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しまい

高田さんが祖母のしめ子さんから聞いた話だ。

日本では人糞肥料が使用されなくなって久しい。
しかし需要のあった時代には、農家が一般家庭まで回って汲み取りに行ったほどであった。

そんな時代。当時まだ幼かったしめ子さん。
家の農業の手伝いで糞尿を運ぶことがあった。
自宅の便所から「ツボ」と呼ばれる肥溜めに流し入れる。
それだけのことだが、子供には非常に辛い手伝いであった。
肌に汚れが飛び、匂いで鼻が痺れる。
蠅や虫が、顔や体につくのも我慢しがたかったという。

しめ子さんが、いつものように糞尿を運んでいた時のこと。
ツボに近づくと中央に何かが浮かんでいるのが見えた。
ノイズがかったかのような、不明瞭な黒い物体。
よくよく目を凝らすと、仰向けに浮かぶ子供のような形をしていた。

物体はゆらゆらと腕を広げるようにして浮かんでいたが、そのうち動いてツボの泥を掬った。
顔の部分に赤い裂け目が現れ、泥が流し込まれていく。
さも美味いものを食べるように、ゆっくりと。何度も。

肥料の素を食すという異常さ。
しめ子さんは衝撃のあまりに、その場に担いでいた桶を落とした。
瞬間、おびただしい量の蠅が飛び去った。
いつもより多い蠅。あたり一面が黒く見えるほどであった。

物体はやはり子供であり、黒さは蠅であった。
蠅の飛び去った体は茶色く汚れている。
顔がわかった。
自分によく似た、女の子。
こちらを向いて、にたりと笑む。

「あんたが本当に最後だったからさ」

蠅の羽音がぶんぶんと響く中。
しめ子さんの耳に、はっきりとそう聞こえた。
女の子はそのまま肥料の中に潜って消えた。
慌ててツボを覗き込んだが、波の立った水面が揺らめいているだけ。

そんな事が、数回あったという。
当時の苛烈な環境。気味の悪い出来事。
しめ子さんにとって、家の手伝いにいい思い出はない。
と、このように苦労話をよく聞いたそうだ。

そして、話の流れでしめ子さんのお姉さんの名前がスエ子だということを知った。


――スエ。末。しめ。締め。


――本当に最後。


――肥溜めにいた女の子。


高田さんは全てが繋がるような気がしてしまうと、話してくれた。

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