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#19. それがあるから

最近頭にくる事が立て続きに起きた。めちゃめちゃ頭にきたので思わず「愚痴。ただの愚痴」というタイトルでnoteの記事を書いていた。高圧的で気分屋だけどスイッチが分かりにくい。それだけならまだしも、頭の回転が早く口も回るという、面倒臭いオブザイヤーを贈呈したい人と相対するのは何とも疲れる。何故、どう考えても人が不快にしか思わない言い方をするのだろう。フランス文学者の河盛好蔵は「言葉遣いで注意すべきことの第一は無神経でがさつな言葉を使わないことである」と言っているし、芸人のカズ○ーザーは、「言葉遣いは、無料でできるオシャレ」とお洒落な言葉を残している。それに照らすときっとその人はオシャレなセンスが壊滅的なのだろう。とはいえ仕事をする上で切り離せない関係なので、何とか上手く手綱を引くしかない。何事も経験だよなぁ。そう思って割り切らないとげんなりする。人は変わらない、というより自分の期待通りに全てがいく訳ではないから、自分が変わるしかないと割り切る。とはいえ、そう思っても腹が立つけどね。あー、腹立つ(全然割り切れてない)

そんなことがあったけど、逆に嬉しいこともあった。思い返して形として残すならそちらにしようと思って、愚痴一辺倒だった内容から方向転換。嫌なことがあればその逆もある。人に傷つくこともあれば、人に救われることもあるのだ。

先日久しぶりに会社の同期と食事へ行った。再来週にインドへ戻ることになったのでその前に飯でも行こうと。リーマン後の採用で只でさえ少ない同期。既に辞めていたり皆生活地も様々なので、今回のメンバー(全員ではないけど)が最後に揃ったのも3年くらい前。性格はバラバラなのでよく「学校で同じクラスだったら絶対仲良くなってない」と皆言ってるけど、幾つになっても、いつ会っても変わらない空気感がとても心地よい。

さて、嬉しい出来事があったのは会の終盤。料理を注文する際に店員さんと少し話し、今月インドへ戻ることを伝えたらデザートプレートをサービスしてくれた。しかも「折角なので写真撮りましょう」と、チェキを用意し(フィルムが空だったらしくわざわざ買いに行ってくれた)、人数分撮って全員にチェキをくれた。自分のチェキはメッセージカードに入れてくれ、カードにはメッセージと共に可愛らしい花の絵があしわられていた。

この温かい気遣い、そして携帯の写真ではなく、形として残る物をくれたのが嬉しかった。向こうに行ってしんどい時とか見返したりするんだよ、こういうの。もうすぐ出会って10年。ベタベタした馴れ合いや過剰な付き合いは無い。優しくて、いつ会っても楽しい。話していて刺激を受ける。信の置ける、”自分は人に恵まれた"と思わせてくれる同期。その存在は大きく、この出会いはとても貴重で幸せなことだと思っている。恥ずかしいから言わないが。

"それがあるから"というものがきっと人にはあるのだと思う。戦場はそれぞれだし、結局は自分で決めて自分の足で歩くしかないけど。

うっしゃ、また頑張るぜ。

End.

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