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【38日目】自分の声

「落語が上手くなるにはどうすればいいですか?」

そんなものがあれば誰も苦労はしないのだけれど、
前座として楽屋で働いているときに何度かこの質問の答えを聞いたことがある。
いくつかあって、一つは『名人の落語を聴くこと』。

──なるほど、わかる。

名人の落語をたくさん聴いていれば耳が肥えて、自分のおかしなところに気づけるもんな。
それはやってる。
なんだったらみんなやってるんじゃないか?

『考えること』という意見もある。
名人に限らずたくさん落語を聴いて、どうしてこの人はここでウケるのか? どうしてウケないのか?
これを常に考える。

──なるほど、わかる。

考えたことを自分の落語に取り入れていけば必然的に上手くなるはずだよな。
疲れるけど。

中で特に多いのが『自分の落語を録音して聴くこと』という意見。
自分の落語を聴いておかしなとこがあったら直せばいい、というシンプルな理由だろう。
なるほど、わかる。

ただ自分の声がメチャクチャ嫌いなんだよな。

自分の声がコンプレックスで録音なんて地獄みたいなこと絶対できない。

「第一ホントに自分の落語を聴いて上手くなるの?
だったらその時間使って名人の落語を聴くわー」

と、なんだかゴチャゴチャ言い訳して自分の落語を聴くことから逃げていたのだけれど、でもしょうがない。
上手くなりたい。

紀尾井らくごにて

二ツ目昇進目前の10月29日の紀尾井らくごで『千早ふる』をネタおろし。
初めて自分の落語を録音してみた。
吃驚した。
ネタおろしで緊張しているからなのか、調子よくやろうとして自分が思っている声より二つくらいキーが高い。
少しだけ抑揚をつけたいと思ってやったところが、抑揚がつきすぎて変な喋り方になっていた。
間をとっているつもりでも、聴いてみるととれてないし早口だし。
ウケたなーと思ったところがそんなにウケてなくて、ウケてないなーと思ったところがウケてた。

どうやら高座の上での自分の感覚というのはアテにならないらしい。

その後

大御所の師匠方は言う。
「以前は皆志ん朝師匠に憧れて、皆志ん朝師匠の真似してた。あれは志ん朝師匠だから良いんだよ」

日々鳥肌をたてながら自分の声を我慢して聴いている。
私もやっぱり志ん朝師匠が好きで、調子のとり方を少し真似してたりしたのだけれど、それがたまぁに気持ち悪い。
披露目の間はなるべく自分のイメージ通りの声を意識してキーを気持ち下げて、それから「ええ」など調子をとる言葉はなるべく使わないようにしている。
なるほど、自分の声を聴くだけで落語がこれだけ変わる。

雲助師匠も「稽古用に」と何十年も前のご自身の高座の録音を大量に持っている。
自分の落語を聴くと上手くなる──信憑性がある。

余談

自分の声が嫌いなのだけれど、たまに「良い声だね」と褒められることがある。
これまで色んな人に真似されたりして馬鹿にされた声なので、正直嬉しくない、というか「はー……そうですか」だったのだけれど、
今日、アゲの稽古で私の大尊敬する師匠から

「良い声してるね」

と言われた。
歌舞伎やその他諸々に明るい師匠なので、これは、なんというか、信じていいのだろうか?
嬉しくて高い寿司食べた。


38/40 新宿末廣亭 八日目
【出来心】
好きなものを最初に食べて、嫌いなものを後回しにするタイプなので、苦手な噺が披露目の最後まで残ってしまった。
一番苦手な噺が【出来心】。
ただお客さんが陽気で助けてもらいました。

【出来心】は稽古しても稽古しても頭に入らない。
噺もなんとなくパッとしない印象。
工夫しようにもよくできている噺なので手を加えない方がいい気がする。

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