令和六年九月廿三日 第六回黒酒八楽二人会『968』於・スタジオフォー
八楽との同期会も六回目。
なんだかゆる〜い空気でやりやすかったです。
いつもオープニングから変な空気になりがちでしたがそんなこともなく。
ただ、ゆる過ぎてもう一人のギラギラした黒酒は「物足りなくないか?」と言っていた気もします。(お客さんの中にもいたかもしれません)
まあでも、この辺は八楽が埋めてくれているはず。
◎のめる
何も考えずに寝不足で高座に上がるとマクラで悪い癖が出る。
なんかぐちぐち言ってたな。
よくない。
謝楽祭の事とか喋る事あったんだけどな。
『のめる』も事前に稽古しなくてもできるようになりました。
自分流の工夫もたくさん入っていて黒酒らしい噺になっているんじゃないでしょうか。
少しふざけるくらいがウケてふざけすぎるとウケなくなる噺。
この塩梅を勉強する噺だと思っています。
◎千両みかん
11月に和歌山で【千両みかん】をやらなくちゃいけないので、ここでネタ下ろし。
まだまだ暑いからちょうどいいかと思っていたけど、この日はだいぶ涼しくて、季節外れ感は否めない。
先々月が人情噺のネタ下ろし、先月が怪談噺のネタ下ろしで、少しフォームが崩れている感じがある。
滑稽噺は、私が落語を知った頃から、白酒を始め売れっ子の師匠方がドカンドカンウケているのを見てきているので、『笑わせてなんぼ』が私の正義。
で、そういう落語をする人は、視点が登場人物じゃない感じがする。
役を演じきってない、『全体を俯瞰で見ている』というか。
んー、個人の感覚なので説明が難しいが、噺半分人間半分な感じがするのだ。
うちの師匠の代書屋で言うと、噺に出てくるのは代書屋さんだけど半分白酒みたいな。
伝わるだろうか。
【のめる】はそれがちょっとできている気がする。
そこいくと人情噺怪談噺は、あべこべに完全に役に成り切っちゃった方がすごく良くなる感じがする。(私感)
自分を完全に消しちゃう。
登場人物の感情に寄り添って話す。
なもんで、【千両みかん】を滑稽噺としてやった時に、
人情噺怪談噺の時と同じ調子で、役に入り込み過ぎた感じがした。
『若旦那が死にそうな時に番頭こんなにふざけるかな?』という違和感。
番頭半分黒酒半分で演じていればもっと軽くていい感じになったと思う。
までもそれが難しいから「滑稽噺が一番難しい」。
あくまで個人の感覚の話。
半年ぶりの八楽との同期会。
なかの芸能小劇場の自分の会で忙しくて、ずいぶん間が空いた。
しかし来年は全くと言っていいほど、なかの芸能小劇場の会場予約が取れてなくてスケジュールに余裕があるので、
2025年は三月にいっぺんくらい開催できればと思っている。
次回はたぶん一月。
その時は是非!