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【6日目】経歴

30歳という、年齢制限ギリギリで入門を許されたので、

「入門する前は何をしていたの?」

とよく聞かれる。
真面目に答えるのも恥ずかしいので、

「フラフラしてました」

と答える。

「じゃあエリートだな」

フラフラしていると落語の世界ではエリートと言われる。

子供の頃の夢

TVゲームの好きな子供だったので、
「将来はゲームを作る人になりたい」
なんて言っていた。
ゲームを作る人が具体的になんなのかはよくわからないけれど漠然とそう思っていて、
パソコンは使えた方がいいだろうということで工業高校の情報科に進学する。
そして更なる専門知識を学ぶために専門学校へ──と思っていたのだけれど、どうやらそういった学校に入学するのは金銭的に厳しかったり、クラスの9割が就職することもあって、
「親に苦労をかけるのもなんだし、ゲームは趣味でやって、贅沢言わないでやりたくない仕事でもやろう」と決意する。
大人は皆やりたくない仕事の中でやりがいを見つけて生きている、という認識だったので自分がそうなることに抵抗はなかった。

就職

高校を卒業してスピーカーやなんかを作る会社に就職した。
何故? と言われても何の理由もない。
入社したのは私だけで同期は一人もいなかった。
その上30年ぶりの新入社員だとかで年齢の近い人もいない。
生来の人見知りも炸裂して、昼ご飯は倉庫の奥で一人コソコソ食べていた。
高校を卒業すると友達とも疎遠になる。
途端にゲームへの熱も冷めてくる。
ゲームが好きというよりかは、ゲームを通してコミュニケーションをとるのが好きだったんだろうな。
仕事は面白くない。

「人生つまんねぇな」

そう思いながら一カ月ほど歯を食いしばっていたときに、ふと思う。

「今の仕事と真逆の仕事をすれば人生めちゃくちゃ楽しくなったりするのかな?」

急に何処からか飛んできたボールをバシッとキャッチしたような、
キャッチしたもののどこに投げ返せばいいのかわからないというような。
手元のボールを毎日見ては心がザワザワして、何かないか? と出した答えが、

『お笑い芸人になること』

それも地元の大阪ではやらない。
大阪を離れて東京。
とにかく全部をガラリと変えたかった。

元お笑い芸人

ほどんどの方が知らないと思うが、私は元お笑い芸人だ。
前座見習いの頃『白酒ひとり』で師匠が一度だけ高座で言ったことがあるくらい。
誇れる経歴ではないし言うことで損しかしないので、楽屋でもなるべく知られないようにしていた。

会社に辞表を出して、とりあえず誰でも入れることで有名なお笑いの学校に入学して、何も残せず一年で卒業。
そのまま事務所所属になったものの、特にお笑いが好きだったわけでもないテレビゲーム好きだった私は、右も左もわからず、ライブに出ても毎回30組中27位とか。
思想がヤバい奴、声が小さくて聞き取れない奴、ネタを飛ばして無言で立ってるやつを含めての27位。
驚くほど向いてなかった。

笑いと言ったら『寄席演芸』という方には馴染みがないだろうが、お笑い事務所の若手お笑いライブの殆どはお客さん投票で順位が付けられる。
当時はショートネタブームで持ち時間は1分~2分。
それを月2回ほど。
ライブに出るためには毎回『ネタ見せ』という審査があって、それに合格しないと人前に立つこともできない。
合格するとチケット買い取りで1~2万円ほど払って、つ離れしないお客さんの前でネタをする。
売れてないから他に活動もなかった。
毎日毎日ネタを書いて、毎日毎日アルバイト。
そこいくと、前座はバイトを辞めることができて、15分の高座が多い時は月10回以上もあって、その上お金が貰えるんだからとんでもなく恵まれていると思う。

勉強の2年

5年ほどお世話になった事務所を退所した。
退所したといっても芸人を諦めたわけではなくて──というよりかは、お笑いをやっていた5年を無かったことにできなくて──モノを知らなさすぎるのでお笑いの為の勉強をすることにした。
バイトの数を増やしてお金を貯めて、貯めたお金を全て自分に投資する。
具体的には毎週末、歌舞伎や演劇、美術館にクラシックコンサート、知らないロックバンドの武道館ライブ……エンタメ雑誌を買って気になる公演は片っ端から観た。
そしてこの期間に初めて落語を生で聞いた。
ネタ作りも舞台に立つことも何にもしない。
平日昼夜でアルバイトをして、週末はエンターテイメントに突っ込む。
これを2年続けてお笑いに復帰する。

勉強の甲斐というものはあるもんでライブで勝てるようになり、新たにお笑い事務所にスカウトされた。
ありがたいことに様々なテレビ番組のオーディションなど仕事を振っていただく。
しかしその頃の自分はもう舞台にしか興味がなくなっていて、1年ほどで事務所を退所する。

噺家になる

お笑い芸人がお笑いでご飯を食べようと思ったらあの頃はテレビに出るしかなくて、舞台だけで食べていく仕組みがなかった。
「お笑いじゃないのかもしれない」
そう思ってからはすぐで、ここからの経歴はもう書かなくてもいいと思う。

白酒に入門しようと決めたのは、初めて聴いた落語が白酒で、白酒の落語しか聴いていなかったから。
以前『噺家が闇夜にコソコソ』という番組があって、それに師匠が出ていて、
体型と声の良さが自分の漫才の参考になると思い、
「ももつきあん? 聞いたことねーな」
くらいの感じで観に行った。
落語の内容は全く分からなかったので、動きとかそういうのをずーっと見ていた。
これを定期的に続けていたので、畏れ多くも師匠に似ていると言われるのかもしれない。

聴き続けていると、落語はわからないけど師匠の面白さはわかってくる。
今でこそ落語が好きだけど、見習いくらいまでは落語というよりはただ師匠が好きな奴だった。
そんなわけで
「この人に入門を断られたらカタギとして生きていこう」
なんて。

芸は人なり

ざっと計算してみたら6年間(勉強期間も入れたら8年間)のお笑い人生で6時間も舞台に立っていない。
だけどそんな最底辺のお笑い芸人であっても『元お笑い芸人』には違いなくて、
「お笑いやってたから落ち着いている」
「お笑いやってたからある程度できる」
なんてたまに言われる。

いやいや落語は全然違う。
なんだったら自分もお笑いの経験が落語に活きると思っていた。
だけど蓋を開けてみれば、緊張で絶句するし高座で鼻血を出すし、
お笑いの頃の悪癖は今も直している途中。
初高座は10歳以上も歳下の弟弟子の方が達者でウケていた。

本当は『元お笑い芸人』ということは隠しておきたかった。
繰り返しになるが、誇れる経歴ではないし言うことで損しかしない。
だけど芸は人なり、人生が落語に反映されるなんてことを言う。
ここまでの私の人生を読んだアナタが、これが落語にどう反映されるのか? と興味を持って聴きに来てもらえると嬉しい。
回り道をした甲斐がある。


6/40 鈴本演芸場 六日目
【野ざらし】
菊一もけい木兄さんも和助師匠も「分かりやすい方が良いね、子供がいるし」というが【野ざらし】で強行。
大好きな噺だけに少しミスするとやってる最中に反省して、それがまたミスを呼ぶ。
さいさい節も調子を外す。
袖で正蔵師匠が見ていたからより緊張した。
高座を降りたら「声が良い。だけど今日のお客さんは野ざらしじゃないなぁ」と師匠。
よっぽどネタ選びを間違えたらしい。
この辺が前座の時の高座と二ツ目の高座の違いだと思うな。
昨日と今日逆だったら良かったかもしれない。
だけどかっこいいとこ見せたかったんだよ。

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