見出し画像

裏の柿の木

 中学のころまで、うちの周りには祖父が満州から引き揚げてきた後植えた柿の木が、少し離れると家が見えないほど茂っていた。おかげで祖父は、今頃の季節になると、熟して落ちた柿の始末に追われていたものだ。それもあってか、父の代になって1本、また1本と切られ、今では庭の隅のほうに甘柿が一本と裏の畑の隅に渋柿が一本あるだけになった。
 この渋柿であるが、まずめったに実ることがない。結実はするが、青いうちにみな落ちてしまうのだ。母が、少し剪定しろとしきりに言うのだが、実りもしない木に手をかける気にはなれず何年も放っておいたら、業を煮やして人を雇って剪定させた。昨年のことだ。すると、今年は、大豊作となった。柿のほうでも「ろくに剪定もしないやつのところに実ってやるものか」と思っていたらしい。聞くと、渋柿というのはそうしたものとのこと。
 半日かけて収穫し、数年ぶりに干し柿を作ることにした。
 こうした時、生来意地汚い僕は、「一つとして取り残してなるものか」と頑張ってしまう。ちょっと前、山でアケビ採りをした時もそうだった。今は、高枝切りばさみという便利なものがあるので、随分楽になった。とはいえ、枝の向き、実の付く位置によっては、どうにも挟めないやつが、5つ6つでてくる。それでも意地になって何とか採ったが、写真の一個だけはどうにもならなかった。
 ちょっと前なら、木によじ登ってでもものにしたものだ。今でもやってやれないこともないのだが、この齢になるとさすがに億劫さが上回る。「しょうがない。ムクドリにでもくれてやる」と舌打ち交じりに、心の中でつぶやきつつあきらめる。
 昔、北信越に暮らしていたころ、仲間数人と中信地方の田舎を日帰りで旅したことがあった。やはり晩秋のことで、とある田舎家の庭の柿の木に、真っ赤に熟した柿の実が10個ばかり取り残されて夕日に照らされていた。ひどく美しかった。納屋の軒先には、収穫された柿がつるされていた。一緒に歩いていた仲間の一人が、「田舎の人は、こうやって全部取ってしまわず、必ず鳥の分を残してやるんだ。」と解説してくれた。僕たちは、いかにも秋らしい、山里の風情を心ゆくまで堪能しながら歩いた。
 僕は、その時のことを思い出して、自分の忌々しげなつぶやき「くれてやる」を、そのような里人の心に転調しようと試みた。幾分救われたような気分になった。すると今度は、たった一個というのでは、あまりにけち臭いものだと、そっちのほうが気になった。これだとこれが熟したところで、あの時見た美しい風情には遠く及ばないだろうな、などと思った。

 と、ここまでにしておけばいいものを、次には、「そもそも、件の優しい里人の心とやらも、元をたどれば、僕と同じく、負け惜しみの転調したものだったかもしれないな」などと考えてしまうのだから、どうしようもない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?