法廷傍聴控え 暴力団トカレフ射殺事件2
──事件の起きた日の91年2月19日午後1時ごろ、自分と愛人がいた部屋に福島がやってきて、自分に対して、「吉原を殺す」といった。さらに、福島に逃走用の現金30万円を届けにきていた組員の中野に、こう指示した。
「拳銃を俺の女のところへ取りに行け。そして、もう1丁は金田にいって用意させろ。殺すのは三枝にやらせろ。そして、見届けは金田に、お前は運転手として行け。すぐに帰って用意しろ。あとはポケットベルと電話で指示する」
その組員が都下にある本拠に着いたころ、福島が中野に連絡を取り、「すべて用意できたのか聞いてみろ」と、自分に指示した。そこで、自分は中野に連絡をとる。「用意できた」という返事であった。
自分が福島に伝えると、福島がそれを受けていった。
「みんな(吉原のよく行く)相模原のサウナに行かせろ。着いたら連絡させろ」
しばらくして、中野から自分あてに、サウナに着いたとの連絡が入ったので、福島に伝える。
「三枝にサウナの受付に行かせ、吉原を呼び出せ。そこで殺せ」
そのとおり、自分は中野に伝えた。それから15分ぐらいして、また、中野から連絡が入った。
「サウナには吉原はいないので、自宅に行ってみる」
それを聞いた福島は改めて、指示を与えた。
「自宅にいたら、そこで殺せ」
それから40分から50分後、中野から自分に連絡があった。
「終わりました」
福島に報告した──
この間の西川と福島の言動については、一緒に泊まっていた西川の愛人も知っていると、西川は主張した。ところが、捜査段階では“ヤクザの道”として総長の身代わりで罪をかぶる覚悟をしていた。
そのために、西川が指示、命令したというストーリーに沿った証言をするように、愛人にあてて手紙を書き、刑事がその手紙を持って、当時、関東医療少年院に収容されていた愛人の供述調書も取ったというのである。その調書は真実ではなく、改めて、愛人の話を聞いてほしいとも訴えた。
西川のこのような主張に加え、吉原の内妻が、犯行当日の午後、福島から不気味な脅しの電話が2回あり、夜、吉原が玄関のドアを開け、殺される直前、「福島にいわれてきたのか」などと発言したことなどから、「私は三枝や金田は福島から命令されて、主人を殺したものと思います」と述べていることも指摘する。
また、三枝も金田も、捜査段階の初期、犯行の指示、命令は福島総長から受けたと供述していた。たとえば、三枝の調書には次のように述べている部分があるという。
「私が吉原を殺すと決意したのは、中野から福島総長の伝言を伝えられたときなのです」「福島総長から殺すように命令を受け、その命令に従って殺人をしました」「総長の命令は絶対服従なのです」
この部分について、一審では弁護側が不同意で、証拠として採用されなかった。
控訴審の第2回公判(5月11日)で、西川に対する被告人質問が行われ、前述の状況の補足があった。
まず、弁護人からの質問である。控訴審では国選弁護人となった。西川の主な答えは次のとおりである。
──2月19日の殺しの指示は、総長が出した。私がいったのではない。2月19日の私の役割は電話の受け答えだけだった。2月19日の午後のことだが、総長と吉原が電話で口論になった。そこで、総長が中野に指示して、命令した。
警察では、所轄警察署の猪木、山岸の両刑事に取り調べられた。両刑事の取り調べの状況は、全部わかっている、ほんとうのことを話せというものだった。それを話した上で、でたらめな調書を作成した。
2人の刑事は、一審の判決後、91年12月の中ごろ、私が拘留されていた東京の八王子拘置所にやってきて、取り調べ室で30分ぐらい会った。
「どういう用件か」
聞くと、猪木がいった。
「今回の件を引っ繰り返すのかどうか、それを聞きにきた。真実を述べるなら、おれたちも腹を決めている」
ことしの3月半ばごろ、今度は総長が全部で3回ぐらい面会にきた。福島はとにかく控訴を取り下げろといった。というのは、所轄署のある刑事から、西川が控訴をするかぎり、福島が逮捕されることになるといわれたそうだ。これに対し、控訴を取り下げるつもりはないと答えた──
続いて、検察官からの質問に、おおよそ次のように答えた。
──福島は、「殺せ」と口に出していった。自分が福島の気持ちを察して指示したものではない。警察の調べのさいに、自分が指示、命令したというでたらめの調書になったいきさつは、警察と福島との間で話ができていて、私が全部かぶるという話になっているといわれたからだ。警察は福島が指示したことはすべてわかっていた。
検事の調べの段階では、福島の指示ではないかという質問があった。しかし、福島をかばうつもりだったので、私がやらせたと答えた。
一審の判決を受けるまで、自分が指示したと述べたのは、ヤクザの世界は上のものの罪は下がかぶるのが掟の“男の世界”だから。どうして真実をいうようになったのかは、被害者に償いするためで、他に理由はない。
拘置所に刑事がきたのは、こちらから頼んだものではなく、向こうから訪ねてきた。会いたいといった手紙を刑事宛に出したことはない──
最後に、どのような意図か理解できなかったが、裁判長から次の質問もあった。
──2月19日、福島が中野に指示したというが、そのときの具体的な言葉をいってごらん。
「吉原三郎を殺せ。すぐ帰れ。三枝にやらせろ。金田は見届け……」
第3回公判(5月27日)で、猪木、山岸、2人の刑事が証言した。
まず、猪木刑事(43歳)である。弁護人からの質問に答えた。
──西川を逮捕したとき、弁解を録取したが、「納得できない。考えさせてもらう」ということだった。取り調べのとき、「事実はすべてわかっている。お前1人でかぶっていけ」ということはいっていない。山岸が、「どうするんだ。お前の親分の福島までパクるのか」という質問をしたことはない。
当時は事件そのものが暴力団関係で、福島まで突き上げる方針もあったので、福島のことをいったことはある。詳しい発言内容は記憶にないが、「福島からの命令もあるだろう」といったと思う。「お前たち、男の世界のことだから、親分までパクられたら困るだろう」と山岸はいっていない。私が、「こちらには全部わかっているけど、お前で終わりにしろよ」といったというが、いった記憶はない。
最初、西川はすべての事実を正直に供述しなかった。最終的に西川の調書はどういう内容かというと、何回も吉原ともめごとがあり、その吉原が福島に喧嘩を売るようなことになった。シャブで組に迷惑をかけたことが理由になった。
91年12月初旬ごろ、八王子拘置支所にいる西川を訪ねたことがある。山岸も一緒だった。私どもに西川から手紙が4通ほどきた。「来てくれ」とは書いてなかったが、「相談したいことがある」というので行った。家族の心配でもあるのか、本人の心を聞きたいので、会いに行った。
私が、「お前黙って15年つとめろ」とはいってない。山岸が、「事実をいうつもりか。それなら構わない。俺たちも腹を決めているから」とはいっていない。「俺は裁判になっても、ほんとうのことはいわないからな」とか「お前の愛人がほんとうのことをいったら、すべて終わりだ」ともいっていない──
弁護人が問い詰める。
──三枝の調書では、「本件は総長の指示である」と、警察、検察庁でもいっていた。金田の調書でも、「福島の命令で、西川が指示、命令した」となっているが。
「かれらの調書との矛盾点を追及し、取り調べの段階では、西川は個人的なことだから組と関係ないということだった」
この点、裁判長の質問に対して、思わず“本音”をもらした証言もある。
「私としては、当然、福島もからんでいるだろうと調べました。それに対して、西川はヤクザの世界だということで、本人がかぶるような言動をしていました。ほんとうは福島が命令したのだが、西川がかぶっていると思いました]
──福島を逮捕して調べてみたらどうですか。
「当時の検事にも相談しましたが、西川の調書がどうしても必要ということでした」
猪木刑事のいう、西川の調書が必要という意味はよくわからないが、おそらく、総長の指示で実行したという内容を指すのだろう。しかし、そのような供述がとれずに、福島を逮捕できなかったといいたかったようだ。さらに、猪木刑事は次のような証言もした。
「西川は調べに対し、ノラリクラリとしていましたが、弁護士と会うたびに軟化してきて、『これは自分でやったことだ。福島は関係ない』と供述が変化しました」
引き続いて、山岸刑事(39歳)の証言があり、弁護人からの質問が行われた。ポイントとなる証言は次の2点だった。
「当時、西川の愛人は府中の少年医療刑務所にいました。彼女を調べるとき、西川の書いた手紙なんかを持っていきません。拘置支所にいる西川に面会に行きましたが、そのときの話は、西川が控訴するかどうか考え中とか、あとは家族のことなどでした]
2人の刑事は、西川の主張に対して、西川の言い分を全面的に否定した。
第4回公判(7月8日)で、焦点の人、福島総長が証人として登場した。“ヤクザの道”に背いた組のナンバー2からの“告発”で、このような形で証言するのは、非常に珍しいケースだろう。総長は身長160センチぐらいで、小太り。色白でダブルの背広姿。顔も丸いほうで、とてもヤクザの総長には見えない。
3時間ほど、検察官、弁護人、裁判長から、証人とは思えないような鋭い質問を浴びせかけられた。最初に検察官からの質問に答えた。
(2021年11月27日まとめ・人名は仮名)
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