忘れられない帰省。お母さんに感謝すること。
どうしても忘れられない帰省がある。
社会人一年目、おれはかなり参ってしまっていた。
たまたま人生のことで色々悩むことが重なった。
学生時代そういう事は特に考えずに楽観的に生きていたから、余計に堪えてしまったのだと思う。
自分なりにとても深刻な時期だった。
2、3時間しか寝れない日が半年くらい続き、体力的にも精神的にもギリギリの状態だった。
フラフラの状態で毎日会社まで行った。
テレビ画面の芸人がゲストに強くツッコむと、何かに押しつぶされそうな気持ちになるので、バラエティ番組も見れなくなってしまった。
休みの日はベッドから出れなかった。
簡単に言うと、鬱っぽくなってしまっていたのだ。
たぶんお盆の時期だったと思う。
そんな弱り切っていた時期に札幌の実家に帰省した。
東京の1人暮らしの部屋から、一刻でも早く家に帰りたい気持ちだった。
何かこう、命を守るための人間の本能みたいなものなのだろう。
SNSにも、地元に帰るとは書かずに帰った。
友達と遊ぶ気力もなかったから。
東京から数冊の本を持って行った。
それを読みながらゆっくりしようと思い、おそらくその通りに過ごしていた。
面白いもので、不思議と実家ではよく眠れた。
でもやっぱり、外に出る気持ちにはなれなかったので、家の中に籠もっていた。
そんな時期のことだったので、帰省中の記憶はボンヤリとしていて、ハッキリは覚えていない。
ただ一つだけ、強烈に覚えていることがある。
「今日は親戚のとこ行くよ〜。」
帰省して2、3日目のある昼、おれはお母さんと家で2人きりだった。
ギクっとした。
親戚の家に遊びに行くことを想像した。
仕事はどうだとか、彼女はいるのかとか色々聞かれるだろう。
それに親戚の家に行くと、親戚の子供として、元気に笑顔で素直に振る舞わないと行けない。
親戚のことはぜんぜん嫌いじゃない。
でもそんな体力は本当に残っていなかったし、考えただけで、頭はクラクラしたし、心臓はキュウとなった。
お母さんもそれなりに楽しみにしていたのだと思う。
それに、おれは自分がそんな状態になっているなんて、野暮なこと家族には話していなかった。
申し訳ないと思ったが、本当にそれは無理だと思ったので、
「お母さん、ごめん。疲れていて行けない。家で留守番してたい。」
お母さんは、結構がんこなタイプなので、簡単には引き下がらないと思った。
ここで口論になるかも知れない。それはとても疲れる。
でも、それを覚悟しても親戚の家に行くことは阻止しなければと思っていた。
たぶん行って帰って来たら、ボロボロになってしまう。
「そっか。したらお母さん1人で行ってくるね。」
意外すぎるほど、お母さんはあっさりと引き下がってくれた。
こういうシチュエーションでこんなことは今まで一度もなかったように思う。
なんで行けないのか、そういうこともほとんど聞かれなかった。
ほっとするとか、嬉しいとか、そんな感情はなかった。
拍子抜けしてしまったから。
たぶんそれから、おれは部屋にこもって、本を読んだり、昼寝したりしていた。
なぜか、その時のことを本当に強烈に覚えている。
お母さんもなんとなくその時おれがおかしい状態だと、たぶん気付いていたのだと思う。
いつもは色々口うるさいお母さんだが、その帰省中だけは、何も言われず、そして聞かれることもなく、そっとしてくれた。
最近なぜかその時の帰省のことを断片的に思い出して、考える。
子供のときから使っている自分の部屋に、カーテンレース越しに射す日光と風。
優しい空気で満たされていて、本と共におれのトゲトゲになっていた心を癒してくれた。
今はもう死んでしまった、猫の悪い目つき。
年に1、2回しか帰らなくなっても、自分のことを分かってくれて、一緒に寝たりしてくれた。
国籍バラバラで品数が無駄に多い、美味しい夜ご飯。
起きて居間に行くと、昔と変わらないコピー用紙に書いた手紙と、一緒に用意してある朝ごはん。
いつもの小言。
嫌な顔もせず1人で親戚の家に行ってくれたこと。
何も聞かないでそっとしてくれたこと。
強く心に残っていることって案外こういう「普通のこと」だったりする。
普通のことは、やっぱり生きていくために、たまにはおれたちに必要だ。
でも一人暮らしをするようになってからは普通のことのハードルの高さに唖然としたりする。
それでも実家にはいつでも普通があった。
そして、それを支えている人がいた。
あの帰省の時、「弱った時、こんなふうにそっと休ませてくれる、ただそこに居させてくれる場所がある自分はなんて幸せなんだろう」と思った。
それがその時のお母さんなりの優しさだった。
とても心に染みて、その時の自分を生かしてくれた。
そして最近またあの時間のことを思い出して、救われる気持ちになることがある。
家族に感謝を伝えるのはいつでも恥ずかしいが、あの時の感謝を忘れることはないと思う。
いつか自分の周りの人が本当に弱ってしまった時には、おれもあの時のお母さんのように、何も言わずにそっとしてあげよう。
誰かの普通を支えられる人におれもなりたい。
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