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音楽家が『新カラマーゾフの兄弟』を読んで思うこと

『新』カラマーゾフの兄弟

「カラマーゾフの兄弟」ファンの私にとってはたくさんの「カラマーゾフの兄弟関連書籍」を読んできましたが、著者の方に尊敬と軽蔑を同時に感じたのは初めてです。

そもそも

そもそも、この『新カラマーゾフの兄弟』は『カラマーゾフの兄弟』を読んでいないと読むことができません。替え歌の元歌を聞いたことがない状態と考えてください。

続編ではない

『新カラマーゾフの兄弟』のタイトルを見た時に「よくもまぁいけしゃぁしゃあとそんなタイトルつけたもんだ」と100人が100人言ったのです。私もその一人です。で、そう言い放った全員が「秒」で買ったと思います。

原版(はらばん)

故原卓也氏が翻訳した『カラマーゾフの兄弟』を読まないと意味不明になるので注意してください。そして、その後に亀山郁夫氏が翻訳した版を読むのが必ず通るべき道です。そして亀山先生の先輩に当たるのが原先生だと考えて下さい。亀山先生をK氏、原先生をX氏と考えると意味が分かります。さらに亀山先生が翻訳した後に、「続編を考える」という本を書いているのでそれは最低でも目を通して下さい。意味不明になってきたら佐藤勝さんがカラマーゾフの兄弟に関する解説書を出されていますので、読んでください。ただし、見解は佐藤勝さん独自のモノも含まれます。

ゴーゴリなど

ゴーゴリなどのロシア文学を読んでいないと話になりません。

ポアロなど

アガサ・クリスティやエドガー・アラン・ポーの執筆の癖を知らないと何の話か分かりません。

トルストイについては

トルストイについては自分の哲学と照らし合わせて、自分自身の解釈を持っておかないと「むかつくこと」すらできません。

少しネタバレ

K氏が小学生や中学生相手に「イワンの馬鹿」をテーマに話す下りは、「オマエみたいな学校の先生が存在するから、資本主義社会の奴隷の労働者になる人が増えるんだよ」と腹立たしく感じます。これが著者のテクニックなのか、社会主義思考に対するアンチテーゼなのか、労働者へのおべっかか、1995年当時の生き方の擁護なのか、ロシア文学研究者としての保身なのかは分かりませんが、根こそぎ「むかつかせて」くれます。

音楽がマジ・・・

音楽に例えるのがこの亀山先生の素晴らしいところです。オーケーストラのように絡み合う、シンフォニーのような構造になっている、ダカーポのように頭に戻る・・・あらゆる音楽比喩が見受けられます。そして、登場する作曲家や楽曲もクラシックをたくさん聴いている人であることは間違いありません。しかし、タダの音楽ファンの域を超えておらず

「ど、どの口がオーケストラとか楽章構造とかぬかして腐っとんねん!だ、誰が読んどると思っとんねん!」

とゲロ吐きそうになります。

まとめ

まとめると、大笑いするほど面白い本です。本を叩き付けるほどむかつく本です。そして、文学、芸術、音楽、絵画、舞台、哲学に精通している人のみを相手にした本です。つまり、アホには分からん本・・・これ最高だと思います。

世界最高文学を21世紀にベストセラーとして返り咲かせた亀山郁夫先生というロシア文学者が自身の生涯の全てを注ぎ込んだ最初で最後(最後でなかったらすみません)の最高傑作だと思います。

津本幸司

なんで私がむかついてるかは以下の書籍を読んで頂けると分かります。あ、こっちの方が高い・・・ごめん

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