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芸術とはなにか?

芸術とはなにか?
まずはそれを私手塚一佳なりに簡単に述べたい。

芸術の元々は藝術であり、さらにその元は英語の「Art」の明治期の輸入翻訳された概念だ。
多くの学術修士号に付けられる英語正式名である「Master of Arts」などの学位英語表記からわかる通り、そもそも多くの学問は「Arts」から分岐している。語源であるラテン語の「ARS」は技術的な学びを指す単語で、長らく、神学「THEOLOGIA」や哲学「PHILOSOPHIA」といった「論理的な学び」と相応する「人の手による」学びの概念であった。その中から、現実の模倣から開始され、やがては宗教的感動などの人の心そのものを描写した、他の実務的な学び以外の「純粋なArts」すなわち「Fine Art」として美術工芸音楽文芸などが特出してきた。つまり「人の心に直接的に影響する技術やその学び」として、西洋文化において「芸術」が成立したと言えるだろう。
さて、振り返って、日本において「芸術(藝術)」の語の発明前にこうした芸術分野の事象がなかった、というとそれは嘘になるだろう。統合して称する言葉は無くとも人の心を揺さぶる技術はそれぞれの分野ごとに成立し、長らく伝えられ、進化してきた。しかし、征夷大将軍(西洋風に言うところの東北辺境伯)による軍事政権である江戸幕府においては、質素倹約を旨とする政権性質上からか、そうした各分野の芸術事物はひとつの観点から統合されることなく、あくまでも士農工商の枠組みの内の「工」の最上のものとして各分野各工芸各絵画分野ごとに取り扱われてきた。これらの単独視点からの統合の取り組みもなかった訳では無い。「芸事」という分野には歌や踊りなどだけでなく、広く陶芸や鍛造、編み物や布、人形、はてには「武芸」として武術そのものも取り込まれた。例えば居合の体系なども、茶の湯とシームレスに接合され、ここには掛け軸や書、菓子や庭園設計、建築、服飾までもが統合されており、明らかに現代視点においては芸術による視点の活用の一環と呼べるだろう。
しかし、徳川政権下ではそれらが広く体系的に成立することはなく、これら芸事の類が統合されてひとつの「芸術」という学びの体系に改めてまとめられるのには、明治維新、西洋文化の流入による工部学校設立を待たねばならない。
すなわち「芸術」とは、芸事や工芸、衣食住などのうちで、人の心に直接的に影響するという観点から再区分された事象を指す学びの体系、と言えば、おおよそ間違いは無いものと思われる。
ここで注意すべきは、単独の分野や工作物ひとつでは江戸期までの「芸事」「工芸」あるいは西洋的な「現実の模倣」の類であり、「芸術」そのものであるとは言えないということだ。あくまでもそれらが実際に人と組み合わされ、統合されて人の心に影響をし得ることを意識されてはじめて「芸術」として成立し得るという点は意識する必要がある。
即ち「芸術とは、鑑賞する人の関与が不可欠な、人の心に影響する事象そのもの」を指し示し、そのための「作品」はその補助に過ぎない、とも言えるのである。


ざっくりと!

ま、よーするに「芸術作品」なんて気取ってるけど、「芸術」の本質はそっちじゃなくて、あくまでも鑑賞するあなたとの関連性にあるっちゅーことです。 あなたが感動、萌え、嫌悪、憎悪した時にはじめて芸術が生まれるのです。

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