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「保温効果がない」、という機能がある。

西荻窪に住んでいた頃、よく井の頭公園まで散歩をした。
公園通いをしていると、キントーのタンブラーを持参している人たちが結構多いことに気づいた。

タンブラーを使いこなす人たちは、おれからするとやたらカッコよく見えた。

このキントーのタンブラーは、シンプルながら蓋がちょっと個性のある形をしていてかわいい。
表面はマットでありながら少し艶がある質感で、圧倒的に佇まいが良い。

本人たちからすると、単純に節約や保温の為に使っているのかもしれない。
しかし、おれにはそれが「オシャレに散歩を楽しんでいるセンスの良い人たち」のシンボルマークみたいに見えた。




高校の頃、部活の中でなぜか『カーハート』のニット帽が流行ったことがあった。
確かに北海道の高校なので、冬になると防寒具としてニット帽自体はほぼマストアイテムなのだが、何故かみんなこぞってそのカーハートのロゴが入ったニット帽を被っていた。

今考えると、全員ブカブカで大して似合ってはいなかったのだが、先輩たちがこのニット帽子を被っているのを見て、「すごいオトナな感じ」がして憧れたものだ。
もちろんおれもすぐに札幌駅のビルに入っている『WEGO』に行き、お目当てのものを手に入れた。

キントーのタンブラーは、高校でいうところのこのカーハートのニット帽のような強い憧れをおれに抱かせた。
公園のベンチでそのタンブラーを手に休憩している人たちを見ては、「先輩たち、マジかっこいいス〜!」的な気持ちになっていたのだ。

おれもキントーのタンブラー片手に「オシャレな散歩」をしたい。

高校生の頃から10年以上たった令和の時代、おれは札幌駅のビルに入っている『WEGO』ではなく、スマホの中に入っている『Amazon』でタンブラーを買うことにした。
思ったよりもたくさんのカラーバリエーションがあって悩んだが、おれはその中からレッドを選んだ。

色味のハッキリしたレッドは自分の中で「オシャレ」から遠いイメージがあったので、真っ先に候補から外していたのだが、ぐるぐるとどの色が良いか考えているうちに考えが変わったのだった。

シンプルで間違いのないホワイトや、ブラックや、スレンレス。
オトナっぽいおしゃれな雰囲気を静かに放つカーキや、サンドベージュ。

ここら辺が良いだろうと最初は思っていた。
吉祥寺で「オシャレな散歩」をする先輩たちもそれらのカラーを使っている人が多かった。

しかし人間は欲深いもので、だんだんと先輩たちが使っていないカラーを”あえて”使うことで「逆にそっち行ったか!やられた!」とか思われたい気持ちが芽生えてきたのだ。
新入りの一年のくせに生意気である。

さらに言うと、おれは普段からモノトーンの服装が多かったので、レッドのタンブラーはファッションの差し色としても良いだろうと算段も立てていた。
我ながら、差し色なんてかなりおしゃれ上級者っぽいではないか。



無事にタンブラーが届いた次の日、おれはさっそく早起きをして散歩に出掛けた。
少し眠気があったが朝の空気の中でする散歩は、あくびをしながらくらいの方が丁度いい。

散歩はいつしても良いものだが、朝の散歩は格別だと思う。

公園に到着したおれは、いつものベンチに腰を掛けた。
ベンチはいつものだが、おれはいつものおれではない。

なぜなら今日のおれは”あれ”を持っているからだ。
おれはリュックに入れてきた本と一緒に、新品の、キントーの、レッドの、タンブラーを出した。

タンブラーには家でハンドドリップしたコーヒーを入れてきた。
自分で淹れた方が、そのコーヒーに愛着が湧くし、何となくオシャレな感じがする。

服はもちろんモノトーンだ。
散歩でばっちり服をキメるのも違うので、「半分部屋着みたいな服を適当に着てきたけど、センスの良さが出ちゃいました」みたいに見えるように緻密に計算したコーディネートだ。

主張の少ない服を、手に持つレッドのタンブラーがまとめている。
満を辞しての差し色デビューである。

「先輩たち!どうスかおれのタンブラー!見てください!」

少しだけ余談だが、このタンブラーのふたは2段階になっていて「1番外側のふた」と「飲み口部分」に分かれている。

飲み口部分には、内ぶたがついていてその隙間から飲み物が出てくる構造になっている。
なので外側のふたを外しても、保温効果が落ちないのだ。

すばらしい企業努力である。

タンブラーは持っているだけではしょうがない。
ついにおれは井の頭公園でキントーのタンブラーを使うのだ。

これで、「オシャレな散歩」をする人たちの仲間入りを果たすと思うとちょっと感慨深い。
おれはタンブラーを手に取り、外側のふたをひねった。

そして慣れたような顔を作りながらコーヒーを一口、ズっと飲んでみた。



「熱ッ!」

めっちゃびっくりした。
しかし、おれはすぐに平然な表情をした。

熱がっているのを先輩達に見られたら、「おいおいあの一年、慣れないタンブラー使って熱がってるぜ。」とバカにされるだろう。
WBC2006年大会。第一次ラウンドの韓国戦のデッドボールを受けたイチローもすぐに痛がるのをやめて、平然とした顔で一塁へと進んだ。

野球も散歩も簡単に他人に弱みを見せてはいけない。

人間には学習機能というものがあるらしい。
おれはその機能を遺憾無く発揮し、2口目は慎重に飲んでみた。

「いや熱ッッ!」
ぜんぜんすげー熱かった。

もちろん、すぐに平然な表情をした。
WBCでデッドボールを受けたイチローも痛がらない。

タンブラーの保温機能が高すぎて、全くコーヒーの温度が下がってくれないのだ。
つまりほとんど熱湯の温度である。

おれは中のコーヒーを冷ますべく、念入りに10回ほどタンブラーを回した。
そして、「1口目ですよ」みたいな顔でおれは3口目を飲んだ。

「ぜんぜん熱いッッ!」

平然な顔。
死球を受けたイチロー。

おれは下唇の内側に強い痛みを感じた。
もうしょうがないので本当に少量、数ミリずつだけ飲むことにしよう。

念には念をと、5分以上掛けて何十回もタンブラーを回しながら、冷めてくれることを祈る。

慎重に、少量だけ。
さすがにこれで大丈夫だろう。

「ぐッ…!」

平然イチロー。

口の中の痛みで強く握った手が震えはするが、なんとか堪えることは出来る。

そのまま数ミリずつ激アツのコーヒーを必死に飲み続けていると、口の中があきらかに腫れて表面の皮がざらざらして剥がれてきていることにおれは気づいた。
普通にめちゃくちゃ火傷しているのだ。

いや、そんなわけはない。
「おしゃれな散歩」に、「火傷」はたぶん不要なピースだ。

それに火傷は認知の問題である。
自分自身が火傷をしていないと思い込めば、火傷なんてしていないのである。

そう思えば、こっちのものである。
逆に気にしないでふつうに飲んだ方が熱くないかもしれない。

こっちにはイチローだって付いているのだ。

「あッッッつーーーー!!!」

ヤケドは決して認知の問題ではないので、絶対に無理はしないで欲しい。
おしゃれな散歩よりも、口の中の健康の方が大事だ。

なぜ今おれは半泣きで口の中に火傷を負いながら熱湯コーヒーをひとり飲んでいるのだろう。
高機能というものも考えものだ。

「もうどうにでもなれ!」と、おれはタンブラーの飲み口部分もガポっと外し、必死の形相で中のコーヒーにフーフーしたり、さっきの倍くらいの勢いでタンブラーをグルグルと回しまくった。
こうなってくると必死である。

全部イチローのせいだ。
イチローが死球を受けたあと、ちゃんと痛がってさえいればこんなことにはなっていないのだ。

それに井の頭公園を散歩する人たちは、おれのタンブラーなんて見てもいないし、気にもしちゃいないようだった。(そりゃそうである。)

そしてそれから30分ほど経ったろうか、おれは無事ぬるくなったコーヒーをごくごくと流し込んでいた。
口中がひどい大ヤケドで、コーヒーの味はもはや全くしないので実質ぬるいお湯である。

オシャレな散歩への道のりは険しい。



おれはふと、西荻窪のアパートで普段使っていたマグカップのことを思い出した。

ある時メルカリで購入した、パイレックスの耐熱ガラス製のマグカップだ。
良く言えばヴィンテージだが、大量生産された製品なので実際は安い中古のマグカップだ。

それでも程よい重さと柔らかさが手に馴染む。
シンプルで飽きのこないデザインだし、なにより頑丈なので長年愛用している。

そういえばこのマグカップでコーヒーを飲む時、たしかに淹れたては熱いので慎重には飲むが、それでも口の中をヤケドすることは基本的にはない。
ヤケドをするとしたら、加減を誤って予想以上の量が口の中に入ってきてしまったときくらいである。

それに最初は熱くても、数分経てば飲みやすい温度まで下がってくれる。
逆にしばらくすると、ぬるくなってくるのでそうするとそろそろ飲み切った方が良いというタイミングだ。

つまりこのマグカップには温度が下がってくれる、「保温効果がない」という機能があったのだ。

食品にしても家電にしてもタンブラーにしても、「高機能」という謳い文句の商品が今溢れている。
そして「高機能」と比べるならば、そうでないものは「低機能」な商品であるとも言えるだろう。

しかし、その機能が「高機能」であるか、または「低機能」であるかは、それを使う人間やシチュエーション次第だったんだなとおれは思った。

人間自体だってそうかもしれない。

最近、他人に対し「優秀」とか「無能」とかいう表現をする人を良く目にする。
そしておれはその「優秀」とか「無能」という言葉が好きじゃない。

全くもってぜんぜん好きじゃない。
おれ自身が優秀ではないからよりそう思うのかもしれない。

たぶんネットで流行っている誰かのせいで、いろんな人が「優秀」や「無能」という言葉を使うようになっているのだ。
「高機能」が支持される世の中の止めようがない流れなのかもしれない。

たしかに足が遅い人、記憶力の悪い人、絵の下手な人、人見知りの人、色々な人がいるだろう。
実際問題、仕事の「出来る人」と「出来ない人」だっていると思う。

でもその一部分だけ見て、「優秀」か「無能」かという安易な物差しで一方的にジャッジするなんて、つまらない価値観だ。
優秀じゃなくても、低機能でもベターな使い方や場所があるはずなのだ。

口も性格も悪くたって別にぜんぜん良いと思う派だが、使う言葉は自分でちゃんと選ぶようにしたい。



そして、「井の頭公園平然イチロー事件」から2年が経った。
2年というのは、イチローに非がないとおれが気づくにも十分な年月であった。

実はおれはキントーのタンブラーをいまだに使い続けている。
外出時にはほとんど持ち歩いているくらいだ。

今はまずタンブラーに熱々のコーヒーを詰めてから、そこに冷たい牛乳を入れるようになった。
自分で思っているよりも少し多めに牛乳を入れるのがコツだ。

するとアツめだけど飲めるくらいの、ちょうどおいしいカフェオレが出来上がる。
もちろん保温効果は抜群に高いので、その温度がずっと続いてくれる。

キントーのタンブラー、やっぱり「超優秀」じゃないか。
ちなみに、もちろんパイレックスのマグカップの方も愛用している。

「オシャレな散歩」への道はやっぱり長く険しい。
でもこういう小さなしなやかさの積み重ねが「オシャレな散歩」への近道なのかもしれない。

2年も使っているので、最近はタンブラーのふたのレッドの塗装が少しだけハゲてきた。
だがそれくらい逆に愛おしいというものである。

「馬鹿と鋏とキントーのタンブラーは使いよう」、だ。

最後まで読んでくれてありがとうございます! ふだんバイトしながら創作活動しています。 コーヒーでも奢るようなお気持ちで少しでもサポートしていただけると、とっても嬉しいです!