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【14日目】新作落語

元お笑い芸人でネタ作り担当だったこともあり、

「新作落語はやらないの?」

とよく聞かれる。
新作派の師匠や兄さん達曰く
「お話を作れる、という時点で新作落語の素質アリ」
だそうで、つまらないものであっても噺家のほとんどが作れないそう。
今後どうなるかはわからないが、今のところ新作派になる予定もなければ古典と新作の両刀という道も考えていない。
その理由の話。

産みの苦しみ

お笑い芸人時代には1〜4分程度の漫才やコントを200本弱書いた。多くはない。
1つのネタを作るのに一日中パソコンの前に座って頭を掻きむしって、
「どうもー○○です」と自己紹介の一行しか出ないなんてのはしょっちゅう。
何も思い付かないという、ただただ時間だけが過ぎ去っていく──自分の才能のなさと向き合っているようなあの時間の怖さを知っているし、
そして完成した自分の頭の中のもの人に見せるという怖さも知っている。

「でもその分、ウケた時は最高でしょう」

最高だけどネタ作りの苦痛を超えないし、
あと普通にウケない時もあった。
それだけならまだしも、重い石を担ぎながら山道を登るような苦労をしてネタを作っている私の上を、何も担がずスキップで飛び越えるかのようにサクッとネタを作って面白い天才をたくさん見てきた。
だったら作るのが得意な人、好きな人に任せよう──というのが新作をやらない理由の一つ。

古典が好き

やっぱり古典が好き。
どこが好きか、これは最近答えが出たのだけれど、
くだらない噺を文化として残してきた歴史が馬鹿馬鹿しくて愛おしい。
70歳を超える師匠に稽古をつけてもらっている時「ここはこうした方がいい」なんて言われて、ふと『今、自分はこんなくだらない話を面白く喋るために70歳を超えるお爺さんと部屋で二人きりなのか』とか『このお爺さんも昔お爺さんから教わってるのか』と、考えて噴き出してしまった。
何十年か後、自分も誰かに教えるのだろうか。
歴史の層の一つになっている自分が面白い。

だからといって新作をやらないわけじゃない

「人生で一番凄いと思った高座は何ですか?」
と聞かれたら真っ先に思い浮かぶのが、雲助師匠の演じた【鉄砲のお熊(白鳥作)】。

白鳥師匠プロデュースの落語会で演者全員が白鳥作品を演じるのだけれど、中でも雲助師匠の高座が息をするのも忘れるような迫力で、
あのよみうり大手町ホールが水を打ったような静けさで、
光の中で朗々と語る雲助師匠が眩しくて、
そしてそれを袖の師匠方皆が食い入るように見ていて、
「これ目を離しちゃダメなやつだ」と楽屋仕事するのをやめた。

後で白酒の着付けにつこうと楽屋を覗いたら、一人鏡に向かって白酒が雲助師匠の仕草を真似していたのは内緒。

あの噺の衝撃は古典落語を長く続けてきた賜物で、だけど古典落語じゃあ生み出せないものだと思った。

雲助師匠は「もうやらない」と仰っていて凄く残念。
ただ、聴き逃した人には申し訳ないが確かに二回三回とやるのは違う気がする。
師匠もあれ以上はもうないと判断して「やらない」と言ったんじゃなかろうか。

新作をやるということが古典好きのお客さんにも楽しんでもらえるタイミングが私にも来ればやってみたいなと思う。


14/40 池袋演芸場 四日目
【家見舞】
この芝居の昼が新作芝居なので、前方のネタをあまりにしないで良いのはありがたい。
と、心置きなく【家見舞】をやったら、昼トリ喬太郎師匠の【禁酒番屋】と『汚いものを口に運ぶ』というところで変な付き方をしてしまった。
嫌な付き方だな。
最初もハプニングこそあったが笑ってくれるお客さんで良かった。

本来抜くはずだったくだりをやって大幅に時間をこぼす。
ウクレレえいじ先生には申し訳ない。
「池袋演芸場の高座初めてで緊張していたので助かりました。ありがとうございます」
って先生めっちゃ良い人。
協会入りたて(準会員)なのにご祝儀までくれた。
めっちゃ良い人。
写真撮ってもらえば良かった。

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