長男の公立小学校入学で思ったこと。

GWでやっと少し時間が出来たので、随分前に引き受けて全然完遂出来ず罪悪感を持ち続けていた仕事をしている。そのために6年前に書いた文章を改めて読み返す。今も考えが変わっていないことを発見。子供の教育に関してです。長文ですがご興味のある方、どうぞご笑覧ください。

2015年6月26日。

次男を育てるにあたり、随分長男のときよりも自分たちも手慣れたものだと妻と話したことがある。こう考えると長男は気の毒だ。親の愛情を独り占めにしたとはいえ新米母ちゃんと父ちゃんの慣れない子育てに翻弄されたともいえる。今年長男が小学校に上がった。公立小学校に通うピカピカの一年生である。そして、母ちゃんと父ちゃんはまた新たな子育て未体験ゾーンを経験している。子育ては本当に飽きることがない。大変だけど楽しい。今、入学してから3か月が経とうとしているが、長男も随分学校に慣れてきた様子で、毎日楽しく通っている。親の我々も随分新しい生活に慣れ、多少、学校に対する見方も確立されてきた。もちろんこの見方は今後変わるかもしれないし、もっと見極めたいと思う部分もある。少し書き留めてみたい。

今の学校への印象は、先生たちがとても真面目でしっかりと物事をやる印象である。だから、一番大切な安全面に関しては問題なさそうである。給食に関しては随分気合が入っている。栄養バランスが素晴らしく、しかもおいしいようで息子は毎日おかわりしている。これは非常にポイントが高い。日本では当たり前だが、日本以外の国では学校給食はあまりないらしい。特に忙しくお弁当を作る暇のない共働きの両親にとってはものすごく助かるサービスだ。プリントによる学校から親へのコミュニケーションが雑で分かりにくかったり重複があったりするときがたまにある。例えば、体操着への名札づけなど親が用意するものが結構あるのだが、名札をつけてくださいという指示だけで、特に大きさの指定がないので妻が自分の考えたようにつけたあとで、次の日のプリントで大きさや付け方を事細かく指示するといった具合である。もちろん、すべてにおいてこういうわけではないが、若干サービス精神に疑問を持ちたくもなる時がたまにある。生徒は色々教育方針が違う家庭や幼稚園からきているので気質にもそれぞれ違いがありそうである。入学式後の教室では、緊張した面持ちでおとなしく座っている子供もいれば、初対面にもかかわらず交友を始め、先生の話も聞かずふざける子供もいる。うちの息子は後者である。入学式初日から親子で先生に謝りに行くはめになったが、これも我々親子にとっては新たな良い経験だ。小学校は幼稚園とは違うのだ。宿題は毎日結構出る。オーストラリアから同じ年の子供を持つ妻の友人がその量に驚愕していた。

私の現在の見解はこうだ。公立校は限られたリソースで様々なバックグラウンドや能力を持つ子供にサービスを提供するので、画一化された、ときに不十分なサービスであることは仕方がないしある意味当然である。おそらく現場の多くの先生は与えられた条件の中で精一杯努力されていらっしゃると思う。ちなみに息子の担任の先生は怖くて有名なようだが、息子は全く嫌っていない。おそらく叱るポイントの筋が通っているのだろう。様々な学力レベルの子供がいると思うが、個別指導ではないので、多かれ少なかれ授業はわかろうがわからなかろうが進んでいくだろう。それを踏まえたうえで学校に子供を過剰適応させようとして、劣等感をもたせたりしないことと、親も学校に依存しすぎないことが大切だと思う。基礎学力を付け、様々なバックグランドの他者と付き合い、不完全なシステム(どうぜ世の中には完璧なシステムなどない)の中でうまく生きるスキルを学ぶととらえるとよい。私立と比べてリソースとサービスが限られている分、親はより積極的に学校、PTA、他の父兄と関わり合い、情報交換をする必要があるし、能動的に要求するべきところはする必要がある。これは、ある意味健全だといえるし、納税者としての当然の権利だ。教育を外注のように学校任せにして、文句だけ言うのはおかしい。子供を人質に取られているようで言いたいことも言えないという方もいて、その気持ちもわからなくないが、教育は自分たち自身の問題であるし、学校や先生も建設的な意見には耳を貸すはずだ。そもそも、自分が不信感を抱いている学校にそのまま大切な子供を通わせることは私はできない。なるべく親も学校に関わること、しかし同時に子どもの世界を学校だけに閉じ込めず、学校的価値が世の中の全てだと思わせないことが大切だと思う。そして学校外でも子供が試行錯誤して、自分が好きなことに取り組む余地を与えることが必要だと思う。色々書いたが今息子が通っている小学校に関しては概ね満足しているし、先生方の努力に心から感謝している。もし、言い過ぎだと感じる部分があるとしたら、真剣に教育に向き合っている故だとご理解いただきご容赦いただきたい。

良い教育環境をもとめて金銭的に余裕がある家庭が子供を私立に入れるのは自然である。ただ、世間体が良い学校に入って、世間体の良い会社に就職と短絡的に考えた結果にすぎないのであれば大きな間違いを犯している可能性があるし、お金を無駄にしている可能性もあると思う。今の時代は、世間体の良い会社だからといって、永続する保証は全くない。私立学校教育から実際何を得ようとしているのかが大切だと思う。後でも習得できる難しい漢字を書いたりする能力を早成することに労力をつかうよりも、他人の気持ちを考えたり、何かに熱中したり、わくわくしたり、あこがれをもったり、試行錯誤したり、難しいことを乗り越えたりする経験がとても大事。実際社会人になって活躍し幸せな生活をおくるのは、そのような体験をたくさんした、好奇心旺盛で、自律しつつも他者を尊重して生きることができる人間だと私は思うのだ。知識はあとからいくらでも付け足すことができるし、インターネットと情報検索によりそれは以前よりずっと簡単にできるようになった。逆に経験はそう簡単に積めるものではない。不確定な状況で生きる力を身につけることが大切。そう、社会人への準備は少しづつではあるがもう既に始まっていて、小さな積み重ねがあとから効いてくるのだと思うのだ。

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