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27歳の誕生日、焦燥感を寡黙なマッチョゴリラに砕かれた話

おれは高校3年間アイスホッケー部だったのだが、同期に寡黙なマッチョゴリラがいた。
いや、もちろん正確にいうとゴリラではなくゴリラによく似た同期だ。

身長こそ168cmほどでそこまで大きくなかったが、鋭い顔付きで身体は全体的に太く、筋肉ムキムキであった。
口数は少なかったが自分のこだわりみたいなものを持っている男で、いい意味で厳しくてキツい性格をしていた。

練習には文句も言わず黙々と取り組み、走っても筋トレをしてもチームトップレベルの記録をいつも出していた。
アイスホッケー選手としてもかなり上手い部類で、大学ではインカレ制覇する学校へ進みレギュラーを掴んだ。

さらに先輩であっても、「言うことは言う」みたいなタイプだったので、怖がられることもあった。

同期のおれからしてもそうである。
特におれは下手くそでミスをすることも多かったので、このマッチョゴリラに怒られたことが何度もあった。

同期というよりは先輩後輩みたいな関係だったように思うが、遠征のバスはいつも隣だったし、筋トレもよく一緒にやった。

ただ、そんな見た目と性格でありながらマッチョゴリラは舌足らずで、分かりやすく「らりるれろ」が「だでぃでゅでど」に変換されるタイプのそれだった。

このマッチョゴリラは当時AKBのメンバーであった「ぱるる」のファンであった。
舌足らずのマッチョゴリラは好きなアイドルを聞かれるともちろん「ぱでゅでゅ」と答えるので、それを笑うといつも肩パンをされた。


「6月11日」、これがおれの誕生日らしい。
不思議なものだが、誕生日は一年に一度、正確に必ず決まった日にやってくる。

おれは忘れっぽい性格なのだが、おれの誕生日の方は記憶力が良いらしくて、毎年必ず忘れずに来てくれる。
おれにもその記憶力をちょっと分けて欲しいものだ。

子供の頃、誕生日はそれなりに良いものだったと思う。
それは肉体も精神も、成長に向かっていたからだ。

120センチだった身長は130センチになったし、130センチだった身長は140センチになっていた。
子供の頃は、自分の身体が、どんどん大きくなっていく世界しか知らない。

身体は大きくなっていくし、精神的にも成長するし、出来ることも、お小遣いも、エロい知識もどんどん増えていった。
これは高度経済成長期みたいなもので、だから子供はいつでも調子に乗っていて最高だ。

そして去年の6月11日にまた誕生日が来て27歳になった。

順調に成長していけば、3メートルくらいに身長が伸びていてもおかしくない頃だったが、おれの身長は不思議なことに高校2年生の頃、ピタッと成長するのをやめた。
成長するのに飽きたらしい。もしくは成長することに疲れたのかもしれなかった。


最近、SNSを開くと、学生時代の友達が「オトナ」になってきた。

ついこの間まで一緒に家系ラーメンで、無料の調味料を使ってどれだけライスをうまく食えるか研究していたハズなのに。
安い居酒屋チェーンでお酒を飲んで、吐いて、カラオケをしたり、ナンパをしたり、部活をがんばったりしていたハズなのに。

身につけている服、食べているものが確実にどんどん「オトナ」になっていってるのだ。

体育会系出身なので、おれの友達はそれなりには良い会社に勤めているやつが多いと思う。
アラサーにもなると社内で出世をしているやつもいるし、結婚をするやつもいるし、子供が出来たやつもいるし、年収800万以上のやつもいる。

おれはどうだろう。
管理費込み5万5千円でボロボロのバランス釜(わからない人はぜひ調べてくれ)の付いているアパートに住んでいる。
夏は熱湯みたいなお湯しか出なくなるし、冬は暖房がほとんど効かないので、服を着込んで毛布にくるまっている。

取り付けがもうガタガタで虫が自由に出入りできるから、殺虫スプレーで黒光りするアイツを必死に追いかけ回している。

疲れると鬱が顔を出してきて生活が止まることもたくさんある。

本を読むのが好きだけど、新しい本を買うとき、古本で出てから買おうと思う。
好きな作家さんに印税を入れたい気持ちもあるけど、それよりこっちの生活がままならないので諦めることが多い。

高齢化社会だからなのか、周りの人は、アラサーのおれにまだまだ「若くていいねー」と言ってくる。

でも鏡を見ると見慣れた童顔の上に大きなシミがある。
昔はツルンとしていた足の親指から毛が生えてきたし、日に日に濃くなってゆく。

性格は全然成長しないし、金だってずっとないままなのに身体はゆるやかに、でも確実に「おじさん」に向かっている。


20代半ばに入ってから誕生日に居心地の悪さみたいなものを感じるようになってきた。

そして27歳の誕生日、それははっきりと焦燥感となって現れた。
別に全ての感情が焦燥感だったわけではないが、胸がチクチクとした。

誕生日の日、いろんな友達からLINEで連絡が来た。
みんなおれが金無しの生活をしていることを知っているから、ラインギフトがたくさん届いた。

漫画を描くようになっていろんな人が、「がんばれ」と言ってくれるようになった。
学生の時よりも「がんばれ」を貰う数がぐんと増えた。

それはとても嬉しいし本当にありがたいことだ。
でも歳を重ねた分だけ「がんばれ」がリアルに感じてくる。

「ありがとー!」と返信しながら、そんなことをぐるぐると考えていると、またラインが来た。

あの寡黙なマッチョゴリラからだった。
スマホ画面を見ると「誕生日おめでとう!」の後に、「がんばるべ」と続いていた。

おれは「わっ」と思った。


高校のアイスホッケー部はとても厳しかったが、おれは部活が好きだったので一生懸命やった。

アイスホッケー部は、どこの学校も「がんばー!」と声出しをする。

下手くそな自分は人一倍、「がんばー!」とチームに声を掛けていた。
いつもいつも声を張り上げた。

練習がキツいときはカラ元気を出して、わざといつもよりデカい声で、半ば悪ノリで「がんばー!」と叫んだ。
みんなあいつまたやってるよとゲラゲラ笑いながら後に続いて「がんばー!」と叫んだ。

すると力が湧いてきたし、気づいた頃には不思議と練習は終わっているのだ。
「がんばー!」は魔法の言葉だ。

試合の時だって、ベンチからいつも「がんばー!」と叫んだ。
スタメンでない時も多かったので、おれは一生懸命に声を出そうと思った。


マッチョゴリラからのLINEは、「がんばれ」じゃなくて、「がんばるべ」だったのだ。
「がんばでゅべ」の発音で再生されたが、アラサーになって肩パンを食らうのはイヤなので笑いは堪えてみる。

どこかで会社員のみんなは安定していて、不安定な道を選んだ自分は、周りと違ってシンドいと思っていた。

確かに、会社員と漫画家志望のフリーターはぜんぜん違うかもしれない。
でも高校の同期だっておれとは違う場所で会社員として一人で戦っていたのだ。

ちょっとキモいかもしれないけれど、「みんなまだあそこにいるんだ」と思った。

「自分だけがんばっている」なんて思ったことはないつもりだったけど、みんなもがんばっているという当たり前のことをちゃんと思い出すことが出来た。

そんなワケで、27歳の誕生日の焦燥感は、寡黙なマッチョゴリラの一言であっけなく砕け散ったのだった。

焦燥感はゼロにはならないし、油断するとまたふつふつと育つし、たまに爆発しそうな日もある。
でも、たまにこのことを思い出していこうと思う。

漫画だって読んだ相手を励ますのが、その機能の中の一つであると思っている。
おれも漫画を使って読者にがんばれを言うのだ。

それなのに、そんな漫画を描いていくハズのおれが、周りも見えずに自分だけシンドくてがんばっていると思い込んでいるなどあり得ないのだ。
そして、また漫画を描けそうな気がしたのだった。

寡黙なマッチョゴリラどうもありがとう。
おれは今日28歳になりました。

がんばるべー!
がんばー!

最後まで読んでくれてありがとうございます! ふだんバイトしながら創作活動しています。 コーヒーでも奢るようなお気持ちで少しでもサポートしていただけると、とっても嬉しいです!