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家族の前での一人称問題。

世の中には”厄介な問題”がたくさん存在している。
そして、その中の一つが「家族の前での一人称問題」である。

いきなり質問からはじまって恐縮なのだが、あなたは家族の前で自分のことを何と呼んでいるだろうか?
現在おれは、「おれ」である。

「いや普通じゃん。」と言われそうだが、もうちょっと話を聞いてほしい。

これからおれは、今まで誰にも話していなかった「あること」について初めて懺悔しようと思う。
実は、大学四年生の22歳までおれは家族の前で「てつ」という一人称を使っていたのだ。(マジで恥ずかしいです。)

先に断っておくが、おれだって好きこのんでこの「てつ」を使い続けていたわけではない。
これはおれの一人称と自意識と家族にまつわる、きわめて個人的な話である。



まず、おれがはじめて使いこなした一人称はその問題の「てつ」であった。

生まれたときから家族にそう呼ばれていたので物心が付いた時、すでに自分の一人称が「てつ」であったことは自然な流れだろう。
こうして特に大きな問題もなく平和に始まったおれの一人称ライフなのであった。

幼稚園に入園したおれは、現在も愛用している「おれ」という一人称を使いはじめた。
はじめて家族の外の社会に出たので、新しい一人称が必要だったのだろう。

しかしこの時、おれは小さなミスをした。
家族の前では「てつ」を使い続けたのである。

つまり家族には「てつ」、友達には「おれ」を使い分けるようになったのだ。
この時に「てつ」を卒業し、家族の前でも「おれ」という一人称を使うという、「おれ一本化」を行えば何も問題は起きなかった。

この「 てつ/おれ2重構造問題」は、以降20年近くに渡り自分の首を絞めることになる。
とは、当時の「てつ」はまだ知るよしもないのであった。

さらに小学校低学年になった頃、おれには困る場面が出てきた。
それは、家族と友達が同時に同じ空間にいるシチュエーションだ。

そいういう状況で家族に「てつ」という一人称を使っていると、当たり前だが友達にそれがバレてしまう。
社会性が身につく中で、家族の前では「てつ」という一人称を使っていることを、周りの友達に知られるのが恥ずかしいという感情が出てきたのだ。

シンプルに考えれば、この羞恥心が出てきたタイミングで「おれ一本化」を行えばまだ全然良かった。
だが、おれは「あ、こいつ今一人称を”おれ”に切り替えたな」と家族に思われるのが死ぬほど恥ずかしかった。

そこでなんとおれは「友達が同じ空間にいる時のみ、家族にも”おれ”を使っても良い」というしちめんどくさい謎ルールを作ってしまったのだ。
確かにこれなら一応友達には家族の前で「てつ」を使っていることがバレることはないが、とんでもない愚策である。

客観的に考えれば、友だちがいる時だけ家族に「おれ」を使って、普段は「てつ」を使う方がよっぽど”恥ずかしいやつ”である。
ただ、人間は主観で生きてるので、その時はなかなか気づけないものなのだ。

とにかく、おれは小学生から大学生までの長い年月、このほぼ悪法である複雑な一人称ルールを採用し続けた。

ずっと体育会の部活をやっていたので、後輩に「おいちゃんと挨拶すれや!」と怒る日もあった。
想いを寄せている子に「おれと付き合ってください。」と告白をすることもあった。

でもおれはそんな時だって、家族の前では自分のことを「てつ」と呼んでいた。

何が悲しいかというと、何もおれは家族に甘えたいわけでは全くなかったということだろう。
自意識の為だけに「てつ」を続けていたのだ。



そして10数年という時間を経て、次に一人称問題に動きが起きたのは、大学4年の頃だった。

おれは大学入学と同時に実家の札幌から上京していた。
だから実家には一年に1、2回の帰省しかしなくなった。

その為、おれは日常的に「てつ」という一人称を使うことがなくなったのだ。

すると、そのたまにする帰省の際に、家族の前でいきなり「てつ」を使うことがむず痒くなってきた。
それに就職も近づいてきていたので、さすがそろそろヤバいのではないだろうかとも感じていた。

「おれ一本化構造改革」はまさに急務であった。
しかし、いつの世も人間とは変化を嫌う生き物である。

「今更何を言っている!伝統的なやり方を変えるな!」
頭の中の保守勢力が弾糾しはじめた。

「いや今すぐに変えろ!社会人にもなって“てつ”はおかしいだろ!」
改革派だって、負けじと応戦する。

右と左が激しくぶつかり、議会はボルテージを上げていた。
おれはこのタイミングで意を決して「おれ一本化構造改革」を強引にでも押し進めるべきだったのだ。

しかし残念ながらおれにはコンピューターの要素もブルドーザーの要素もないようだ。
それに売れないマンガ家なので根回しの為に、大量の賄賂をばら撒く資金もない。

改革派「フィンランドでは、10年以上も前から”おれ一本化”が行われている!何年出遅れるつもりだ!」
保守派「ええい黙れ!これは日本が守ってきた価値観なんだ!」

国会がもみくちゃになったところで、耐えられなくなったおれの中の議長がそれを遮った。
「静粛に!」

議会はシーンと静まりかえった。

そして済し崩し的に、新しい愚法が制定された。
それは「家族の前で一人称自体を使わない法」であった。

ウソだと思われそうだが、おれには大学4年生の途中から数年間、「家族の前で一人称」を使わないで会話し続けた時期が実在した。

かなり無理があったが、一人称を使わないと会話が成り立たない場面になるとモゴモゴしながら、自分のことを指差すジェスチャーを使って乗り切った。
実は、人間のコミュニケーション全体における割合は「言語」よりも「非言語」の領域が多くを占めるので、パッションさえあれば案外伝わるのだ。

それでもどうしてもという時は、苦し紛れに「あの〜、、、わ、わたしがね〜、」とか就活の面接で覚えた一人称を代打的に立たせ、無理やりやり過ごした。
恐るべき自分の自意識と不器用さである。



そして社会人になり、しばらくすると「マンガ家に、おれはなる!」とルフィもびっくりの迷言と共に会社を退社して、おれはフリーターになった。
引き続き、家族の前では一人称無しという絶対におかしい状況が続いていた。

もちろん今さら家族の前で「てつ」を使うことはもう出来きない。
だがこの先何十年も、一人称なしを続けるはどう考えても無理がある。

ただ、この「家族の前での一人称問題」は、意外な形で幕を閉じることとなった。

おれに初めての甥っ子が生まれたのである。
生まれたと言っても、命懸けで産んだのはおれのお姉ちゃんなので、もちろんおれ自身は何もしていない。

「甥っ子」が生まれたということは、「叔父」が生まれるということだ。
そう、おれは叔父さんになったのだ。

はっきり言って甥っ子に好かれたい。
かっこよくて面白くてステキで親しみやすい叔父さんだと思われたい。

「おれ」という一人称を家族の前で使えない自意識過剰な叔父さんなんて嫌だ。

おれは覚悟を決めることにした。
保守派とか改革派とか右とか左とかよりも甥っ子の方が大事だ。




ある時、そんな覚悟を決めたおれに、また帰省のタイミングがやってきた。

鳩サブレを甥っ子のお土産に買って帰った。
理解してくれているかは分からないが、「東京に住んでいる叔父さん」を演出してみたのだ。

そして程なくするとついに、家族との会話の流れで一人称を使わないといけない場面がやってきた。
「てつ」でも「わたし」でもない。「一人称無し」のジェスチャーでもない。「わたし」でもない。

「いや、お、おおおおお…おれのさ〜」

こうしておれは、無事に家族の前で「おれ」デビューを果たしたのだった。
それからはずっと一人称は家族の前でも友達の前でも「おれ」を使っている。

家族は、おれの一人称が「おれ」に変わったことに気づいてすらいないのか、逆に気を遣っているのかは分からないが、特に反応もしてこない。
そんなことならもっと早くおれ一本化に踏み切りたかった。

ただ、まだなんとなく慣れなくて、ジワっと汗をかきながら家族の前で「おれ」を使っている。

まあ、こうしておれの「おれ一本化構造改革」は完了したのだった。
おれの一人称に25年ぶりの平和が訪れた。

嬉しくはないが、これからも自分の小さくて大きな自意識とは付き合っていくことになるだろう。

そして、4、50年後先にまた再熱するであろう一人称問題に向け、今度は右にも左にも根回しをちゃんと行うのだ。
次こそはスムーズな「ワシ一本化構造改革」を成功させるのである。

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