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つまるところ~トウモロコシに白黒猫に

 昼食にトウモロコシを食べた。

 平和な出だしである。あー、どんなトウモロコシだったのかな。固茹でかな、ゆる茹でかな(そんなのあるんかい!)。それとも炭火焼きかしら。調理方法に関する答えは、「ほどよい茹で」である。塩をたっぷり入れてぐらぐらさせた鍋で、いい具合に茹で上がったところで取り出されたとみえる。とってもジューシーで、ほのかな甘みと塩加減の奏でるハーモニーが最高だった。冗談じゃなく、人生で最高の茹でトウモロコシだったといえる。

 さすが料理上手の友人である。トウモロコシを茹でる腕前も一級だ。何を隠そう、私、トウモロコシは大して好きではない。一年か二年に一度食べるか食べないか、そんなところである。家で調理することはまずなく、料理に入っていれば食べる、頂けるなら頂戴する、そんな感じ。今回も友人宅で集まりがあった後、「これ、持ち帰る?」と聞かれたので、「イエス、イエス。好き好き~」とか言って、頂いてきたのであった。マジで残り物には福、頂けるものは頂くに限る。

 かくして、すっかりトウモロコシ好きになった私だが、昼食後はトイレに駆け込まねばならなかった。

 なになに?モロコシであたったの?…いえいえ、ご心配なく。モロコシではよっぽどのことがなきゃーあたりませんって(とはいえ、二週間くらい放っておくと表面がネバつくそう)。トイレに行ったと言っても、便座へ一目散ではなく、食後ケア用品を取りに駆けたのだ。風呂す。親父もビックリの韻が飛び出してしまったけども、それはフロスである。

 トウモロコシを食べるのは気持ちいい。ムシャムシャムシャ…。まるでウマかウサギにでもなった気分である。上下の前歯が連携してごっそりと実を掴み取り、奥歯でよく噛んで喉へと落とし込む。あー、丈夫な歯があるということは幸せなことだ、ずっとこのままこうしていたいかも…。そんな夢見心地のところへ、「FUKAI不快」は襲ってきた。起こるべくして起こったこと。モロコシを食した以上、避けては通れぬこと、だ。

 ここで、前回に続きFUKAI話を披露していることにふと気づいたのだが、まあ、仕方あるまい。実際に起こった話なのだ。ひどく低レベルな身の上話だけども…まあ、しょうがない。

 もとい。「なぜ、トウモロコシが前歯に詰まる(ほぼ刺さるといった感覚)ことは、こんなにも不快感をもたらすのか?」このFUKAI度はかなり高い。すぐさま取り除かないと、居ても立っても居られない心持ちになる。さらに厄介なことには、フロス、あるいは糸ようじみたいなものがないと、詰まったモロコシは容易に取れないという事実がある。爪楊枝だと、「すべてすっきり~ん♪」とはいかなかったりするんじゃないか(なんせモロコシ食頻度が少ないので、はっきりとは言い切れない)。

 これがパーティ中や飲み会中なんかに起こると、最悪である。詰まったら最後、自らの前歯への意識集中具合がハンパない。気になって気になってしょうがない。日本の居酒屋なら爪楊枝を手に入れて、トイレの鏡とにらめっこ、外国のホームパーティなら…前菜にでも突き刺さってた爪楊枝を見つけてきて、やはりトイレで格闘か。こういう場所では、トウモロコシはほぐして食べるに限る。詰まったら最後、奥歯に物が挟まったような物言いしかできないようじゃ、せっかくの集まりも楽しめない。

 こんな考えがぐるぐると廻った昼食だった。トイレに駆け込んだついでに、便器掃除をした。なんで食後、それも直後にトイレ掃除なんてしてるんだろう…と心の片隅で思いながら。

 ***

 我が家の愛猫がこの世を去って、もうすぐ3か月になる。このことはまたどこかで書きたいなと思うのだが、あれからしばらくして、ちょくちょくベランダに遊びにくるようになった猫がいる。白黒のオス、いろいろあってノビスケと呼んでいる年寄り猫だ。愛猫が健在だったときも、ときおり顔を出していたのだが、如何せん、我が家の猫は家猫だったから、自由に出入りする猫さんたちはあんまりウェルカムではなかった。悪知恵をつけられてしまうんである。

 いまやノビスケは、夕飯の時間になるとベランダへやってきて、私の姿を見ようものならパブロフの犬よろしく行儀よくお座りして、ご飯を待つ。食べ終えると、廊下に入って身づくろい。そのまま寝てしまうときもあれば、寝室のほうへ偵察に行ったり、台所へ入り込もうとしたりするときもある。基本は外猫で、人とも一定の距離を取るので、できるだけ室外にいてもらうようにしているが。その後、ベランダの椅子の上でご就寝。朝食を食べて、去っていく…。

 距離を取るといえば、ノビスケ、ふだんはその体に指一本触れさせてくれない。「ねー、ちょっとだけならいいじゃん~」とか怪しげな痴漢のように近寄ると、必ず後ずさりされる。これは正しい。ある意味お利口さんなんである。しかし、「ドライフードを手にした私」は別だ。後光の差した仏様か、いずれにせよ彼にとって私はその時間だけ、神的な存在になるのだ。尻尾の辺りを撫でさせ、物欲しげな目でこっちを見つめてくる。「もっと触っていただいても大丈夫です」。

 決して、こうした状況を逆手にとって悪いことをしようとしたり、何かを企んだりはしていないので、その辺りはご心配なく。ご厚意に甘えて、ちょっと触らせてもらうだけなので。やはり、猫のいる生活はいいものだ。意図しない出会いだけども、付き合っていくうちに、心のかたい部分がほぐされていくのを感じる。ノビスケとの不思議な再会の日については、また追って書いてみたいと思う。ではでは、ごきげんよう~。

 

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