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【21日目】貫禄

小学生の頃は落ち着いていると言われ、
中学生くらいから大人びていると言われ、
高校生くらいからおじさんと言われ、
「若いうちに老けているとそれ以上老けないよ」という誰が言ったか知らない言葉を信じて老け顔と戦ってきたのだけれど、
その言葉は嘘だったし『老け顔』だけが問題じゃなかったかもしれない。
貫禄の話。

見習いの頃

入門してから数カ月──『あられ』という名前を頂戴してすぐのこと。
「雲助師匠に挨拶に行くから」と白酒の後について鈴本演芸場へ行った。
こういう時は礼儀として雲助師匠より先に楽屋に入らないといけない。

緊張しながら待っているとダーク広和先生に
「師匠と並んでると兄弟みたいだね」
と言われた。
白酒がベビーフェイスで私が老け顔だからそう見えるのか。

──白酒さんが弟ね。

と先生。
師匠からは「余計なことを言わないように」と言われているので私はヘラヘラした。
白酒もヘラヘラしていた。

その時お会いした前座の兄さんが誰だったかは覚えていないけれど、
「なんかもうタテ前座みたいな風格だね」と言われたのを覚えている。
タテ前座とは寄席を仕切る上の方の前座のことだが、その時の私はタテ前座が何かわからなかった。

ちなみに雲助師匠は、
「あられって顔じゃねーな」と言った。

前座前期

30歳で入門して約一年半の見習い期間を経て楽屋入りをする頃には31歳と10ヵ月。
見習い期間は「お金を貯めろ」と言われていたので毎日昼も夜も寝ないで働いていたこともあってさらに老け込んだ。

コロナ以前の楽屋仕事というのは現在よりも大変で流石にちょっと痩せた。
高座返しによる膝への負担でコブができて、膝小僧が二つみたいになった。
年齢もあって「膝大丈夫?」「腰大丈夫?」と兄さん方に度々気を使わせてしまう。
「大丈夫です。お気になさらずに」と言うと、

「なんか二つ目の兄さんと喋ってるみたい」

よくわからないがタテ前座から二ツ目に出世した。

前座後期

「あられは私より貫禄がありますよ」

私の開口一番の後に出てくる師匠方や兄さん達がそのようなことを言うようになってきた。
またお客さんからも「妙に貫禄がある」とか「前座なのに謎の風格がある」としょっちゅう言われるようになる。
たまに「真打みたい」と。(また出世した)
ちょっと老けただけじゃそうはならない。
前座三年目のお正月、入りたてのお囃子さんに「お年玉頂戴しましてありがとうございました」なんて言われたこともあった。
あげてないよ。
一年経つごとに数年分の貫禄が付く謎の現象が起きている。

街を歩いていると、不動産会社に入社したばかりという若者に名刺交換を求められた。
色々な会社の方と繋がりを持ちたいらしい。
「名刺持ってないです」と言ったら「お休みの日は皆さん持ってないんですよね。会社と名前だけ教えてもらえませんか?」と言うので
【落語協会 桃月庵あられ】と紙に書いて渡した。
書いている間、一生懸命自己紹介してくれた。

「落語協会ってなんの会社ですか?」

それは私もよくわからない。
あの時の君、なんかの会社の偉い人だと思って声をかけたんだろうけど、下っ端でごめんな。破いて捨ててくれ。

貫禄

貫禄があるというのは良いことのように思えるけど実はそうでもない。
まず落語の腕が貫禄に追いつかないし、前座らしくないと小言を言われたこともあった。
あとTwitterやなんかのあられの落語の感想が大体「貫禄が〜」になる。
【あられ 貫禄】で検索してほしいくらい。

前座だから貫禄が際立っていただけで、二ツ目になると相応になるのだろうか?
それとも二ツ目になっても貫禄が付き続けていずれ「重鎮みたい」と言われてしまうのか?
40歳になった時に馬風師匠並の貫禄が出ていたらどうしようか。

武器

「お前は俺より貫禄を出すな」と兼好師匠は会う度に笑顔でいじってくれる。
「どうすればいいか本当に困ってます」と言ってみた。
そしたら「でもね、貫禄ってつけようと思ってつけられるもんじゃないんだよ」と。
それは……そうか。と何だかスッと入ってきて、急に特別な人間になった気がした。

貫禄も、そして老け顔も、どうにかしようと思っていたけれど、
個性というか、ふらというか、ニンというか、まあ武器なのかもしれない。
でも扱い方は今のところ全くわからない。


21/40 浅草演芸ホール 初日
【まんじゅう怖い】
この芝居は昼の部でやりたいネタが先に出てしまわないかビクビク。

朝から挨拶で稽古する暇もないので、稽古しないでもできる【まんじゅう怖い】ふざけるバージョン。
ふざけるのはほどほどで良かったかな。
色々間違えたけど誤魔化し誤魔化しやりました。
まあこんな日も。(こんな日ばかりな気がする)

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