誰の空気を読んでるの?

 「空気を読む」という言葉がある。
この言葉の意味はなんとなく周りに足並みを合せて仲良くやっていきましょうと解釈している。
 今までの時代割りと大切にされてきた価値観だったと思う。しかし今は風の時代になったらしい。
この時代に求められる傾向は、自分軸で生きることのようだ。

空気を読むとは行きすぎると他人軸で生きることと同意になってしまう。つまり、今の時代の真逆の思考となるわけだ。
今日の私は、「空気を読む」について考えてみようと思うのだ。

そもそも先程から登場する空気とはいったい誰の空気なのだろうか? あるコミュニティがそこにあったとする。4〜5人位としようか。
それぞれの性格は大人しく、仲間を大切にしようとする人物たちだったとする。このコミュニティにおいてある人に贈り物をしようと計画をしたとする。
何にするか判断する基準として多数決を採用するとして、その結果に納得のいかない誰かが個人的に良いと思う贈り物を勝手にした場合これは空気が読めていないのか?

空気って結局そこにいる誰かが作っているものではないのか。確かに自分勝手に全てのことを行うのは間違っていると思うが、全て他人に合わせるのも良くない。結論としては、空気は読むというよりは作り出す方が良いのかもと。

たとえば、例にあったおくりものについては、勝手に贈るのではなくて自分の思いを相手に伝えて行動するのはどうだろう。それでも反対されてから辞める。自分の思いを伝えられない仲間だとしたら、それは仲間なのだろうか。そこを基準にしても良い気がしている。

結局のところ、コミュニケーションの問題なのだ。
しかし現代社会においてコミュニケーション能力を高めるのは実に難しい。

人の価値観が多様化しているからだ。
自分が正しいと判断しまた、学校でも教育されてきた何かは今の時代では間違えと判断されたりする。

ではどうしていくか。
とりあえず自分の思いを伝えてダメで失敗をする自分を許してしまうことだ。失敗したらまた作れば良いだけのこと。恐れなくても大丈夫。
と、自分を慰める水曜日。

あなたの1日が幸せになりますように。

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