リモートメイドカフェ
存在もしなかった子供
好きだった人の子供って私の子供だったかもしれない子供という感じがする。
水子のような感覚。マジで全く関係ないのに。というか発想が失礼だよね?すみません。水子は確かに存在した子供だけど、それは存在もしなかった子供。
リモートメイドカフェ
不要不急のメイド喫茶。
今世界中外出ができない。
リモートメイドカフェは離れているご主人様と繋がり続ける方法を探していっせいに始まった。
離れて届けられるものは、現場で届けられるものとは種類が異なる。
何を届けるかの選択はその店の個性そのものだし、その店が考えるメイド喫茶そのものなんじゃないか。
メイド喫茶の本質はどこにある?
画面越しに見る他の店。
リモートでシャンパンを開ける。
一口も飲むことは出来ないけど、画面の向こうで名前を呼んでもらって
電波越しに目線が合うような気がする。
全然メイド喫茶の日常そのもののようだよ。
そういう関係性を大切に作ってきたことがわかるもん。
常連さんがまたあの場所に戻りたいと思うから成り立っている。
でもお話できないタイプの私はきっと入れない。
着いていけない。チャットも絶対遅いし。
私はそもそもドルヲタで、客がごちゃついたフロアへ、アイドルがこっそり投げてくれるレスが好きなんだ。(1回だけ注目を浴びるような派手なレスをもらったことがある。時間が止まったみたいで一生忘れられない。)
勘違いしたままでいたいから目が合った「かもしれない」だけでいい。
オンラインはむしろレスを、レスの相手をはっきりさせてしまう。
オンラインには空間が無いから。
自分のような弱いオタクには無理だなって思った。
でも私はメイド喫茶が好き。
メイド喫茶は想像の中にある
資本主義の世界のなかに、別の価値観で動いているような空間。
世界が複数あるかもしれないというままごと。
そこで新しいメイドが生まれて育って旅立っていくイメージ。
変わらずに営まれる。メイドさんという建前をみんなで大事に守っている。
そういう想像の重なりに、そういうひとたちの小さな関係性の重なりにみんなのメイド喫茶が立ち上がっている。
私はメイド喫茶に生計を立てさせてもらっている身だけど
メイド喫茶は想像の中にあるのがいいって思う。
故郷みたいな、帰れる場所的な感じでイメージだけでいい。
多分実在しなくてもいいと思う。存在もしない水子みたいに。
そういう場所が存在してることを遠くにいても知ってるってだけでいい。
世界が複数あること。
人のいない水族館の写真(関係ない)
恐慌の後、メイド喫茶が残っているといいな。。
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