好きな形で生きる。日記と言う名のひとり言4
とても気になるのである。
他の人にとっては、どうでも良い事だが私には気になるのである。
何が気になるのかというと、通勤時に出会う人たちのおしゃれについてである。私は自分で言うのも何だが、古い人間である。サラリーマンときたら、七三黒縁メガネを想像してしまう。女性も地味で膝下のスカートにブラウスを想像してしまうのだ。
しかし今の通勤電車の中はカラフルだし、七三な人はあまりいない。いつからこんなに自由な社会になったのだらうか。
子どもの運動会でも自由を感じた。お母さん達は、みどりや、紫、金髪、様々な髪色をしているし、お父さんたちもピアスにふわふわなパーマで、中にはモヒカンの人もいる。子どもたちも髪を染めていたりする。
私が気になる一番の理由は、自由な格好を許してくれる職業が何かということなのだ。テレビで放送される新橋駅で酔っているサラリーマンは基本スーツを着ている。モヒカンのサラリーマンは見たことがない。するとだ。サラリーマンではないご職業の方か、服などファッションに関わったり、そもそも制服があるから何を着ていても良いか。
考えて見たら案外色々と思い浮かぶものである。
しかし良き時代になったものだ。生きていれば型にはまらなくてはならない時間は必ずあるし、せめて自分の形くらい自由に決めたい。
私はもし形を自由にして良いと言われたら果たしてどんな形を選ぶだろうか。四角、三角、丸。
色は、赤、黄色、緑。
きっと欲張りな私は全て体験するだろう。
動物になっても良いかもしれない。
ねこみたいにおすましの顔も素敵だ。
私の気になることで話を終わらすこともできるのだが、もう少し話したい。
私は自分の知ってる世界は案外小さいことに気づいたのだ。大人になると何でも知っているような錯覚を起こす。しかし実情は知らないことの方が遥かに多い。そう考えると、私の日々の悩みは大海に浮かぶゴミみたいなものなのかもしれない。
大海のゴミを拾う作業はたいへんそうだし私には無理だ。だからゴミを見てばかりいないで海の色や空気や匂いを肌で感じる大人になりたいのである。
私の願望とともに、今日頑張った皆様にお疲れ様でしたと言い話を終わらせようと思う。
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