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令和五年正月五日 桃月庵白酒独演会 於・本多劇場

◎岸柳島

人間の脳には容量があるらしい。
故に生涯に覚えられる噺の数は300(500だっけ?)と決まっているそうだ。
だからあまり無駄なことは覚えておきたくないのだけれど──

六年前

素人の時にこの本多劇場の白酒独演会に来たことがある。

今でこそ私は「なんで俺が世の中をクリアに見なきゃいけないんだよ」とメガネを辞めたが、当時はメガネ男子。
真ん中より少し後ろの席で、モッコモコのジャンパーを着て開演を待っていた。

ふと、メガネの汚れが気になる。
当然メガネ拭きなんて持っていないので、ジャンパーの内側でメガネを拭く。
汚れが拡がった。
拭く。
拡がる。
拭く。
拡がる。
拭く。
拡がる。

「使いますか?」

無茶苦茶にメガネを拭く私に、隣の席の知らないおじさんがメガネ拭きを差し出してくれた。
ありがたい。
親切な人もいるもんだ。
うん。

「結構です」

断った。

なんでだよ。
借りろ。
ずっと拭いてるのが鬱陶しかったんだろうよ──と今は思うが、その時はなんだかメガネ拭きが汚れるような気がして断ってしまった。
しかしこれ、私は遠慮のつもりだったがおじさんの方は

「こんなおじさんのメガネ拭きなんて嫌かぁ……」

と、気にしてたりしないかな?
メガネ拭きおじさんに対しての申し訳ない気持ちが六年経った今でも『下北沢に来る』ということがトリガーで思い出される。
正直、こんな無駄な思い出に脳の容量を使いたくないぜ。

──というような事をこの日の本多劇場の高座で話し、

「今日来ているかわからないけど、おじさんあの時はありがとう」

と伝えて綺麗さっぱり忘れようと思っていたが、持ち時間が急遽短くなったので話せなかった。


志ん生師匠

稽古すればするほど志ん生師匠の高座に憧れる。
稽古すればするほど『フラ』と呼ばれるものが失われる気がするからだ。

この日も志ん生師匠の【岸柳島】を観てから本多劇場へ向かった。
とかく私の岸柳島は重くなるので、志ん生師匠のようにフワフワやってみようと思って稽古していたが、白酒が【長屋の算術】と【松曳き】という賑やかな噺。
「これはむしろ重くやった方がいいんじゃないか」と時短も兼ねて考えていたくすぐりを抜いて、いつもよりもさらに重くやってみた。
言わずもがな付け焼き刃で上手くいくわけもなく、お客さんの反応もないので途中で心が折れてしまった。

後に上がった師匠が「メンタルが大事」と連呼する謎のマクラを話す。
なんだか見透かされたよう。ぶつくさ。

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