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【4日目】黒田節

【黒田節】というのが私の出囃子。
福岡県福岡市の民謡で

〽酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)の この槍を 呑み取るほどに 呑むならば これぞ真の 黒田武士
Wikipedia

という歌詞で有名らしい。
残念ながら世代じゃないので私は存じませんでしたが、調べてみると美空ひばりさんがテレビで歌っていたり、
師匠方は「あれでしょ?」と口ずさめたりする。
相当有名だ。
こう言っちゃなんですが、福岡県には縁もゆかりもない。
じゃあ何で【黒田節】したんだよ、という話。

だいぶ適当

二ツ目昇進が決まった時に白酒に出囃子の相談をしたら、

「お囃子さんに新しく三味線の手を覚えてもらうのは申し訳ないから、既にあるもので誰も使ってないものにしな」

と仰ったので、それをそのまま近くにいたお囃子のおっしょさんに伝えた。
「そんなこと言われても……」みたいな顔をされていたので、
「名前が黒酒なので『黒』が付くものありますか?」と付け加えてみた。
で、すすめられたのが【黒田節】。

「お囃子の研修で習うものだから皆弾けますし、歌詞に『酒』が入ってていいですよー」

というので「じゃあそれにしますー」という感じで決まった。

聴いてみると

重々しい曲。
文七演らなきゃ嘘じゃん、みたいな。
権太楼師匠の金毘羅みたいな出囃子が理想だっただけに凄い嫌で、
「どうにかなりませんか?」
とまたおっしょさんに聞いたら、
「テンポ早くすればいいんじゃないですか? 跳ねるようにも弾けますし」って。
え? そういうのもできるの?
テンポを早くしてもらって太鼓を【楽隊】で叩いたらなかなか軽くていい。
これを録音して白酒に聴いてもらったら

「うーん……いいんじゃない?」

よくなさそうだな! て突っ込むところだった。

5/21紀尾井らくごにて

「【大拍子】か【テケドコ】じゃない?」と白酒。
どうやら黒田節に合わせる太鼓が【楽隊】ではないんじゃないか?
ということらしい。
出囃子が決まってからずっと考えてくれていたのかな? 
わからないけど、もう済んだ話と他人事みたいに聞いていたら──

「二席目、黒田節を大拍子で上がってみるわ」

なんで? 
先に使うの?
いや全然かまわないけれど。
「わかりました」
で白酒が黒田節で高座に上がって演ったのが【禁酒番屋】。
大ウケして袖に引っ込むまで拍手が鳴りやまなかったのが印象的だった。
楽屋で「お疲れ様でした」と言ったら、

「大拍子だな」

黒田節の歌詞は

筑前今様と呼ばれた福岡藩の武士たちに歌われていたものが日本全国に広まったもので、雅楽の越天楽のメロディーにさまざまな歌詞を当てはめて歌う越天楽今様が元になっている。 ある日、黒田長政は酒好きの福島正則のもとに家臣の母里友信を使いに出した。友信もまた酒豪であったため、長政は酒の上での間違いを恐れ、杯を勧められても飲むことを禁ずる。しかし、行ってみると案の定酔っ払っていた正則は、よい飲み相手が来たとばかり酒を勧めてきた。固辞する友信に正則は「黒田の者は、これしきの酒も飲めぬのか」と執拗に酒を強い、巨大な大盃を出して「これを飲み干せば、何でも褒美を取らす」と言ったため、心を決めた友信はその杯を見事に飲み干し、褒美に正則が豊臣秀吉から下賜された自慢の日本号を貰い受けた。翌日、酔いがさめて青くなった福島正則は、使いをやって槍を返してくれるよう頼んだが友信はこれを断り、のちの朝鮮出兵に日本号を持参して武功をあげた。
Wikipedia

という酒でしくじった話が基になっている。
何が言いたいかというと、もう【黒田節】だから【禁酒番屋】なわけで、【黒田節】を基に【禁酒番屋】という噺は生まれたんじゃないかと思うくらい合ってて
「うわーやられたー」
が先に来て、暫くして
「自分以上に自分のこと考えてもらってんな」
と思った。

白酒に噺の稽古を未だに頼んだことがない。
最初は【禁酒番屋】かな。

余談

まだ芸名がなく本名の『黒木』で修行をしていた頃、兄弟子のこはく(当時はまぐり)が
「寄席に出入りする時は名札が必要だから」
というので名札を作ってくれた。

『黒田』

と書いてあった。
こはくは福岡県福岡市出身。
あの時から黒田節と決まっていたのか。


4/40 鈴本演芸場 四日目
【十徳】
2年ぶり3回目の十徳。
昨日の牛ほめに続いて蔵出し。(蔵出しか?)
こんな話でも思い出すのに3日くらいかかる。
今日は平日なのに、昨日よりお客さんが多かった気がする。しかも陽気。
毎日ネタ選び間違ってる気がするな。

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