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【短編】星空の下、湯気の中。【今日は何の日 : 0626 露天風呂の日】

 こういうときの、妹の常識にとらわれない発想には、いつも驚かされる。

「お兄ちゃん! 今日が何の日か知ってる?」

 朝、朝食を食べていると、妹から謎の質問が飛び出した。
 女性がこういう質問をしてくるときは、大抵なにかの記念日なのだが、残念ながら、何の記念日なのか、俺には皆目検討もつかない。

「全く心当たりがないんだか?」

 両手を上げて降参のポーズを取りながら、俺がそう言うと、妹は勝ち誇ったように、ドヤ顔でこう言った。

「今日はね、『露天風呂の日』なんだよ!!」
「……お前、大丈夫か? 熱でも――」

 突然、なんだかよく分からない謎の記念日の話をし始めた残念な妹の、残念な頭を真剣に心配したら、妹の全力のドロップキックが、俺の脇腹に刺さったのは言うまでもないだろう。

 スマホを使って検索サイトで調べたところ、驚くことに、どうやら今日、六月二十六日は、本当に『露天風呂の日』なのだそうだ。
 Twitterのトレンドにも入っていたくらいなので、もしかしたら、俺が知らなかっただけで、世間的にはもう、随分有名なイベントなのかも知れない。

 なんでも、岡山県真庭市にある、湯原町旅館協同組合さんと、一般社団法人・湯原観光協会さんが協賛で制定した由緒正しき記念日なのだという。
 露天風呂=『六(ろ)・(てん)二(ふ)六(ろ)』という、安直すぎる語呂合わせで、昭和六二年(1987年)の六月二十六日に『第一回6.25露天風呂の日』を開催してから、毎年湯原ではイベントやったとかやらないとか……
 とにかく、妹の考え出した意味不明な記念日ではなく、列記とした実在する記念日だったことに、俺は驚きを隠せずにいた。

「いてて……で? その『露天風呂の日』がどうしたって?」

 ドロップキックのダメージが残る腰をさすりながら、俺がそう問いかけると、妹は『待ってました』と言わんばかりに楽しそうな顔で、こう答えた。

「『露天風呂の日』に露天風呂に入らなかったら、それはもうバチが当たるでしょ!」

 渾身のドヤ顔に、俺は思わずため息がこぼれた。

 地域の団体が決めた記念日に、そんなバチを当てるほどの力はないだろう。
 それに、仮に『露天風呂』に入ろうと思ったとしても、ここには露天風呂はないのだ。
 今日はど平日の火曜日。
 俺はこれから仕事だし、妹もこれから学校だ。
 確かに、今日は俺の仕事は早く終わる日なので、妹の学校が終わる頃の時間には、早ければ会社を出られるだろう。
 だが、その時間から一番手近な温泉地に移動したとしても、どう頑張っても夜に到着することになる。
 カラスの行水なら、日帰りも可能だろうが、せっかく温泉に行くのにそれは妹が許さないだろうから、確実に泊まりになるだろう。
 そうすると、翌日も仕事&学校がある俺たちには、あまり現実味のないプランになってしまう。

「……んなくだらない理由で学校を休むとか許さないからな?」
「何言ってるの、お兄ちゃん? 学校は休まないし、何処か遠くにもいかないよ?」
「……露天風呂に入るんじゃないのか?」
「……? 入るよ?」

 もう、意味不明だった。

 しかし、強行の弾丸ツアーにならないことが分かって、ホッと胸をなでおろす。
 朝食を食べて、家を出るとき言った、妹の言葉。

「帰ってきたお兄ちゃんの度肝を抜いてあげるから、覚悟しておいてね!」

 という言葉に不安を覚えつつも、俺はいつも通り仕事+残業を終えて、いつも通り家に帰宅したのだった。

「おかえりなさいませ、お仕事お疲れ様でした」

 玄関を開けると、妹が浴衣を着込んで、土下座のスタイルで俺を迎え入れる。
 その姿を見て、すぐに妹がどういうつもりでそうしているのかを理解してしまえる辺り、自分の妹に対する理解力の高さに若干呆れる。
 おそらく、あの浴衣は『着物』のつもりで、あの土下座は『女将』のつもりなのだ。
 家を『温泉旅館風』にして、いつもの風呂に温泉の素を入れ、さながら『露天風呂』のような風情を楽しもう……といったところだろう。

「……で、どういうつもりだ?」

 なんとなく答えは分かったが、確認の意味も込めて、俺はわざとそう問いかけた。

「もぉ! お兄ちゃん、ノリ悪い!! フインキ台無し!!」
「雰囲気(ふんいき)な」
「どっちでもいいじゃん! ここは温泉旅館『妹湯』なの! 私は女将、でお兄ちゃんはお客様……OK?」
「いや、全然OKじゃないんだが――」

「おかえりなさいませ、お仕事お疲れ様でした」

 俺の言葉を無視して、先程のセリフを繰り返す妹の顔が笑っていない。
 どうやら、この小芝居に付き合わないと、話は先に進まないらしい。
 俺は、溜息を一つついて、仕方がないので、この茶番に付き合うことにするのだった。

「遅くなってしまって……予約の時間を過ぎて申し訳ありません。ちょっと仕事が押してしまって……」

 俺が、上着を脱ぎながら、靴を脱いで玄関に上がると、妹はすっと俺の横に立って、鞄と上着を受け取った。

「お荷物お持ちしますね。お時間の方はお気になさらないでください。その分ゆっくりお部屋の準備も出来ましたし……では、お部屋までご案内いたします」

 静々と頭を下げて、ゆっくりと歩き出す妹の後ろに、俺はついていく。

 てっきり俺の部屋に案内されるのかと思ったら、案内されたのは二階の客間だった。
 綺麗に掃除されているし、机には浴衣と急須に湯呑、それに茶菓子まで完備されていた。

「それでは、その浴衣にお着替えくださいませ。その間にお風呂の準備をいたしますね」

 俺の上着をハンガーにかけながらそう言うと、妹は音も立てずにさっと部屋の出入り口に達、再び土下座のスタイルで頭を下げると、すっと部屋を出て扉を閉めた。

「あれは、相当に練習したな……」

 俺は、言われた通り浴衣に着替えながら、妹の所作を思い出して一人感心していた。
 アイツは基本、そこまで器用なやつじゃない。
 なのに、あそこまで洗練された仲居然とした動きができたのは、単純に練習をしたからだろう。
 おそらくは、俺が帰ってくるまでの時間を、これらの準備とその練習に費やしたのだろう。
 完全に努力の方向を見誤っているが、その徹底ぶりには感心してしまう。

「お着替えはお済みでしょうか?」

 慎ましやかなノックの後、扉越しにこちらに語りかけてくる妹に驚く。
 ヘタをすれば、人生初のノックなのではないかとすら思う、妹の行動に言葉を失いつつも、

「ええ、大丈夫ですよ」

 と返答すると、音もなく扉を開けて、妹が部屋に入ってきた。

「……では、お風呂にご案内いたしますね」

 俺の浴衣姿を、つま先から頭までじっくりと観察してから、妹は踵を返して俺の前を歩きだした。

 さて、てっきり風呂場まで案内されるのかと思っていたら、予想に反して、案内された先は、ここ一週間ほど家を空けっ放しの母の部屋だった。

「おい、ここって……」

 俺の言葉を無視して、母の部屋の扉を開けると、そこは確かにお風呂場だった。
 いや、正確には、脱衣場か。
 衝立に、木の籠棚、母のドレッサーがそのまま髪を乾かす鏡台になっている。
 母はビールを冷やすために冷蔵庫を自室に置いているのだが、それの中には瓶の牛乳が入っていた。
 そして、窓の向こうのベランダに、確かに『露天風呂』があった。

 もともとあった観葉植物、すのこを敷いて、以前海外のスーパーを模した大型スーパーで、妹が欲しいと言って買った深さ1m以上のビニールプールが置いてある。
 立ち上る湯気が、そこのはられているのがお湯であることを教えてくれる。
 乳白色をしているので、温泉の素が入っているのだろう。

 予想以上にしっかりとした『露天風呂』に俺は言葉を失った。

「ね? すごいでしょ!? 私頑張ったでしょ!?」

 気が付けば、浴衣を脱ぎ捨て、ビキニスタイルになっている妹は、浴衣と一緒に女将のキャラも脱ぎ捨てたらしい。
 いつものテンションで、俺に絡んでくるが、俺としては、その格好に妹とは言え目のやり場に困った。

「ああ、凄い。素直に驚いてるよ……」
「でしょぉ!!」

 うちは高台にあるのもあって、ベランダから見える星空と街の夜景も息をのむほど綺麗だった。
 満天の星空が、湖面に映っているような……そんな光景。

「ほらほら、お兄ちゃんも脱いで!! 一緒に入ろうよ!!」
「一緒に!? いやいや、まてまて、だから浴衣と一緒に海パンもあったのか?!」

 もしかしたらと思って、用意されていた海パンを履いておいて良かった。
 俺の抵抗も虚しく、妹に力づくで浴衣を引き剥がされて、俺は為すすべもなく水着姿にされてしまう。
 あまり抵抗すると、ほぼ裸同然の妹のいろいろな部分が密着してしまうので、もう大人しく一緒に『露天風呂』に浸かることにする俺だった。

「はぁービバのん!」
「いや、まぁ……悔しいことに、いい湯なんだよな……」

 星空の下、家のベランダで、妹と露天風呂……
 ファンキーすぎる光景に、もう言葉も見つからず、黙って空を見上げる俺だった。

「来年もまた、『露天風呂の日』しようね!」

 満天の星空の下、満面の笑みの妹は、悔しいくらいに可愛かったが、

「……うーん、考えとく」
「えぇー!!」

 それは口が裂けても、絶対に言ってやらない俺だった。


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