仕事帰りの坂道  いつもあの人がいた

初めまして。
今日から日記替わりに
書き連ねてみようと思います。

今ほど色んな娯楽がなかった
小学生時代、1980年代半ば。
大きな体の屈強な外国人相手に
文字通り闘志むき出しで対峙し、
蛇のように自分の体を相手に巻き
付けたり、刹那!後頭部めがけて
飛び蹴りをくらわしたり、
それでいて長いあごの
特徴的な顔は笑うと親しみ深く。
テレビに噛り付いて
見守ったプロレスリング。
数々の名実況は、後に報道番組で
ご一緒させて頂くことになる
古館伊知郎さん。「燃える闘魂」
元プロレスラーのアントニオ猪木
さんの訃報を聞いた。
闘魂三銃士や今の若いプロレスラー
たちの生きる道の原点を作った
偉大なレスラーがこの世を去った。              

働いていた局のそばの飲み屋街・
「芋洗坂」にある居酒屋。   
ふと覗くと週に2~3回は、
シンボルの赤いマフラーを
首からかけた彼の姿を見かけた。
握手もしてもらったこともある。
誰にも気さくに「元気ですか!」。
嘘のように答えてくれていた。
テレビで育った私が25年間、   
テレビに育ててもらってここまで
来た。
テレビの向こうにいた人たちと
実際に会い、仕事まで一緒にさせ
てもらった。テレビの向こうにいる
人は他人だが、もちろん一緒に仕事
をしても他人だ。
でも、一度でも会ってしまうと、
もっと言うと楽しく会話をしたり、
優しい言葉をかけてもらったり、
厳しくしかってもらったりすると、
その人はもう他人ではなくなる。
心の距離が変わる。
猪木さんもそんな方の一人だった。
いつも陰ながら応援していました。

難病で闘病されていると知って、
やせ細ってしまった姿を見ては、
心を痛め、またぜひ元気なお姿を
見せてもらえると祈っていました。
今週、ふらっとまた
「芋洗い坂」に行ってみよう。
赤いマフラーのあの人はいない。
でも、私以上に彼と過ごした
思い出を語る人たちを通して
もう一度、「生の余韻」に
触れることができるかもしれない。
ありがとうございました。
安らかに。
死は、一つの分岐点。
生まれ変わってまた、
きっと、どこかで。

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