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【27日目】思い出

訃報がある度に故人との思い出をツイッターなどで発信する人を見て、性格の良くない私は「目立とうとしてんのかな?」とか「良い人アピールしてんのかな?」と思ってしまう。
いや、思ってしまっていた。

前座になってすぐの頃、大体の訃報はお会いしたことのない師匠方ばかりで、
どこか遠い国の人の死とあまり変わらない、「そうかぁ」くらいのもんで、やっぱり他人事だった。
しかし前座も長く続けていると、お茶を出したことのある師匠、着付けについたことのある師匠、お話したことのある師匠とお別れすることが多くなってきて、2021年なんかはあまりの訃報の多さに「あの世で大規模な落語会でもやんのか」と思った。

2022年8月27日、金翁師匠がお亡くなりになられました。
芸歴80周年記念落語会で私は前座で入っていて、師匠は【景清】をお演りになられた。
娘さんからのリクエストだそうで、終演後娘さんが「おとっちゃんありがとう」と抱きついて、金翁師匠は目を合わさず「ん」とだけ言った。
家族にもお客さんにも芸人にも喜ばれる高座って、これが究極なんじゃないかと思った。

1月19日の末廣亭が最後の寄席だったそうだ。
やっぱり私がタテ前座で居て、タテは金翁師匠の髪型をセットするという重要任務があった。

「かっこよくしてくれよ」

そう言われたが寝癖がどうしても直らなくて、だけどずっとクシを当ててるのも失礼かと思い「できました」と言った。
最後の寄席、もっとかっこよくできればよかった。

噺家があの世に行くとよく「前座からやり直し」なんて言う。
しかし芸歴80年を超えて、あの世でも噺家やるかなぁ? と思っていたけれど、末廣亭で師匠は

「【明烏】はこうしたら面白くなると思うんだよ」

とご自身の考えた工夫を話していらしたので、噺家をやるんでしょうね。

誰かの訃報がある度に、故人との思い出をツイッターなどで発信する人の気持ちがわかった。
思い出が勝手に溢れてきて、そしてこれは何にも残さず、伝えず、忘れてしまっていいものじゃない気がするからだと思う。

だから今日は三ヶ月前のメモをそのままのせただけ。


27/40 浅草演芸ホール 七日目
【粗忽長屋】
この芝居は稽古したものよりも直感を優先している。

朝、「熊さんがまともな方がツッコミでより面白くなるんじゃないか?」と急遽試してみた。
今までの粗忽長屋と反応が違うので少し面白い。
しかし朝思いついて夜やるのはちょっと稽古不足。

池袋演芸場 奮闘馬石の会
【二人旅】
今後もやっていくような噺ではないだろうなぁ。
やりたい事と噺の本質が違いすぎる感じがする。
何にも入れ事しないザ・柳家みたいな人に任せます。

とはいえ今日の馬石師匠みたいに50歳くらいでやりたくなるかもしれない。

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