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「死後の世界は存在するのか」という質問について本気で考えてみた件

突然ですが、死後の世界って存在すると思います?

穢土転生で召喚された方が読者にいるのなら、答えられるかもしれませんね。でも再不斬さんは「ない」とおっしゃってましたし……

残念ですが私は死んだことがありません。そして、その世界が本当にあったとして私がその世界をこの目で見ることができたとして、この事実を皆さんに伝えるのは恐らく不可能になってしまいます。

そして、その世界を見てない私が、いくら頭で考えたって「証拠不十分」という結論にたどり着いてしまいます。でも……と思うような節があったとしても、決定的な証拠もなく、証明することもできません。

科学の定義として、「体系化された知識や経験の総称(Wikipedia)」というのがあるので、私が「死後の世界は存在するのか」という質問を解決することはほとんど不可能でしょう。なので、とりあえず生きている間はこっちの世界を楽しもうと思います。

もしかしたら、いつの日か科学の力でその質問は解決されるのかもしれません。しかし、なんとなくわかると思いますが、理屈で考えてもそれは永遠に解決されない問題であり、生と死に関しては科学が立ち入るの隙がない領域だと思います。

そこを、私は「科学の限界」だと考え、どちらかというと「宗教」という分野に含まれるべきだと思います。

宗教という分野を「非科学的」だとして、完全に否定してしまいがちなのが日本人ですが、実はそれはよくないことだと私は思います。さきほども申し上げたように、科学というのは「体系化された知識や経験の総称」なので、実は限界があります。そして、科学で解決できない質問は確かに存在する。「科学の限界」の外に存在する質問に関して、実は人類って正解を出すことができないのです――「正解」というものがそもそも、科学に基づいて生まれた概念ですからね。科学では解決できない質問=「絶対に解決できない質問」が同意義であることを、理解していただけると幸いです。

「死後の世界」のような、科学では解決できないような質問について、今日は語ります。はい、ひといき。

では、次に。あなたたちは今私のせいで、「絶対に解決できない質問」について考えてしまいましたね。ドンマイです。

ですが、それは本当に無意味とは言えるのでしょうか?さきほど申し上げたように、「絶対に解決できない質問」とは「科学では解決できない質問」ですので、その質問自体が無意味とは言っていませんし、その質問を解決しようと考えるのが時間の無駄とも誰も言っていません。

大昔の人間は、「科学」というものをあまりわかりませんでした。そして、解決できない質問にもたくさん出会いました。彼らは、その質問の解決を「神話」や「宗教」というものに託したのです。

そして、今科学が発展した今、実は人類がある「過ち」をする傾向が強くなっています。ここからはとても科学的な話になりますよ!嬉しいですね、こんなフワフワな文章にもちゃんと羽を休めるパートを作りましたよ。

心に手を当てて自分に問うてみてください。問1、「死後の世界は存在するのか」という質問に対し、「NO」という回答を出したことがありません?問2、「幽霊は存在するのか」という質問に対し、「NO」という回答を出したことがありません?

「NO」という答えを出すことに、「NOである根拠」を科学は求めているはずです。しかし、「非科学的だ」と、安易に「NO」を出すという行為こそ非科学的だということに、あなたは気づいているでしょうか。

「絶対に解決できない問題」にも正解があるとしたら、「わかりません」であるべきでしょう。決して「NO」とはなりません。

では、最後に。「死後の世界は存在するのか」という質問の存在意義について改めて考えてみましょう。

さきほど申し上げた通り、私はこの質問に「正解」があるとは考えていません。しかし、「結論」はあってもおかしくないです。

そして、もし本気でこの質問について考えた方がいるとしたら。「結論」にたどり着くまで、あなたは生や死などたくさんのことを考えたに違いない。例えその結論が「わかりません!」だとしても。「考えた」こと自体が、有意義なことであり、この質問の本当の価値にもなります。

私は……そのおかげで、この文章を書き上げることができました。

御後が宜しいようで。

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