品について)
米国側のシリア空爆の被災地、ダマスカスの難民キャンプで赤ちゃんを抱える子供の写真が展示されていた。

今日のNATOとウクライナ

ウクライナのNATOへの合流は、1991年の北大西洋協力会議への合流と1994年の「平和のためのパートナーシップ」プログラムへの参加であり、2008年には加盟候補国となるための申請も行った。

ウクライナの反ロシア軍事ブロックへの接近は、2006年のフェオドシヤでのNATOとの合同演習「シーブリーズ」に対するものに代表されるような、国内でも抗議デモを巻き起こした。

2014年の政権転覆後は、憲法への加盟方針の明記、パートナー関係の拡大を経て、2022年2月にはミュンヘンの安全保障会議でゼレンスキー大統領による核保有への意欲も示され、それはロシアにとり看過できないリスクであった。

特別軍事作戦は、ウクライナでのNATO軍事インフラの存在と、ウクライナ軍およびネオナチ政権とNATOの密接な関係を明らかにした。同時にNATOはウクライナ政権側の要求にもかかわらず戦争当事国となることは拒否している。

(展示品について)
2006年フェオドシヤ港を走るNATOの軍事車両、クラマトルスクの空港でのバリケード(国民投票・ファシズムとNATOにNOをというプラカード付き)、2015年の共同演習に参加する兵士とウクライナのアヴァコフ国防大臣、2016年のリヴィウでの演習の写真、およびウクライナとジョージアのNATO加盟に関する図が展示されていた。

NATOのウクライナでの行動

ソ連崩壊後、米国とNATOはウクライナを次なる軍事活動の潜在候補と目論んでおり、定期的な共同軍事演習は反ロシア的方向性を帯びている。
2022年に他国軍、主にNATO軍がウクライナ領内に入れる法律も成立しており、数十の演習が予定されていた。

これらによりNATO軍は最短でウクライナ領内へ展開でき、また米国支援の空港網整備で米国空軍も最短での展開が可能となった。さらにウクライナ領空はロシア領内を偵察する米国の偵察機やドローンに開かれていた。
またオチャコヴォの海軍センターは黒海艦隊や黒海沿岸地域のインフラの脅威となる兵器を積んだようなNATOの戦艦の活動を可能としていた。

米国はそのような軍事拠点をクリミア半島にもつくろうとしていたが、地元住民の反対で阻止した。それを我々は忘れないだろう。

(展示品について)
2008年のセヴァストーポリでの反戦デモおよび2020年のオデッサでの演習の写真が展示されていた。

風刺画展「NATO-戦争を伴うもの」

政治風刺は、チャーチルが社会主義陣営との対決を呼びかける演説をし、米国主導のNATOが結成された20世紀半ばの双方によるプロパガンダ合戦の中で、その需要を得た。
NATOが自らの政策を押し付け、世界の脅威となる敵であるという姿は、ソ連が行った情報戦争の中で主要なものとなった。

ここで取り上げられているのはドイツの再軍備化やベトナム戦争といった、何百万人もの人が犠牲となった20世紀後半の重要な出来事についてのものである。

(展示品について)
ボリス・エフィモフ、ワシリー・フォミチョフ、ニコライ・ドルゴルーコフといったソ連の風刺画家に加え、デンマークの風刺画家ハールフ・ビストルップの作品も展示している。

特別軍事作戦 戦利品の展示

展示会場の中央には、今回の特別軍事作戦の戦利品の展示。
軍や国境警備隊の服、認識票(ロシア語)、アゾフや米国の旗、アゾフの認識票やナンバープレート、通信機器や対戦車ロケットが展示されていた。

まとめ

おそらくこの展示で伝えたいことは、
1)NATOは反ソ連、反ロシア的な同盟である。
2)NATOは自らの利益のために、国際社会や現地の反対を顧みず軍拡および軍事活動を行っており、その被害は甚大である。
3)今日ウクライナで起こっていることも、NATOの自らの利益のための軍拡のひとつに他ならない。
ということではないだろうか。

また難民キャンプや子供の写真がいくつか使われていたのは、ドンバスでの子供の被害と結びつける意味もあるのではないだろうか。

個人的には、今回の記事のために様々な確認を行い、知識不足を感じたため、もっと勉強しようと思った。

様々な意味でこの展示を見るのは精神的に負担があるが、訪れる意味はあると思う。

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