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ドルフロ『縦軸歪曲』感想──名付けという”ごっこ遊び”

 ドールズフロントラインの大型イベント『縦軸歪曲』のネタバレを含む感想です。


 指揮官とグリフィンはほぼ登場せず、ほとんどの登場人物が初登場という異色のイベント。マフィアの内部抗争の話とか、孤児とロボットの話とかもうなんのゲームなのかよくわからなくなってきたが、終わってみるとまあなんか良かったかなくらいのところに落ち着いた。
 汚染地域を通過する列車の中で事件が起きるというシチュエーションが良く、演出面やゲームシステムにもこだわりが感じられた。同時期に別のゲームでも列車を扱ったイベントを走らされていたが、『縦軸歪曲』は車両間の移動とか列車であることを利用したギミックとかもあって上手いことやっていたと思う。
 また、列車に乗り合わせた人物たちの過去をフラッシュバックしていくうちに、現在の物語に厚みが増していく演出も良かった。序盤はほんとうに何が何やらという感じだったが、メインストーリー終了後にサブストーリー的に過去編を補完してくれたので、各登場人物への理解は深まった。ルゴザ医師が思ったより狂気を抱えていたのは驚いたね。

ほんとうになんのゲームなんだよ

 今回のイベントで厚く描かれていたのは「名前」の扱いだった。
 たとえば、二人組の詐欺師であるマギーとキャサリンは、かつての自分たちの主人の名前を僭称している。盲目の孤児ロジータは自分の友人の名前を勝手に名乗っているし、鉄道開発用に使われていた人形であるパーベルは会ったこともない人間の名前を名乗っている。かれらは皆、自分以外の誰かの名前を使って大陸間列車に乗っていた。
 さらにいえば、AR-18はソ連の伝説的なスナイパーの名前を借用しているし、エルマは様々な名前を通じて自分の記憶を甦らせる。タレウスは直感的に「ミズ・イヴ」という名前に愛着を感じる。名前の問題はこの物語の随所に根を下ろしている。
 ベルリン入りして以降のドルフロでは、戦術人形に愛称というか固有名がついていることが多い(SP9=モナとか)。これは、もともとの擬人化ゲームの名残からの脱却を図るためだと思われる。現にドルフロ2とかニューラルクラウドはそもそも銃器名要素をオミットしているので今後もこういう方向性は維持されそうだ。
 そんななかであえて名付けの問題に正面から切り込んだことに意味があると思う。名前という記号は必ずしもその対象とは直結しない。名付けという便宜的な行為は現実認識を容易にすると同時に、認識を実態から遠ざけてしまう危険も内包している。マギーとキャサリンは自分たちに新たな名前を付けて世界に漕ぎ出すが、それでも人間に利用され大切なものを奪われ続ける運命から脱することはできない。
 マギーは「お互いどんな風に呼び合っても、所詮建前だ。結局のところ、あたしらは人間のペットでしかない。」と語る。名前で呼び合う行為は「ごっこ遊び」にすぎないのだ。それによって人形が人間になれるわけではないし、孤児が救われることもないし、死んだ息子が甦ることもないのである。

「己の存在を弁えろ」みたいな話はこれまでも繰り返し出てきた気がする。RPK-16の話とかもけっきょくそこに収斂するのではないか

 戦術人形はコアを破壊されてもバックアップから復活することができる。しかしそれはあくまで同一の名前を持つ別個体の復活にすぎない。キャサリンとキャサリンのバックアップとは便宜上同一の名前で呼ばれているが、同一の存在であるといえるだろうか。逆に、名前こそ違えど同一機種であると思われるキャサリンとグリフィン所属のMP41が完全に別個の存在であるといえるだろうか。
 名付けはいわばフィクションであり、自己や他者の存在をわかりやすい物語の中に置く営みの最たるものである。その意味で名付けは「ごっこ遊び」である。そしてロジータとパーベルの物語における種族を超えた情愛や、キャサリンとマギーの物語における切なる祈りを見れば「ごっこ遊び」の効用を馬鹿にすることは決してできないだろう。
 こうして見てみると、マギーやキャサリンがタレウス戦において相手をセカンダリレベルまで引きずり込んで無数の「ごっこ遊び」に付き合わせる戦い方をするのも必然的に思える。

「鮮やかで、自由気ままな青い花」

 こうやって名付けの問題を掘り下げていくと、ウィリアムやヒューム博士と指揮官の違いはなんなのかという話にも繋がってきそうだが、今回のシナリオではそこまで話が広がらなかったので、そのあたりは引き続いて考えていきたい。
 他にも『縦軸歪曲』の中ではエルマの出自を巡る話やリュドミラの英雄的な死にざまなど見どころはあったが、そのあたりはあまり咀嚼しきれていない。特にエルマについては人間的な記憶を再現するために記憶を失い続けるという理屈がいまいち理解できていないので、もう少し静観したい。

「苦痛は長く喜びは短い」はシラーの格言「苦痛は短く喜びは永遠である」の裏返しらしい

 余談ですが、リー・エンフィールドのメンタルアップグレードができるようになったのがすごく嬉しかった。大人の事情でダメなのかなと思ってたから……。カフェのエピソードもリーさんの夢小説という感じでけっこう良かった。リー・エンフィールド、おすすめです。


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