見出し画像

【15日目】落語ノート

私は師匠に4度ほど弟子入り志願をしている。
最初が2016年の10月。
何かの媒体で師匠は
「弟子入り志願に来るやつは汚い格好をしている」
というようなことを言っていたのでスーツを着て、就活面接の気持ちで臨んだ。
「今弟子が二人いるからとらない」
と言われた。

二回目が翌日。
「翌日来てもダメ。君を試してるわけじゃない。とらないものはとらない」
と言われた。
ただ去り際に
「半年後、同じこと言ってるか分からないけど」とも。

三回目が半年後。
「半年前に弟子入り志願させていただいた者です」
と言ったら、
「落語は聴いているか」「貯金はいくらか」
そんなことを聞かれた。
「落語は白酒師匠だけ」「貯金はありません」
と言ったら、
「たくさん落語聴いて」「貯金して」
と言われて断られた。

後から知ることだけど、
「たくさん落語聴いて」というのは、
『いろんな落語を聴けば俺じゃない誰かのところへ行くだろう』ということらしく、
「貯金して」というのは、
『貯金ができるぐらい今の仕事で稼げたら噺家を諦めるだろう』という事らしい。

しかし私は素直な良い子だったので
「たくさん落語聴いて」というのは、
『噺家たるもの落語に詳しくないとダメだから今の内から勉強しておきなさい』ということだと思い、
「貯金して」というのは、
『食っていくのが大変だけどバイトはできないから』だと思っていた。

入門が許されるまで

貯金の為にバイトを昼夜にした。
外で突っ立って見張りをするようなバイトだったので、
真夏の炎天下だろうが真冬の深夜三時だろうが、ワイヤレスイヤホンを使って勤務中ずっと落語を聴いていた。

お金を貯めたかどうかは通帳を見せれば証明できるけれど、落語をたくさん聴いてきたかどうかは証明できないと思い、聴いた落語全てに感想文を書いた。
良かったところ、悪かったところ、自分がやるとしたらこういう工夫をしたい、みたいな事を書きまくった。
熱意で頭が変になっていたんだと思う。

四回目の志願で入門が許可された。
見習い期間中はバイトしかすることがなかったので、前座になるまでひたすらバイトして落語の感想文を書き続けた。
噺家の世界は理不尽で
「落語に詳しくない! 破門!」
があると思っていたから必死だった。

当時の落語ノート
【安中草三】なんて噺も知っておかなきゃいけないと思っていたが、そんなことはなかった。
初めて聴く噺はあらすじを書いて、黒塗りの所が感想文。

前座になって

入門前の四ヶ月と、見習い期間の一年五ヶ月の間で2000席程聴いて全てに感想を書いた。
「たくさん落語を聴いて」と言われたから。
だけど前座になってみてびっくり。
誰もそんなことしてないし、皆そんなに落語に詳しくなかった。
一番驚いたのが、よく聴いてた師匠のほとんどが既にこの世にいなかったこと。

楽屋仕事諸々覚える事が多くなってきた時に感想文を書くのをやめてしまった。
白酒は「本当に落語をたくさん聴いてきた証拠を見せろ!」なんて意味の分からないこと言う人じゃなかった、というのもやめた理由の一つ。
この世界は、思ってたほど理不尽じゃないらしい。

熱狂

見習いの頃のような、熱意で狂ったままだったらどうなっていたんだろう、とたまに思う。
というのは、前座を一年くらいやると上手いサボり方とか力の抜きかたを覚えてしまって、
必要最低限の落語の稽古した後「身体を休めるのも仕事」とか都合のいいこと言ってダラダラしてしまう。いやはや人間。
だけど、
だけどもし、あのまま感想文を書き続けていたら、今よりももっと落語が良くなってたのかなぁなんて思ったりしてしまう。


──いや、そんなことないか。
目がバッキバキで痩せてて鬼気迫る落語してそうだわ。

──いや、それはそれで面白そうか。

何かに取り憑かれていたように全ての時間を落語に費やしていた、鈍く輝いていたあの頃に少し憧れてしまう。
本当にたまに。


15/40 池袋演芸場 中日
【平林】
馬石芝居の中日ということで馬石師匠に教わった噺をやりました。
1年ぶり2回目にしては結構手が入ってます。ネタ尺10分程度なので5分くらい馬石師匠のマクラをふったりなんかしました。

まぁ、馬石師匠は今日休みでしたけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?