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反対意見が必要なんです。

反対意見が必要なのだ。

ある人、ある組織によって示されたひとつの見解に対し、それを否定してみせる。否定し得る根拠を挙げてみせる。
安易に同調するのではなく、あえて否定するのである。

それこそ、技術者として必要な姿勢である。

例えば、こんな場面を考えてみよう。
あるミーティングで、課題に対して方向性を決定するようなひとつの見解が示されたとする。その時点での比率は、[1:0]となる。示された見解[1]に対し、その他の見解(まだ示されていない見解)[0]である。
ひとつの見解が示された後、次に出てくる見解がその後の議論の方向性に大きく影響を及ぼしてくる。

次に示された見解が前出の見解に同調するような場合、どうなるであろうか。
比率は[2:0]となる。

どうだろう。次に示される見解はどうなるであろうか。

[2:0]という、見解の偏りが影響せざるを得ないのではないだろうか。
前出の見解を示したのは誰か、このミーティングでの立場はどうか、などの要因も大きく影響してくるであろう。あの人の意見を否定することはできないし、同意しておくのが無難だろう。誰よりも先に同調する意を示しておけば印象も良くなるのではないか。などなどミーティングに出席している必要もないような人の意見によって、偏りがさらに大きくなっていく危険性がある。
それとは対照的に自分の意見として同意を示す場合もあるだろう。

いずれにしても、この時点での比率は[3:0]である。

こうなってしまっては、議論の方向性は既に固まったといえるであろう。この時点で、否定的な意見・見解を示すことは容易なことではない。

しかるに、ひとつの意見・見解が示され[1:0]となった場合、次の意見・見解が重要なのである。

手っ取り早く言ってしまえば[1:1]にしなければならないのである。決して[2:0]にしてはならない。
たとえ自分の明確な意見として同意であったとしても。

そこには、必ず「見落とし」や「思い違い」などがあるのだと考えなければならない。
根拠を示した否定ができないとしても、少しでも疑問に感じたこと、分からないことを口に出してみる。たとえ自分では思いつかなかったとしても、他の誰かがそれをヒントに気づくかもしれない。

そうした過程を経てこそ、そこから生み出された結論の精度が上がっていくのだ。

否定的な意見は、「拒否」を示すものではない。示された意見・見解を受入れ、査読・審査し、フィードバックをもたらすのだ。そんな過程を経て、最初に見解を示した者も含め、考えを深め、調整し続けるのである。

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