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年末はやさしいから、好きだ。


おれは年末が好きだ。
年末はやさしいから、好きだ。



個人的な話になるが、困ったことにオトナになってからは「今年はやり切ったぞ!」と手放しで言える年がなかなか来てはくれないようになった気がする。

学生の頃は、学校や部活の枠の中で用意された一年をこなせば、何となくの達成感を毎年得ることが出来た。

特に今年は、コロナの影響もあり、多くの人にとってそうだったように、おれにとっても本当に本当にボロボロの一年だった。

今年の頭の方に、住んでいた小岩のシェアハウスを解散して、東京の西の方で1人暮らしをはじめた。
しばらくするとコロナの影響で緊急事態宣言が出た。

この時は飲食のアルバイトをしていたので、完全にシフトがゼロになった。
つまり、収入が文字通りゼロになったのだ。

家賃を、光熱費を、携帯料金を、奨学金を、払うお金がなくなった。
食料を、マスクを買うお金がなくなった。

散髪するお金もなかったので髪は坊主にした。(気に入ってるけど)

この時はまだ、コロナがどれほど危険なものなのか、どれくらい流行るのか、どれくらい続くのか、自分の収入はどうするのか、全てが分からなかった。
そして会社員でない自分にとって、この恐怖を人と共有するのは難しかった。

金銭的にも、体にも心も小さくないストレスが掛かった。




もちろん悪いことだけではなかった。

外に出て、出来ることが何もなかったので、この時期はマンガも文章もイラストもたくさん創った。

それがうまくいって、今年に入ってやっとマンガがバズりだしたり、文章も読まれるようになった。
バズったマンガにはたくさんの人から、たくさんのコメントが来た。

ただ自分が描きたいから描いただけなのに、たくさんの人から感謝されたし、作品を読んで泣いたという人も少なくなかった。
不思議な感覚だった。

金銭的にも知名度もまだまだ世間一般の言う「成功」からは程遠いいけれど、ずっと勉強もスポーツも出来の悪かった自分からしたら、飛び跳ねるほどうれしいことだった。

その作品について、いくつかのニュースサイトから取材もしてもらった。
基本的に、人と話すのも自分が目立つのも好きな人間なので、取材は恥ずかしかったけど、とっても楽しいものだった。

Yahoo!ニュースに記事が載ると、家族も友達もみんな喜んでくれた。
なんだかんだみんなミーハーである。

あとで記事を読み返すと「う〜ん。ちょっとかっこつけすぎてるな〜。」なんて思ったりもしたけど、そんなことも含めて良い体験だった。

人から貰う感想や取材の中で、それまで自分も気づいていなかったところに気づくことがあって、それもすごく楽しかった。

マンガがバズって、じぶんの創作の一つのスタイルに自信を持てるようになった。
自分の頭にあるものはきちんとした形で世の中に出せば、ちゃんと価値があるのだと知ることが出来た。

作品はたくさんの人に読まれていろんな感情とか言葉とかを生んで、それらが集まったり反応して、まるで自分で意思を持っているみたいに見えた。

「作品は出した時に作者の手を離れる」とよく聞くけれど、ちょっとだけその感覚を味合わせてもらった2020年だった。




と、まあ良いことはこのくらいまでだった。

おれはコロナによる金銭面の不安や体力的な疲労が飽和して、9月末いきなり倒れてしまった。(倒れたと言うのは、比喩表現である。)

激しいダルさが体ぜんぶにのしかかり、吐いたり、ベッドの中で動けなくなったりした。
社会人時代に不眠で苦しんだことを思い出して、またそれが来るかもしれないと恐ろしい気持ちにもなった。

言葉にすると軽くなるが、こういう時はひとりで魔物と対峙してるみたいな孤独感とか絶望感がある。

社会人の時に体調を崩してからは、なんとかそれと付き合いながら過ごしてきた。
体調が悪くなっても、1週間くらいじっと休めばだいたい元に戻った。

だが、今回のは数ヶ月ずっと回復しなかった。

これはどうにかしなくてはと思い、初めて精神科に行ってみた。
先生には「鬱」だと言われた。

まあ、そりゃそうだろうなと思った。
風邪でもないのに、吐いたり動けなくなるのはおかしいのだ。

そんな感じで鬱は今も治療中だ。

そのことで家族と、距離の取り方が分からなくなったりもした。

創作もほとんど出来なくなったし、毎日起きて生活するだけでヘトヘトだった。
好きな人に連絡を取れなくもなった。

がんばったのに結果が出ないことよりも、がんばりたいのにがんばれないことの方が何倍も辛いと知った。
体調が治らないことはじぶんをとても落ち込ませた。

ちょっと大袈裟かもしれないけれど、今年は自分にとって失われた1年になった。

そして、気づけば年末が来た。




オトナになってから「やり切ったぞ!」と言える年がなかなか来てくれなくなったのと同時に、おれは年末を「やさしい」と思うようになった。

なぜなら年末は一年間の全てを区切って、そしてリセットしてくれるからだ。
どんなに情けなく、失敗ばかりで、ボロボロの年であっても、年末が終わればちゃんとまた新しい年が始まる。

理想の一年を過ごすことはけっこう難しい。
それに人間は生きていると、してはいけない間違いをしてしまう時だってあるし、個人的にも今年は特に落ち込むことが多かった。

でもおれは人間だから、全部の感情をそのまま正直にずっと背負って歩いていけるほど強くはない。
じぶんの失敗とか情けなさを全て背負える覚悟も持ってない。

でも、「その時」のこととして、どこかに持っていることくらいは出来るかもしれない。

年末はその一年一年を区切ってくれる。
「区切る」というのは、それまでのことを「過去のこと」にして保存することなのかもしれない。

今年の自分は今年の自分だし、過去の自分は過去の自分だ。

人間はリセットがないと生きられない。
リセットがあるから生きられる。たぶんそうだ。

良いことだってそうだ。
今年の良いことは、今年の自分のものだ。

今年が終われば、良いことも捨ててもう一度立ち上がらないといけない。

年末だけは必ず、正確に毎年リセットしてくれる。

人生は絶対に地続きだけど、それでも年末は今年の時間も感情も人の営みもエネルギーもぜんぶ飲み込こんでいく。




そして年末は、今年の自分を殺す。

今年の自分は、ちゃんと12月31日に死ぬ。
そしてまた来年は、新しい自分が生まれる。

年末が過ぎれば、今年の自分は区切られ「過去の自分」になる。

そして年末は、「今年もそれなりにやったよ。来年もがんばって生き残れよ。」と言ってくれている気がするのだ。

今年もしんどいことが多かったし、うまくいかないことばかりだったけれど、来年こそはやってやるのだ。
きっと来年こそは良くなるハズだ。

今年は今年、来年は来年だ。
誰がどう言おと、そう信じる。

そして、また来年がリセットされる時、どんな気持ちで何を描いて、何を書いているだろうか。
難しいことはこれから考えようと思うけど、良い来年にしたい。

シンドかった人も楽しかった人も全ての人へ、今年もお疲れ様でした。
誰よりもおれに、お疲れ様でした。

今はゆっくりと体を休めて、力を蓄えろ。

来年はしたたかに図太く、この世界を突破するのだ。
また新しい年が始まる。

年末はやさしいから、好きだ。

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