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【短編】 いつか、きっと――。 【妹シリーズ 書き下ろし】


 仕事を終えて家に帰ると、いつものように妹がお腹を空かせて待っていた。

 俺の仕事は終わる時間が不定期なので、早く帰れる日はいいが、遅い日は普通に23時を回ってしまうこともある。
 そんな俺に、妹は、

「こんな時間にご飯食べると、太るよぉ……」

 と文句を言ってくるのだ。
 それに対して俺は、作りおきをしておくことを提案したのだが、「嫌だ」と断られてしまった。
 その理由は、こんな感じだった。

「だから、俺が遅い日はご飯の作りおきをしておくから、それをチンして食べろって言ってるだろ?」
「嫌だ! チンしたご飯はあったかいけど、あったかくないんだもん!」
「なにそのなぞなぞ!?」
「ちがくて、そうじゃなくて!! なんて言うかね、チンして食べるご飯は、アツアツだけど、こう、あったかくないんだよ……えーと、心が?」

 意味不明だが、言いたいことがなんとなくわかるのは、俺がかれこれ十年以上、こいつの兄をしてきたからだろう。
 つまりは、要約するなら「さびしい」のだと思う。
 仕事に忙しい母。
 早くに亡くなった父。
 諸々の事情があって、再婚もしなかった母の代わりに、こいつの世話はほとんど全て俺がやってきた。
 小学校の授業参観も、俺が高校を休んで行った。
 中学校の三者面談も、俺が仕事を休んで行った。
 運動会とかのイベントでは、母も必死に休みを作って来てくれていたが、そういう意味で、妹はいつもさみしい思いをしてきたのだ。
 朝ご飯と夕ご飯。
 母はやはり、とんでもなく早い時間に家を出て、数日帰らないなんてこともザラだから、必然食卓を囲むのは、俺と妹の二人だ。

”チンして食べるご飯はあったかいけど、あったかくない”

 という、妹の言葉。
 それはきっと、一人きりの食卓は、広くてさみしい。心が寒々しい。そういう意味なのだと思う。

「お兄ちゃん! お腹すいた!! お腹と背中がくっついた!! 助けて!!」

 当然のように俺に飛んでくる妹の言葉を聞きながら、俺はエプロンを付けて、台所に立つ。
 朝仕込んでおいた食材を冷蔵庫から出して、調理に取り掛かる。
 細切りした錦糸卵に、千切りにしたきゅうり、トマトにチャーシュー、あとは、仕事帰りにコンビニで買ってきたカニカマ……

「お兄ちゃん! 冷やし中華ははじまらないの!? やっぱしうちでも、12月にはじまるの!?」

 そろそろ言い出す頃だと思って準備していた甲斐があった。
 まさかここまで予想通りだとは流石に思わなかったが、先日一緒にテレビを見ているときに、懐かしい芸人が、懐かしい歌を歌っていて、それを見た妹が、それから数日、その歌を鼻歌で歌っていたのだ。
 だから、そろそろ食べたいと言い出すと踏んで、今朝準備していたのが功を奏した。

 これも仕事帰りに買ってきた、縮れた卵麺を寸胴鍋で熱湯に躍らせる。
 タイマーを設定して、その間に食器棚から涼しげなお皿を見繕って出して、手早く胡麻だれベースの汁も作る。
 うちはラーメン屋ではないので、大胆な湯切りはしないものの、きちんと湯を切り、冷水に通して麺をしめて、用意した皿に盛り付けをしていると、匂いで気づいたのか、妹が台所にやってきて、俺の手元を見て声を上げた。

「冷やし中華、はじまった!?」
「おう、『冷やし中華、始めました』」
「いいね! さすがはお兄ちゃんだね!! さすおにだね!!」

 両手をあげて喜ぶ妹の横顔を見ながら、盛り付けを済ませた俺は、出来上がったそれを両手に持って、食卓へと運ぶ。

「あ、私、お箸とコップとコーラ持ってくね!」
「おう、サンキュ」

 俺のことを駆け足で追い抜いて、先に食卓につく妹が、満面の笑みでこちらを見上げて、両手を差し出す。

「お兄ちゃん、ありがと!」
「ん、どういたしまして」

 いつか、こうして二人で囲む食卓は、終わるのだろう。
 母が引退して、三人の食卓になるか、

「いただきまぁす!!」
「召し上がれ」

 それとも、こいつが嫁に出ていって、俺一人の食卓になるか……

「んん! おいしい!! お兄ちゃん、腕を上げたね!!」
「ん? そうか? 去年と変わらんと思うが?」
「ううん。絶対美味しくなった!! お兄ちゃんソムリエの私が言うんだから、間違いないよ!」

 どちらにせよ、いつか、きっと――。

 この幸せな食卓は、終わってしまう。
 それを、さみしいと感じる俺が居ることは、この脳天気に冷やし中華をすするこいつには、もちろん内緒だ。

 こいつの旦那になる奴は、大変だ。
 わがままだし、味にうるさいし、すぐ手が出るし……。
 でも、嫁に出てもらわないと困る。
 かわいいやつなので、行き遅れる心配はないとは思う。

「私、ずーっとお兄ちゃんのご飯食べたいなぁ……」
「いや、お前もちゃんと飯作れよ……嫁にいけなくなるぞ?」

 そんなことを考えていたので、思わずそんな話をしてしまった。

「……いいもん。私、お嫁に行かないし。ずっと、この家の子でいるもん」
「いやいや、そんな恐ろしいこと言うなよ。そんなこと言ってるうちに、あっと今におばあちゃんだぞ?」
「いいよ。おばあちゃんになって、お兄ちゃんが死ぬとき、私が見送ってあげるから!」

 屈託ない笑顔で、そんなことを言われると、嬉しい半面心配になる。
 こいつは果たして、きちんと嫁に行けるのだろうか? と。

 でも、それがいらぬ心配だとすぐに気付く。

 こいつは、いい子だ。
 かわいいし、馬鹿だけど、優しい子だ。
 俺の、自慢の妹だ。

 だから、いつか、きっと、素敵な相手にであって、
 いつか、きっと、素敵な恋をして、
 いつか、きっと、花嫁衣装に身を包み、

『お兄ちゃん、今まで本当に、ありがとう』

 なんて、何ながら、この家を出ていくのだろう。

 だから、その日を、俺は楽しみにしつつ、寂しく思うのだ。
 きっと、そう遠くない未来。

 いつか、きっと――。


 

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