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[2018年9月13日木曜日]はだかの王様

 はだかの王様という物語の王様は、裸で民衆の前に出て笑われますが、そんな王様がかっこいい、と思ったり……。
 それは物語の民衆も同じかもしれません。
 みんな見栄や虚栄という重い服を脱ぎ捨てたい、と本当は思っていたり。

テツガクちゃん
 肯定さん、私、『はだかの王様』が素晴らしいと思います!
 物語では笑われ者になる王様ですが、その姿に憧れます。

 もちろん、露出卿になりたい、という意味ではありませんよ。


肯定
 テツガクちゃんは、はだかの王様のどんなところに憧れているの?


テツガクちゃん
 そうですね。
 着飾ることなく、ありのままの自分でいられる。そんな姿ですね。


肯定 
 なるほどね。
 たしかに、みんな、ありのままでいられることを、本当は望んでいるんだよね。
 だから、『ありのまま』という歌詞に心を撃たれ、それを叫びたくなる。

 物語の人達もはだかの王様を笑いながら、本当はその王様を羨ましい、と思っていたり。


テツガクちゃん
 きっと、そうですよね。

 本当は、自分達も王様に続いて裸になりたい、と思っているのに、最初の一歩が踏み出せない。
 笑いながら周りの様子をうかがっているのかもしれません。
 誰が王様に続くのか、と。


肯定
 そうだね。
 あの物語は、ありのままの王様を笑う方が、余計なもの着飾っているのかも。
 見栄や虚栄などの偽りの服を着ている。
 それを脱ぎ捨てたい、と思う人達の心を、はだかの王様は見抜いているのかもしれない。

 そう考えると、はだかの王様ってかっこいいね。

 僕もいつか、それらを脱ぎ捨てて、はだかの王様になれたらいいのにな、と思ったり。
 笑われても関係ないよ、と笑いながら蹴飛ばして走り去る。そんな王様。

 王様じゃなくても他人の目を気にせず、走り続ける人の姿に王様の影を見るのかもしれません。

 そんな気持ち、分かるでしょうか?
 情熱の薔薇をくわえた、はだかの王様に憧れる気持ちが。


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それでは、また次の機会にお会いしましょう。


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