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キミたちは、石焼きいも屋に命を助けられたことはあるか?


おれは小学3年生から大学卒業までアイスホッケーというスポーツをやっていた。

日本ではマイナースポーツなので、サッカーや野球などのメジャースポーツと比べるとその規模はかなり小さいのだが、現役のとき、高校と大学では一応毎年全国大会に出場していた。

とは言ってもおれ個人としては、悲しいほどにアイスホッケーのセンスがなくずっと下手クソであった。
でも、おれはどれだけ厳しい練習も基本的にいつもまじめにがんばった。




意外に思われるかもしれないが、アイスホッケーは氷上での練習は全体の半分くらいしかない。

アイスホッケーは、基礎体力作りが必要なので陸上での「走り込み」や「ウエイトトレーニング」がとても厳しいのだ。
そして特に、おれの高校のアイスホッケー部の練習は軍隊のように厳しかった。

しかし、おれは1年生の頃から部内で長距離を走るのだけは1番だった。

小中学生のときから長距離は速かったのだが、「こばっち」という、身体能力が抜群に高いやつが同じクラブチームにいたのでおれはいつも2番目だった。
こばっちはアイスホッケーも上手だったので、地元を離れて強豪校に進んだがおれは地元札幌の中堅校に進んだ。

部内で1番足が速いというのは、おれにとって非常に困った事態だった。
なぜなら、1番足の速いおれは少しでもサボってタイムがいつもより遅かったり2番でゴールすると、目立ってすぐに監督にバレるからである。

1位だけはサボれないのだ。

こうして、おれはそんな悲しい運命を受け入れて、3年間サボることなくずっと一生懸命走りこみの練習をがんばった。
10キロの走り込みも、シャトルランも、1500メートルも、山での坂ダッシュも、全部全部全部、全力で走って1位でゴールした。

監督は「練習をがんばれば必ずアイスホッケーがうまくなる。」と言ったし、ピュアだったおれもそれを信じて、陸上トレーニングでは必死で常に1位で走り続けた。

そして、毎日体力の限界まで追い込んで走っていたおれはどんどん足が速くなっていった。




うちの高校では一年に一回、「支笏湖遠足」という狂気的な行事が開催された。

札幌市内にある公園から「支笏湖」という湖まで36キロなぜか遠足するのである。
平地は最初の10キロほどで、あとは激しい傾斜の峠を越えなくてはならない。

「遠足」とは名ばかりで、体育会の部活に所属する生徒たちはなぜか全ての道のりを走らないといけなかったので実情はただの「マラソン大会」だった。
うちの高校は、北海道の中でも屈指に運動系の部活が強い高校なので、かなりの生徒がこの苦行を果たさないといけなかった。

半数くらいの部活が、全道大会や全国大会の常連だし、野球部なんかは夏の甲子園に通算38回出場していて、この出場回数はなんと全国1位だ。

おれのお父さんも同じ高校の出身で、当時の「支笏湖遠足」に参加していた。
だから少なくとも40年以上の歴史がある行事である。

ただこの行事は、おれが1年生時に湖の近くにスズメバチの巣が出来て中止になり、2年生時には大雨が降って途中で中止になっていた。
だから、おれは3年生の時に初めてこの支笏湖遠足を完走をした。

3年間がんばって部活の走り込みで毎日1位を取り続けたおれの体はバキバキに出来上がっていた。

おれはその支笏湖マラソンで、校内でぶっちぎりの1位で優勝した。
しかも、がんばりすぎて40年以上の歴史があるその行事の歴代記録をたしか2分くらい更新した。

半分以上が急勾配であった36キロをおれは2時間25分20秒でゴールした。
今では自分でも考えられないが、1キロあたりほぼ4分ジャストで走り切っている。

おれはなんと、ホッケーをうまくなろうと思って、陸上の走り込みを死ぬ気でがんばった結果、ホッケーは死ぬほど下手なままで長距離が死ぬほど速くなったのだ。
こんなアホみたいな話、ありだろうか。

10年前くらいにダルビッシュ有さんがあることをツイッターでつぶやいていた。
「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」

2.2万いいねが付いていた。

おれはもっとはやくダルビッシュ有さんをフォローしておくべきだった。






高校生のとき、おれは夏休みが来るのが憂鬱だった。

夏休みには「4部連」という地獄の練習があったからだ。
これは通常1日でやる量の練習を、4回分1日に詰め込むという、泣きたくなるくらい辛い練習だ。

朝の5時30分くらいに起きて、まずスケートリンクに向かい、一部目の氷上練習を1時間半こなす。
そのあと5キロかけて、学校まで走る。

そして休憩を挟み、2部目の陸上トレーニング。
これは毎回メニューが変わるが、だいたい1時間〜1時間30分ほど走り込む。

これが終わると昼の休憩が入る。
1人に付きどデカい弁当箱が2箱渡される。

一つには白米だけがぎっしり入っている。
おそらく2合分くらいだ。

もう一つ同じ大きさの弁当箱には、おかずがこれまた同じくぎっしり入っている。

すべてのおかずが茶色で絶妙に食欲をそそらない。
さらに弁当は冷え切っていて、ぜんぜん美味しくないのだ。

だが、量だけはハンパじゃないくらいあるので、みんな必死の形相でそれを胃袋に詰め込む。
もちろん「お残しは許しまへんで!」と言った具合である。

先生も同じお弁当を食べるのだが、その半分以上を生徒に配る。
もちろん生徒は全く嬉しくないのだが、先生からおかずや白米を受け取ると、悲しいかな大きな声で「ありがとうございます!」と叫ばなければならない。

昼飯を食べた後は、1時間ほどの休憩が挟まれ、部室の前の廊下に坊主の汗臭い男子高校生が所狭しと並び、「ガーガー」といびきをかきながら昼寝をして残り半分、午後の練習に備える。

午後は、3部目の筋トレから始まる。
だいたい2時間ほどウエイトトレーニングをする。

そのあとまたもや5キロかけて、学校からスケートリンクまで走って移動する。

最後の4部目は、また氷上練習を1時間30分ほど行う。
20時くらいに練習が終わり、ヘトヘトの状態でやっと家に帰ることができる。

そして、この4部連はだいたい「2日連続」で行われるのだ。




その日は、まさに4部連の2日目だった。

氷上練習と片道5キロのランが終わり、2部目の陸上トレーニングが始まった。
1周3キロのコースを3セット走るメニューだ。

このメニューは、比較的ラクな部類のメニューだったが、4部連の2日目だったので、体は満身創痍だった。

1セット目、いつも通りマジメに走っていたのだが、ちょっと体が重い。
それでもなんとか1位でゴール。

2セット目、さらに体が重くて、思ようにスピードが出ない。
いつも1位でゴールするおれが珍しく4位くらいでゴールした。

佐々木先生が「てつとどうした!こんなんじゃダメだぞ!」と檄を飛ばす。
この先生は、その年からアイスホッケー部のコーチになった若い先生だった。

選手たちとも距離が近く、親しみやすい良い先生だ。

おれはマジメだったので、自分を責めた。
くそ、、、今日は自分を追い込むことが出来ていない。

陸上メニューでは後輩を引っ張らないといけないのに、最上級生のおれがこんなんじゃ、、、!
3セット目こそは自分の力を全て出して走るぞ!

おれは荒い鼻息で、酸素をめいいっぱい体に取り込んだ。
それは足の筋肉まで一気に運ばれる。

酸素は熱を生んでそのエネルギーは足の裏へ集まり、一気に地面のアスファルトを蹴り出す。

ぶっちぎりのスタートダッシュを決め込み、おれは1番先着を走っている。
よし、いいぞ!このまま!

しかし、3分の1くらい走ったところでまた激しいダルさが体を襲った。
あ〜だめだ、、、おれはまた自分を追い込むことが出来ないのか!

次から次へと後続の部員に追い越され、あっという間にビリケツになって、しまいにはみんなの姿は見えなくなってしまった。
その時にはもう走るというよりジョギング程度のスピードしか出せなかった。

そのまましばらくジョギングをしていると、次はジョギングも出来なくなりおれはよろよろと歩いた。
歩くのも立っているのも辛くなって、アスファルトに座り込んだ。

次に座っている力もなくなり、おれはついにアスファルトに仰向けになって倒れてしまった。
自分でも、何が起きたのか分からなかった。

体にはもう力が入らなかった。




アスファルトの上で動けないまましばらく時間が経った。

おれは自分を追い込むことが出来ずに、妥協していたわけではなく、身体中のエネルギーを使い果たしてしまって、動くことも出来なくなっていたのだ。

散歩中の優しいおばあさんが心配して声を掛けてくれた。

「だ、大丈夫かい?」

しかしおれはしばらく休めばまた動けると思っていたし、何より恥ずかしかったので、力ない声で「大丈夫です。」と答えた。
アスファルトに倒れ込んでいる人間が大丈夫なわけがない。

おばあさんは困った顔をしながら、住宅地の奥へそのままトボトボ消えていった。

しかし、しばらくしても動けるようになる気配は全くなかった。
おれは人に助けてもらえるチャンスを逃したことに、この時気づいた。
おれのバカ!

もう意識も朦朧としてきた。

汗のせいで顔に引っ付く砂がジャリジャリして不快だった。
遠くで聴こえる人の声やら車の走る音が、やたらクリアに聞こえる。

もうダメだ。
おれは多分ここで野垂れ死ぬんだ。きっとそうだ。

気づくと、おれの脇に横たわるパトラッシュの幻覚が見えた。
「ぼくトレーニングをし過ぎて、なんだかとても眠いんだ、パトラッシュ…」

聖歌隊のコーラスが聞こえてきた。
裸のかわいい天使たちがおれをみて微笑みながら舞い降りてきて、手を差し伸べてくる。

「もう追い込む必要なんてないのよ。社会人になったらこんなの一つも役に立たないわ。」

そして、おれが天使たちに導かれ、今にも宙に浮こうとしていたその時だった。

遠くから聖歌隊のコーラスをかき消すように「いしや〜きいも〜、おいも」という声が耳に入ってきた。
人は死ぬ前に走馬灯を見ると言われている。

まさかおれの走馬灯は、石焼きいもだったとはびっくりだ。
もっと他に見るべきものがあるはずだ。

「おいしい、おいしい、おいもだよ」

家族といった思い出のキャンプ、部活で仲間と喧嘩したり泣いたり笑い合った日々、好きだった女の子のこと。。。
しかし、何かのシステムエラーが起きておれの人生において重要度がかなり低いはずの石焼きいもの走馬灯が流れていることはもはや紛れもない事実だった。

泣きたい気分だが、これも人生なのかもしれない。
おれはやけクソになって、そっと体の力を抜いて目を閉じた。

死ぬまで時間がないだろうし、今回の人生はもうこの走馬灯で乗り切るしかない。

「いしや〜きいも〜、おいも」

おれは何か違和感を感じた。
あれ?石焼きいもの声、だんだん大きくなってないか?

「お兄ちゃん!お兄ちゃん!!!大丈夫か!!!」

目を開くと、汚い格好をしたオッサンが石焼きいもの車の窓から身を乗り出してこっちに向かって叫んでいた。

うん、たぶん大丈夫じゃないと思う。




石焼きいも屋のオッサンはおれを担いで、車に乗せてくれた。

「そこの高校のアイスホッケー部のものです…」

石焼きいものオッサンは途中、自動販売機でスポドリを買ってくれた。
その時のスポドリはこの世で1番おいしかった。

ペットボトル1本分のスポドリを一気に飲むのはいつもならちょっと大変だが、その時は一瞬で飲み干した。
今なら3本くらいは平気で飲めそうだなと思った。

水分が飲んだそばから自分の身体に染み入り融合するみたいな感覚があり、やっぱり人間の身体は突き詰めれば水分なんだなと思い知った。

石焼きいもの車が、学校の正門まで着くと、そこには佐々木先生が帰ってこないおれを心配して顔面蒼白で立っていた。
自分の担当する部活中にもし生徒が事故に巻き込まれでもしたら、今年のボーナスや今後の出世に影響が出るのかもしれない。

そして佐々木先生は、石焼きいもの車の助手席でグッタリしているおれを発見すると、今度は文字通り「キョトン」とした。

帰ってこない生徒が石焼きいもの車に乗って学校まで運ばれてきたのだ。
もう意味不明である。

当のおれだって、石焼きいも屋のオッサンだって何がなんだか理解出来ていないのだから、これはしょうがない。
なんとか無理やり状況を飲み込んだ佐々木先生は「て、てつと〜〜〜〜〜!」と叫んでこちらへ走ってきた。

おれは佐々木先生と石焼きいも屋のオッサンの両肩を借りて、ほとんど両足が浮いた状態で引きずられ、学校の玄関の靴箱の横にとりあえず降ろされて仰向けの状態になった。

佐々木先生は「てつと横になれるか?」と言ってきた。
おれは「さすがにそのくらいは出来ますよ〜。」と思ったのだが、びっくりしたことに本気で力を入れても体は仰向けになったまま、うんともすんとも言わない。

体を横に倒す力ももう残ってなかった。

佐々木先生が体を横にしてくれて、その後のことはあんまり覚えてないのだが、意識が戻り目を開けるとエヴァンゲリオンのシンジくん顔負けの知らない天井が広がっていた。
おれは保健室のベッドの中にいた。

その後は仕事中だったお父さんが急いで学校に来て、買ってきてくれたコンビニおにぎりをその場で2つ食べたのをなんとなく覚えている。

ちなみにその石焼きいも屋のオッサンはおれを学校まで連れて行ったあと、名前も告げずに仕事に戻っていったらしい。
カッコ良すぎる。

とにかく、このカッコ良すぎる石焼きいも屋のオッサンがいなければ、おれはアスファルトの上でのたれ死んでいたかも分からない。
笑い話のように好き勝手に書いたが、これにはいくら感謝しても仕切れない。

ちなみに、そこから家に帰り、次の日からまた地獄の練習に何事もなかったように参加したのは言うまでもない。




これは後日談なのだが、おれのお父さんはこの石焼きいも屋のオッサンにお礼をしようと思い、数日間仕事終わりに学校の近くを車で探し回ったのだが、ついにその石焼きいも屋のオッサンを見つけることは出来なかったそうな。

でも、たま〜に町のハズレから「いしや〜きいも、おいも」という声が聴こえてくることがあるとか、無いとか。

「おいしい、おいしい、おいもだよ」

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