菅さんの弔辞は誰が書いたのか?

ライター歴30年という立場から、玉川徹氏の「菅さん弔事に電通関与発言」について考えてみる。結論から言えば、これはゴーストでは書けない。理由はいくつもある。

まずは出だしだ。「7月の8日でした」。プロのライター(スピーチライター)ならば、こうは書かない。日にちから入るのは得策ではないし、その後に続く文章を考えると、「あの日、信じられない一報を耳にし、……」でいい。

多くの人の頭には、日付までは入っていないので、普通ならばむしろぼかす。でも、菅さんの心には「7月8日」が強く刻み込まれているのだろう。だから言わずにはいられなかった。

ついでに言えば、「7月の8日」の「の」という表現も独特だ。口語だとたまに耳にするけれど、書き言葉ではほとんど見ることがない。菅さんは日常的に日にちをこのようにお話しになるのかもしれない。知っている人からすれば「らしい」表現ではないだろうか。

次に続く文章は「信じられない一報を耳にし、」から始まり、その後を鉤括弧で括るべき内心の声だと考えると、「接することができました」で終わることになるが、本来ならばその前の「現地に向かい、」のところで「向かいました」で終わらせるほうが望ましいと思う。

つまり2つの文に分けるわけだ。もちろん、それは文章として(とくにスピーチとして)は大きな問題ではないけれど、ライターならば、あえて1文にする選択はしないだろう、と思う。

断っておくが、ぼくはこの弔辞に「文章のプロは絶対に関わっていない」と主張するつもりはない。おそらく、内容については、エキスパートがチェックをしているだろう。恐れ多いけど、もし、ぼくがその役を担うとしたら、上記のような部分を修正することはない。

その人の文体というか、味というかを尊重したいし、「セオリー通りじゃないところが、むしろいいじゃん!」と判断することが多いだろう。明らかな誤りだったり、誤読を招きそうな文章だったら直すけど、それ以外は「その人らしさ(菅さんらしさ)」として残すと思う。

この後にも「初めからプロが書いていたら、このような表現は避けたであろう」という箇所は散見されるが、ここではそう指摘するにとどめておく。次は美文について。

「あれからも朝が来て」から、「今日この日を迎えました」までのリリカルな文章が、「プロの手が入っているのでは?」と思わせる一つの要因になっているように想像する。確かに美しい言葉も使ってあるが、書いてあることは実に素朴な思いだ。同時に控えめではあるが感情的な文章でもある。

この菅さんの個人的な感情、揺れ動く感情を的確に掴み文章化するのは至難の業だ。一国の総理を務めた人に、しかも大切な盟友への弔辞において、「菅さんのお気持ちって、かっこよく書くと、だいたいこんな感じですよね」と言えるライターが存在するか。この部分こそ、他者には書けないところだと思う。

その後、二人の出会い、銀座の焼鳥屋の話、TPP交渉の話など、菅さんでなければ語り得ないエピソードが語られる。ただ、このあたりならば、お話を聞きさえすれば、ライターが文章化することもできると思う。もちろん、ぼくはそうした部分も菅さんがお書きになったと思うけれど。

少し戻って、「安倍総理とお呼びしますが」という一節。ここはすごかった。ご自身も総理大臣を経験した菅さんが遺影を見上げて、まるで目の前に対象が存在するように語りかけたこの瞬間、弔辞が菅さんの真の思いを表現していることを、誰もが感じたと思う。

この言葉を聞いて、そこに「他者が介在している」と考えるのは、よほどの馬鹿か、あきらかな意図をもって、あえて誤読しているのであろう。玉川氏がどちらであるとは言わないが、いずれにせよ、彼の言説の信憑性が極めて低いことは明らかである、と考える。

そして、もう、これはぼくが言うまでもないことだが、安倍さんに総裁選再出馬を決めさせたことを「菅義偉 生涯最大の達成」と表現した、その言葉を、ゴーストライターが書けますか? 断言するが、不可能だ。いや、本当はゴーストかどうかなどという考えが出てくること自体、ぼくには不可思議だ。

と、ここまで書いてみて、考察にもなんにもなっていないことに気づく。誰が聞いたって、読んだって、この弔辞がご本人の心の奥深いところから発せられていることは疑いようがないからだ。少なくとも言えることは、玉川氏とは“そのような人間”なのである。

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